部誌13 | ナノ


すきの温度



 あの人が冬木で召喚されたのちの生については数えるほどしか耳にしたことがない。
 そもサーヴァントとして召喚されること自体まれだろう中で六十年もの長い時を生きたのも、遠すぎる願いへと手がかかったのも、あのときくらいのことだろう。今のあの人の願いが確立したのがまずそのときの召喚でのことであるわけだけど、そうした経験が一度でもあった以上、時間の概念のない英霊の座においてはその記憶が持ち帰られた時点で、すべての時間において天草四郎は第三魔法による人類救済の夢を抱いた状態で召喚され得るのだろうか。あるいはオルタナティブ、別の一面として、例えばキャスタークラスでの現界となればルーラーとして得た記憶や思想はいささか遠いものとなるのだろうか。どちらかと言えば今の天草こそ天草四郎のオルタナティブという感じもするのだけども。
 ともあれ冬木での召喚と以降の生が、この度カルデアで召喚されている天草四郎にとっても大きななものであることは、その白くなった髪と日焼けした肌の色、身に纏うものがシロウ・コトミネとしてあった際のものであることからも明らかであるのだが、あるけれど、それでじゃあそのころのことをあったこととして話してくれるのかと言えばそうでもない。まあそういう人であることはわかっているのでいいんだけど。大事であるほど話してなどくれんのだ。恐らくね。
 わたしとてあなたのすべてが知りたい、などと言うつもりもない。別段知られたくも、知らせたくもないのだろう。すべてを知ることは人間同士である以上不可能で、神としては可能であるのだろうけれど、そうしてすべてを暴き立ててやりたくもない。これでも一応のところ人間同士として付き合っていきたいと思っているのだ。わたしの容貌が日ごとに変わり、埒外の力を行使しているのだとしても。
 そうした上で、できることならばすべてを知りたいと望んでもいる。すべてを知ることなど不可能だから知りたいし、不可能だからこそ少しでも多くを知りたい。外法に頼ることなく。そう口にして伝えたこともある。その後あの人が己についてわたしへ深く開示してきたことはない。それが答えだ。話したくないのならそれでいい、いいとするしかない、わたしは日々の関わりの中から少しずつ、あの人を知っていくしかないのだ。
 かくして本日わたしが訪れた地は駅を降り、坂を上った先にある。ここは地上より遠く。天にはなお遠い、告解の惑い場。
 主日の教会は町の信仰者たちで静かに賑わっている。思った以上に聖堂は広く、その席の大半は既に埋まっていた。わたしが知らぬだけで敬虔な者は町に多く暮らしているらしい。今も次々と新たな人が訪れ来る。皆慣れた様子で入口の聖水(「聖水」の札が掲げられていたのでわたしにもわかった)に触れ、人によっては十字を切って堂の中へと入っていく。作法は真似るべきであるけれど、洗礼を受けていない以上どうしてよいものかわからない。聖堂の後方に積み上げられていた会報らしいカラー刷りの小冊子と、自由に借りてよさそうな聖書らしい本を手にする。なん、だ……この……器に入った丸くて薄いものは……。見ている感じ、触れない人も多いが何人かはひとつの器に入ったそれを隣にあるもうひとつの器へとトングで移しているようだった。わからん……あれはどういう意味なんだ。なんだか孤独のグルメのような感じになってきてしまう。わからないので触れず置いておくとして、後方の適当な座席へと座った。
 穏やかな休日の朝といった雰囲気であるが、これほどの人がひとところに集まって私語をしていても大学の講義室などとは異なる静粛な向きがある。堂の最奥にはキリストらしい人の金の像があり、その両脇や、壁にもいくつも彫像が飾られていた。うん、まあ聖堂の描写などこれを読んでいる人は特段求めてもいないだろう。
 定刻となるとパイプオルガンが鳴り響き、示し合わせたように皆ファイルを開き聖歌を唱え始めるのだが、もちろんわたしはその曲を知らなければファイルも持っていなかった。歌に合わせ、白い服を着た子供らを伴い司祭が入堂し来る。厳粛な空気と素人ながらある程度統率された歌唱、一体感の中で、紛れもなくわたしは場違いの異物だった。例えこの場がわたしを拒んでいなくとも。
 聖書かと思っていたしっかりとした装丁の深紅の本はミサの流れを記したものであったようで、そこに連ねられた言葉を司祭と皆が読み上げ、時に歌い上げる形で式は進んでいく。隣の婦人が聖歌集であるファイルを持たぬわたしを見て、自分は眼鏡を忘れ見えないからと親切にも貸してくれた。やさしい。おかげで以降の聖歌や定型となる朗読はファイルで確認できたのだった。毎週変化する部分は配られていた小冊子に載っており、聖書の類を引用することで信仰やその理想的在り方を確認していくのだろう。例えば申命記からモーセがイスラエルの民へと言った言葉、例えばヤコブの手紙、例えばイエスのファリサイ派の者らへの陳言。
 主に歌唱によって進行する式に典礼聖歌をめくってどうにかついて行きながら、考えたのは天草のことよりも言峰綺礼のことで、彼が冬木教会の礼拝堂に中田譲治声で信徒とともに、あるいは司祭として一人で音節に載せた聖句を口ずさむ様を想像すると、荘厳な儀式に対して不謹慎極まりないが少々愉快だ。天草であれば……あまりうまく想像できない。シロウ・コトミネとして亜種聖杯戦争の監督役を世界の各地で務める際は、その先々の教会で神父として過ごしていたのだろう。だとしたら様々な語で聖歌を諳んじられるのだろうか。いつかわたしがピアノを弾いたときに歌っていたのは確か、ラテン語だっただろうか。声変わりは済んでいるが青年にもなりきっていない、過渡期の少年の清らかな歌声だった。
 なにやら皆が席を立ち神父の前へと並び始める。これはなにか、どうしたらよいのか、なにを行なっているのか、後方の席を選んだため人の影となってよく見えない。異国から来た神父は片言ながら生活にはそう困らないだろう日本語で、近頃日本語能力試験の一級相当に合格した話を先ほどしていたが、それもまた神の恵みであると言う。どうにもこの手の話にわたしは否定的で、努力とは努力した人のものであるべきように思うのだが、増長しがちな大人にとっては謙虚であれと肝に銘じさせるものが必要であるのかもしれない。そうした外部からの規範がなければ自己内省もできないのでは未熟過ぎるようも思うが、そもそも自己内省などしない人間も多くいるのだろうし、とかく人とは多様なものであるのだから、神の名の下に謙虚な思考を敷かせることは合理的であるよう思えた。
 などと考えている間にも列は見る間に進んでいく。緑のストラを纏った白髪の目立つ神父の、穏やかそうな顔立ちがようやく見えた。列なす信徒たちは手を合わせ神父へ頭を下げる。なにかを受け取っている?
 わたしの前の人間が神父に頭を下げて列を去る。形を真似て手を合わせたばかりの祈りの形がこれでおかしくないか不安だ。二歩進み司祭の前に立つ、いたたまれなさに今すぐ立ち去りたくなる。頭を下げて、神父の顔を見ることができず顔が熱くなっていく。あの人の価値観の一端を知る一助となればとここへ来た、それを自身で不純であるとは言わないが、他の信徒から、司祭からすれば信仰から遠く離れた、十分不純な動機であることだろう。神父が手に持つのは入口で器に入れられていた白い、丸く薄いなにかだった。皆これを受け取っていたらしい。であるのなら早くそれを受け取って立ち去りたい。
「あなた、洗礼を受けていないですね」
 穏やかな声に、けれど咎めのようとも取れる言葉に呼吸が止まる。異端を見破られた、比喩でなくその通りであるのだが、スパイが敵方にバレたときとはこのような心情であるのだろうか。教会のミサは信徒でなくとも参加できるとあった、後ろめたいことではないはずだ。そう頭では解していても冷や汗が湧く。嘘を吐こう気にはなれなかった。間抜けに手を差し出したまま頷く。司祭の目が見れない。元よりわたしは人の目が見られないのである。司祭の手が上がった。
 十字を切って、その右手がわたしの頭へそっと触れる。祝福を、と簡単な祝辞を受けて、頭を下げると逃げるように列を離れた。消え去りたい。それを受け取れるのは信者のみであるらしかった。列に、並ばなければよかったのだろうか。なぜ信者ではないとわかった。信者の顔をすべて覚えているのか。拒絶でない、深い受容を受けながら、わたしは深い羞恥に包まれていた。

 教会では聖書についての講義もあると聞いていたので、それについても掲示があるかなど確認したかったのだけれど、なにも見ることなくそのまま教会を後にしてしまっていた。帰り道でも己の無知と、信仰という他者の信念へと軽率に踏み入ってしまった愚かさへの羞恥心はわたしの全身を苛んでいた。二度とこんなことはなく、わたしが教会へ足を向けることもないだろう、そう言えたらいいのだけれど、そうした慎ましさも生憎持ち合わせてはいなかった。そうしたことは関係なく、この先も足を運び得るし、運ばないこともあるだろう。それはわたしの気力とか、元気とか、忙しさとか、優先順位とか、そういう問題によって決まるのだ。
 従って、わたしが最も初めに浮かべた強い感慨は恥を忍んで言うのであれば“わたしの出会う天草が神父ではなくてよかった”だ。わたしにとって天草は確かに触れがたく、届きがたく、遥か遠いものであったけれど、異邦人とカルデアのサーヴァントという類似例の提示しにくい関係で、そこにあるべき理想の関係性などなかったし、わたしに振舞うべき正しい立場というものもなかった。わたしはわたし自身の課すさまざまなルールによって縛られてこそいるが、本質的には自由なのである。
 けれどもしあの人が神父で、わたしにはミサしかあの人に出会える機会がないのであれば、あの人の前に立ち、わたしに捧げられるものが神への祈りだけで、あの人のもたらすものが祝福のみであるのならば、きっとわたしはあの人に触れられなかっただろう。どれほどの勇気をもってしても。

 せっかくきれいに外へ出る格好をしたのだし、家へ帰らず天草の元へと向かう。美しき容貌を纏い、ただでさえ異なる世界のさらなる深層、虚数世界、泡沫のシェルター、木造旧校舎へと。
 九月に入り酷暑極まる平成最後の夏を終え、ようやくあたりにも秋の気配が漂い始めた。ここに時は流れないが、24時間で陽光は回り、外の日付を流すとともに合わせて気候も変わる。困るのは例えば台風の中でいく日をも過ごすこととなった際だ。まあそうした話はまた今度。
 校舎へ上がり一階廊下左手、保健室の扉を開ける、中は無人だった。わたしがスリープ状態にしたままのパソコンだけが、机の上で静かな低周波を立てている。
 と、と、と頭上に静かな足音があり、数歩下がって階段の上を振り仰ぐと二階に天草の姿が見えた。
「おはようございます」
 向こうも気がついて、足を止めて階上から手すり越しにわたしを見下ろす。
「今起きたわけじゃないよ、もう昼だし」
「そういう意味で言ったわけでは」
 むきになったような言い方をしてしまった。天草が少し笑ったような気配を感じる。
「昼まで寝てることもあるけど」
「知ってます」
 と答えられるのもいささか腹立たしいな。手すりに手を置いたまま、徐に天草が階段を降りてくる。革靴を履いたままの足音は僅かに硬く、けれどしなやかに板張りの階段を叩いた。わたしもまた壁へ手をついて階段を登る。たったの十数段、重苦しい生の肉の器を持った本来のわたしであればそれだけの段数で情けないことに息が上がり始めてしまうのだけれど、ここにあるのはサーヴァントとさして変わらぬ神秘で編んだ肉体だ。息を乱すことなく踊り場へと登り着く、ほぼ同時に踊り場へ足を下ろした天草のひとつに結った白の長髪の毛先が揺れた。
「部屋へ?」
「ううん」
 是と返せば一歩避けたのだろう、けれど返事は否定だったものだから天草は立ち止まっていた。と言うのも、天草が向かう先は一階ではなかったのであろうと思われるから。わたしと同じに。
 二歩進み天草の前に立つ。三十センチ程度の距離を隔てて金の瞳と相対する。見つめくる目はなにかと無言で問い、答えを待っている。恥ずかしいし怖いし恥ずかしいけれど、わたしはこの人の目を見ることができる。散々特訓してもらったからね。慎重に、頬へと手を伸ばす。
「ぅ゛にぇ」
「へんなこえ」
 ぶにゃ、と無遠慮に頬を摘んで、上げられたらしくもない無防備な声のかわいさに思わずにやついてしまう。
「ひゃんひゃんへふは」
「うん、かわいいなあと思って」
 なんなのか、という思いをわずかに顔へ出してはいるけれど、こんなやりとり特に珍しくもなんともない。天草はじっと黙ってわたしに頬をむにむにとされている。
「痛かった?」
「痛みはなくとも不条理は感じます」
「確かに。わたしのもぐいぐいする?」
「いえ……」
 別段したくもない。でしょうね。
 そう強く摘んだわけではないけれど、指先から解放された頬をそっと撫でる。人体のあたたかさとさらさらとした人間の肌、皮下のやわらかな肉。今のわたしはこの人に触れることができる。そこにある微笑の温度は今もわからないけれど。
「好きだよ、天草」
「――はい」
 こうして顔を合わせ思いを伝えることができる、それこそが今のわたしにはなによりの許しであり祝福なのだ。



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