部誌13 | ナノ


すきの温度



町の中心から少し外れたその場所は広い道路に並木が立ち並ぶ、静かなところだった。夏ならばみずみずしい緑色で溢れていただろうが、今は全て枯れて、茶色い絨毯になっている。両側を芝生に囲まれた歩道を、かさかさと落ち葉を踏みしめながらバッキーは歩いていた。土曜日の朝の6時。空はまだ薄暗い。空気はキンと冷えていて、吐く息も白い。目が覚めてしまったので、ジョギングをしに行った。その帰りだった。
ん?あれは何だ。
広い駐車場に、小さいトラックや、ワゴン、荷台を引いた車がいくつも停まっていて、テントが立てられている。人々が忙しなく、だが楽しそうに荷物を右へ左へと運んでいるようだ。バッキーは気になって見に行った。駐車場の入口に掲げられていたのはMarketの文字。どうやら週末だけの市場らしい。農場主がそれぞれ自慢の野菜や果物、牛乳やチーズを運んで持って来ている。小さな青空市は、早起きの市民で少しずつにぎわってきていた。
バッキーは自分のポケットを探った。いくらか持ってきただろうか。パーカーのポケットにくしゃくしゃになったお札が数枚入っていた。

肉体改造され、ヒドラの兵士になった時から、冷凍と解凍を繰り返されてきた。起きる度に何年も時間が進んでいる。その度にその時代の技術を目の当りにしたが、慣れる間もなくまた眠りに着いた。最後に解凍されて、自我を取り戻してからは、やっと時代に心が追いつく間ができたと思う。スーパーで買い物し、セルフレジで機械に金を入れる。カードも使えるし便利になったものだと思う。しかし、たまに市場に来て、人の手に金を払い、人の手から物をもらうと、なんだかほっとする。自分が知っている物がまだ、あることに。

少しずつにぎやかになる市場を見て歩いた。かごいっぱいに盛られたジャガイモやニンジン、リンゴやミカンもある。コーヒーのワゴンのそばには小さいテーブルも置いてある。定番のホットドッグもいい匂いをまき散らしていた。家族連れや、老夫婦、カップルなどの間を縫って、歩いた。家にはもうほどほどに食料があって、特に不足していないから買う必要はない。しかしせっかくだから、と果物屋のテントの前で立ち止まった。この前、スティーブの前でビタミン剤を飲んだら、ちゃんと食べてる?と言われてしまった。昔からあいつはうるさいんだ。

「いらっしゃい!」
若い店員が声をかけてきた。朝も早いのに、元気がいい。
「このリンゴはうちで作ってるやつなんです。他のものは信頼している農家さんやご近所さんので」
「へぇ。じゃあ、リンゴを三つください」
バッキーは左手をパーカーのポケットにつっこんだまま、右手でリンゴを三つ選んで渡した。
「ありがとうございます!今包みますね」
店員は紙袋にそれを入れてバッキーに渡した。バッキーは受け取った紙袋を左手に持ち替え、くしゃくしゃになったお札を右手で渡した。
「こちらが、おつりです」
小銭を持った店員の手が、バッキーの手に触れた。あまりの冷たさにバッキーの手が震え、小銭がこぼれ落ちた。
「ああ!すみません!」
小銭が数枚、積み上げられたリンゴの隙間に入ってしまった。店員は慌ててリンゴのかごの中を探すが、入りこんでしまって取れそうにない。ポケットから新しい小銭を出して、バッキーに渡した。
「すみません、これで足りてますか」
「ああ。こちらこそ、すまない。しかし、手が冷たいな」
「冷え症ぎみで……」
「大変だな」
「この季節は仕方がないですね」
そういって店員はへにゃりと笑った。
バッキーはその後、家へ帰ろうと市場を後にしようとしていた。が、コーヒーのいい香りがして、ふと立ち止まった。

果物屋の店員がリンゴを積み直していると、バッキーがやってきた。
「あれ、なにか忘れ物でも?」
「好みに合うかどうかわからないが」
そう言ってバッキーは右手でコーヒーを差し出した。
「え?いいんですか。ありがとうございます!」
店員はうれしそうに手を伸ばし、両手でカップを包んだ。じんわりとした熱が、冷え切った指に温度を与えている。店員の表情もほころんでいった。
「わざわざすみません。でも、どうして?」
「いや、ただ、朝から大変だろうなと思って。それに寒いと気分も沈んでしまうから」
本当に、ただの気まぐれだった。寒さは心をも凍らせる。何も感じなくなる。何もかもどうでもよくなる。自分にしてほしいことを、誰かにしたかったのかもしれない。
「じゃあ、俺はこれで」
「あの、来週も、再来週も毎週ここにいますから、次は何かごちそうさせてください!」
「じゃあ、また来ないとな」
バッキーは眠る前の時のように、人好きのする笑顔を見せた。

あの時の冷たい手が、愛おしい温度になるのを、この時のバッキーはまだ知らない。残された右手がまだ誰かをあたためられるということに気付くのも、もう少し。



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