部誌13 | ナノ


蛇足



おみくじの大吉は、喜ばしいことじゃないんだ、と、ひねくれたことばかりを言う友人が言っていたことを思い出す。
今が一番良いってことは、これから落ちていく一方なんだから、と。
バカバカしい、と一笑に付した。だって、占いっていうのは、未来のことを予想するものなのだから、大吉を引いた瞬間が一番しあわせなんてことはないのだ。これから、幸せになれますよ、というバイアスを与えるものだ。
その時の僕は、そう思っていた。

なぜ、今になって、彼のことばを思い出すのだろうか。
僕は、考える。
おとぎ話の結びの「彼らは末永く幸せに暮らしました」という結びについて。
おとぎ話のファンタジー性は、あの「結び」こそにあるのではないだろうか。
幻想の作り話の中に生きていない僕は。僕はこれから、幸せになれるだろうか。

首に下げたチェーンを無意識にいじりながらなまえはぼんやりと窓の外をながめた。喫茶店の窓ガラスの向こうにはなんてことはないビル街があって、車が行き交っている。今日はよく晴れて居たなぁと、射し込む日差しに、目を細めて、なまえはこちらを伺う店員と目を合わせないようにしながら、コーヒーカップを引き寄せた。半ばほどまで減ったコーヒーは、冷え切っていて、温かいときにはなかった酸味がツンと舌を刺した。
食べかけのショートケーキも、と思いながら、フォークを掴んで、その手をおろした。
目の前にある、切り口を上に、きれいに並べられたサンドイッチを見て、その席に座っていた人物の顔を、思い出していた。
『ひとりにしてくれるか』
なまえがそう言うと、彼は『わかった』と答えて、伝票を手にとって二人分の支払いを済ませて、店から出ていった。シャキシャキのレタスとハムののぞくきれいなサンドイッチと、中身がまるまるのこったアイスコーヒーは置き去りになった。
サンドイッチが大好きな彼が、口コミで聞いたと、この店に行こう、と誘ってくれたのだと、思い出した。
手付かずのまま残されたケーキは、まるで、なまえを責められているようで、ひどく疎ましかった。
なまえは、悪くないと自己弁護する。
『ひとりにしてくれるか』という言葉だって、こんな綺麗なカフェだから、ひと目もある場所だから、叫び出したいくらいに溢れかえった気持ちを必死におさえて、ようやく吐き出した言葉だった。
こんなところで、聞かされる話じゃなかった。こんなところで、聞きたくなかった、となまえは思う。
プラチナの指輪は、目立つものじゃない。シンプルながらも意匠が凝らされていて、少々、値が張ることを知っている。
あの日、夜風はすこし冷たくて、ジャケットが必要な店に入ったふたりは、『ジャケットが必要な店でよかった』と笑いあった。夜景のきれいな場所に、彼となまえは行った。男同士で、デートなんて気恥ずかしかったけれど、それ以上に幸せで、カップルのように手を繋げなくても、少し離れて写真を撮りに来た友人を装うことも、とても楽しかった。
人気がない場所で、彼はなまえの前に膝をついて『これを、受け取って欲しいんだ』と、指輪の入った箱を、差し出した。
『僕が貰っていいの?』と、なまえは何度も聞いた。『受け取って欲しい』と微笑む彼の顔に、なまえは泣きながら、その箱を受け取った。なまえが受け取った箱の中から、彼は指輪を取り出して、なまえの薬指にはめた。ぴったりなサイズが嬉しくて、嬉しくて、たまらなかった。
『普段は、これを使って欲しい』
彼は、そう言ってシルバーのチェーンを取り出した。

指輪をはめてもらった瞬間が、大吉だったかもしれない、と僕は、そう思う。

ケーキを残したまま、コーヒーを飲み干して、一息つく。カフェインが頭の中をすこしでもスッキリさせてくれることを期待した。
もう一度、耳に残った声を、録音したみたいに、頭のなかで再生してみる。
『実は、おれには婚約者がいるんだ。来月、結婚するんだけど、……どうしても、きみを諦められなくて。その指輪、受け取ってもらえてよかった』
外では、まだ、太陽が輝いている。白昼堂々、あっけらかんと暴露された不倫宣言だ。ようやく、その意味を正確につかめた気がする。
まわりに人がいる中で、罪悪感のひとつもなさそうな顔で不倫の話をする男の存在を、なまえの心は拒絶する。

柔らかい眼差しが好きだった。優しく触れる指がすきだった。彼の肌のぬくもりは、心地よくて、他に人肌をしらないなまえが溺れるためには充分だった。

するり、と取り出した、指輪を指のなかで転がした。

ちょっと世の中を斜に構えて眺めたくなる若者がだいすきな、おとぎ話や子供向けアニメ映画の『実は』『本当はこわい』という話が、なまえは嫌いだった。
なまえは『幸せに過ごしました』という結びが大好きだった。
いくら、検証を重ねて、屁理屈を重ねたって、批評家気取りのいう『考察』は蛇足だと、なまえは思う。
必要ないものだ。

衝動で、指輪を握りしめて、勢いよく前に引いた。
ビッ、と首にはしる痛みに顔を顰める。カチンとちいさな金属片の跳ねる音がした。きっと、ちぎれたチェーンの破片だろう。安物だったのだろうか。思いの外、簡単に外れて良かった、と痛む首を押さえて、ぬるりとした感触に顔をしかめた。

「大丈夫ですか?」

掛けられた言葉に、なまえは、は、と顔を上げた。男が、なまえの顔を覗き込んでいる。黒いエプロンに、金髪。それから、ココアとキャラメルの間くらいの肌の色。ああ、店員は、こんな顔をしていた、となまえは思い出して、大丈夫です、と言おうとして自然に、流れるように鉄臭い液体で濡れた手を引かれて、ぽかん、とした。近い顔に固まるなまえをよそに、男は「アズサさん、救急箱を」ともうひとりの店員に指示を出した。
顔の良い男だと、なまえは思う。この喫茶店で人気で、さっきまでいた女子高生たちがきゃっきゃ会話していた気がする。たしか、名前は「アムロ」だっただろうか。あの男は、女子高生たちの賑やかな笑い声に紛れるように、なまえにだけ聞こえるように、不倫の告白をした。

多分、聞こえていなかったはずだ。でも、何をどこまで知られているのかわからなくて、なまえはどうしていいかわからないまま救急セットが届くのを待って、首の周りについた傷を消毒されて、大げさに包帯を巻かれてしまった。アムロは、手当てがひどく手慣れていて、首なんて難しい場所だと思うのになまえの包帯は綺麗にふぃっとして、解ける気配がない。

「……手も、拭いておきましょう。服は、着替えを貸しましょうか? 僕の服でよければ、予備がありますので」

アムロは人当たりの良い顔で笑いながら、おしぼりで血に濡れたなまえの手を拭った。レジで他の客の対応をするためにアズサが離れたときに、アムロはなまえにだけ聞こえるように囁いた。

「……決別するのは、良い判断だと思いますが、もう少し、穏便な方法があったと思いますよ」

ああ、聞いていたのか、となまえは思いながら、わらった。そして、その拍子にぼろり、と涙がこぼれた。

「あ、すみません、余計なことをいいましたね。大丈夫ですよ、僕以外には聞こえていなかったと思いますから」

アムロはそういいながら、指輪を握りしめたままのなまえの右手に触れて、かたい拳を、外していった。食い込む爪をはがされて、プラチナのリングがあらわれる。それを、アムロは手にとって、良い指輪ですね、と言った。
ただ、慰めるようなやさしい声が、なまえにはとても心地よかった。

「……それと、これは言わないほうが良いかも知れないのですが」

アムロは、そういって、さっきまでとは少し違う笑みを浮かべた。

「僕は探偵で、彼の浮気調査を頼まれていたんですよ」

このままでは、あなたが不利になることもあるかもしれません、とアムロはなまえに、仕事の話をした。




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