部誌13 | ナノ


赤は偽らざる



 赤の瞳は神の色。
 そう定められていることを知っていると、わたしにとっては大仰で、身の丈にも合わなさすぎる。
 天草に会うため、こうして世界を超えたところでわたしは所詮只人で、ただのオタクで、なにと言うような存在でもない。神話の神やタイプ・ムーンに並ぶのはとてもおこがましい。例えこの世界において偽りであれ創造神であろうとも。わたしは所詮人の作った既存の世界の影を、洞窟の壁になぞり取っているに過ぎないのだ。天草四郎さえも。
 世界をなぞり描くこと、それは二次創作をするオタクとしては日々あたりまえのように行うことではあるものの、わたしは多作なタイプでもなく、描写力、筆力もろもろけして強いほうでもない。
 ルルハワの海、突き抜けるような青い空と白い雲、きらきらしく輝く常夏の陽気にからりとした日差し。肌を舐める風も日本のじっとり感はなくさらりとして快適だ。ホテルのベランダの手すりにもたれて見下ろす砂浜では見知ったサーヴァントたちがあれそれと遊んでいるのが見える。サーフィンに興じる坂田金時とモードレッド。パラソルの下に休んでいるパッションリップ。本日バーベキューを催しているのは聖杯奇譚の面々だろうか。奇妙なくらい平和で平穏な光景だ。
 このように、今ここにあるものを並べることであれば可能だけれど、ではこの世界の果ては? この地球の裏側は? ルルハワの外は? となってくると、どうにもとても難しい。描いたものを今ここにあるものとして確定させる、それはできる、なぜならあると言ったものはあるからだ。そうした定義は揺らがない。その確度と信憑性、納得ができるのかと言うのはまた別問題であるにせよ。けれどないもの、見えないものを、描いていないときにまで在るものとして確立させる、それはいささか難しい。難しいどころでない、それは神の芸当だ。そこまでできる自信はない。というか、できないだろう。と思っている。できないだろう、と思う限り、どう足掻いてもできなくなってしまうのだけれど、できると思い込むのも難しい。
 人理が凍結されて、人の多くが滅んで消えた。世界は更地となって、カルデアもまた崩壊した。わたしと天草が隠れた虚数世界のシェルターにあるのは木造校舎だけで、時刻と気候こそ近頃は変動するようにしたものの、訪れる者はカルデアの英霊の座を通したサーヴァントがいくらかというくらい。あまりに小さな世界だ。それは恐らくわたしの弱気と、狭量の証に他ならない。わたしに広い世界は扱えない、描ききれない、広い世界を描こうとすれば、必ず綻びができる、それを誰かに、天草に、発見されてしまうだろう。それが怖い。この世界がわたしの描く、わたしが支配する、借り物の、偽りの、はりぽてのような模造品だと、あの人にだけは知られたくないのだ。どう足掻いてもそこから抜け出せないからこそ。
 ここルルハワの地で、わたしの、いや、縞島のカルデアのサーヴァントたち二百騎弱は思い思いにバカンスを楽しんでいるのだろう。その数やとても……わたしに捌き切れるものではない。
 すべてをコントロールし、世界を運営せねばならない。けれどすべてが意中にあるのも、世界としては正しくないのだろう。
「BB……わたしはどうしたらいいんだろう……」
 額を覆って、思いのほか笑えるほど弱気な声が出てしまった。わたしが勝手に友愛を見出しているこの地の管理者たる彼女からの返事はなく、あたりは変わらず和やかなハワイの空気が蔓延っていた。別段返事を期待していたわけではない。もしも聞こえていたとして、彼女から返事などはなかろうし、それ以前に彼女も彼女で大変らしい。わたしの関知するところではないけれど、と言うのはいささか薄情だろうか。彼女の危機も、その切迫も、恐らく誰にも見せていないのだろう切実さも、同情はするけれどやはりわたしには与り知らぬことなのだ。なによりわたしの手の届くところにある話ではない。そこに切り込むメスをわたしは持たないし、智慧も知識も足りなさすぎる。それが悔しくはあるけれど、それを狂おしいほど求めるのはやはりあの人にまつわる事象についてのみなのだ。
 ガチャ、ガチャと前触れなく静かな錠前の音が背後に鳴って、扉の開く音がする。
「ここにいたんですか」
 静かな足音と、荷物の置くような音。子供たちのお守りをしていたはずだけど、もう切り上げてくるような時間だったとは。とすると既に昼は回っている。今日まだなにもしてないのに、と頭が痛くなってきた。出来損ないの神ながら世界を確立させるには、少しでも多く、世界を描かねばならない。そこにあった時間と世界の解像度を、少しでも高めなければならない。少しでも確からしく、信じられる世界にするために。
「海に行ってたの? ここから見えなかったけど」
「いえ、今日はカポレイのプールに」
 少しばかり気分を変えたくて天草へと声をかける。振り返ると、天草が鞄の前に座って荷物を入れ替えていた。長い髪は一回高いところで縛って、半ズボンに南国っぽい明るい黄色のアロハシャツ。陽気な感じだ。鞄の横にはおそらく濡れたタオルや水着の入っているのだろうビニール袋と新しいタオル。日焼け止め。天草が塗るのか? それとも塗ってあげるのか?
「海あるのに?」
「海よりは多少気が楽でした。思い思いに動かれると少し困りましたが。アトラクションもたくさんあったので、海とはまた違ってよかったですよ」
「カポレイ? ってどこ?」
「ここから少し西の……車で三十分くらいのところです」
「アトラクションってスライダーとか?」
「はい。水上のアスレチックのようなものとか」
「プールのアスレチック……イメージできないな」
「こう、水上にネットが張ってあって、浮き輪が浮かべられていたり」
「あー……」
「浮き輪に乗って滑るウォータースライダーも軽いものから激しいものまでかなりの種類あったので、あなたも好きそうですね」
「へー……」
「ほとんど垂直に滑るようなのもありましたよ。私は乗ってないですが」
「思ったより激しいな?」
「好きじゃないですか」
「楽しそう」
「では、原稿が終わったら」
「もう一回行くの?」
「何度行くのも構いませんよ」
「それは、えーと……二人で?」
「そうですが」
「いや、えーと……ごめん、いやってことじゃなくて、」
「はいはい」
「ええーっ二人でプール……!? それってどんな感じ!?」
「知りませんよ」
 ラブラブカップルのきゃっきゃうふふなプールデートをほわんほわんほわんたばたば〜と思い浮かべてしまったけれどそうはならないと思う。ならない。どういうテンションなんだ!? 行きたい、それは確かだけれど。
「げ、原稿……終わるかな……」
「それは頑張ってくださいとしか」
 多少現実に引き戻されたようなこころもちで、作業進捗を思い出す。描きたいのは多分二十ページくらい。表紙の印刷は終わってる。プロット六割、ネームは二割、完了ページは…………うん。考えたくないな!
「天草は……サバフェス出ようって思わなかったの?」
「それも考えましたが……」
 鞄のチャックを閉めながら天草が宙を見る。サークル売り上げ一位の者には聖杯。天草からすれば最高の景品だ。BBの用意したものというのがどうにもきな臭いけれど、純然たる魔力の塊というだけで利用価値は十分あるとするだろう。以前そうしてイシュタルカップにチャレンジしたのも懐かしい。
「初心者がいきなり売り上げ一位を取ることは流石に……私は絵や小説が上手なわけでもないですし」
「天草でも無理だと思うことってあるんだ」
「現実的な試算くらいしますよ?」
「わたしにいろいろ訊いてくれたらよかったのに!」
「壁でもないじゃないですか……」
「う……」
 なんとドドドド失礼な!! 同人作家壁になったことのない人のほうが多いのは当たり前だと思います!!!
「小説書いたことなくたって評論とかいろいろあるし、本じゃなくたっていいし、」
「もう間に合わない話はやめてください。考えなかったわけではないですから」
「う……」
「失礼。まだ間に合わせようとしている人もいましたね」
「うるさいな!!! 間に合います!! たぶん!!」
「そうですか。それはよかった」
 別段わたしの本が出ようと出まいと天草には関係なかろうに、そう言って少しだけ笑う。わたしの本が間に合ったところでわたしのサークルは売り上げ一位にはほど遠い、弱小ピコサークルであるのだけれど。わたしが二次操作で描いた世界の中でも二次創作を描いている。どうにも妙な話だ。始めたのはわたしのせいでないにせよ。
 準備が終わったのだろう、冬に私があげた財布くらいしか入らなくない? という感じの赤い鞄ではなく、黒の大きめの鞄を肩にかけて立ち上がる。聞いたことがある、子連れは荷物が増えるというやつ。
「天草がサークル参加する周もあるのかな……」
「なんですか?」
「いや、一週間じゃ本は厳しいか」
「本を出したことはないですが、出す苦しみは数度近くで見ているので」
「うーん……」
 天草と出会って以降は合同本やアンソロが多いし描いているページ数自体は少ないのでどうとも言えないけど、などと言ったことは今言っても仕方がないので割愛する。わたしの筆力が弱い話は情けないばかりなので避けたい。今は落ち込んでいるのだ。落ち込んでいる間にさっさと原稿始めろやという話であるのだけれども。
 天草の携帯がピルルと鳴る。携帯持ってたっけ!? シャツの胸ポケットから取り出して耳に当てる。iPhone 8の赤。私と同じやつじゃん。いや、縞島が前に私のiPhone SEを見たことのない携帯だと言っていたので、似ている少し違う携帯であるのかも。はい、はい、と応える合間の相槌は気さくな感じだ。友達だろうか。
「午後もリリィたちと出かける予定だったんですが、お役御免になりました」
 さくっと通話を切って、とさと鞄を床へとおろす。
「そっか」
「聖女はもう脱稿したそうですよ」
 電話の相手はジャンヌだったのだろうか。
「人の脱稿報告聞いたくらいで揺らぐ精神してないよ」
「頼もしいのか駄目なのかわからないですね」
「駄目なほうじゃないかな……」
「少し焦りましょうか」
「ギアが入らない……」
 天草からすれば理解もできないだろう弱音を連ねているとどうにも情けない気持ちになってくる。頑張りたいけど頑張れない、みたいな気持ち、天草にはわからないだろう。頑張ると決めたから頑張る、そうしたところはシンプルな人だ。
 カラカラと窓のレールが鳴る。きららかなハワイの日の下で、ホテルの薄影の中頭を抱えている間抜けなわたしの横に天草が立った。いや、そこまで自虐的な気分というわけでもないが、いささかダウナーであることは確か。頬杖をついて顔を上げると、天草がよくわからない顔で立っている。変な表情である、ということではなく、わたしにとってこの人の表情はおよそいつでも理解不能という意味だ。これも常ながら、じ、と目を見つめられるとたじろいでしまう。人と目を合わせることについてはかなり、もろもろ、特訓されたのだけど、それによっていくらか見つめることはできるようにもなったのだけど、やはり、恥ずかしいものは恥ずかしい。居た堪れないものは居た堪れない。視線が彷徨って、天草のシャツの柄とか、開けたボタンの間から見える黒のシャツとかを見てしまう。
「赤くないんだね」
「なにがです?」
「服」
「別段赤が好き、と言うようなことはないですが」
「そうなの? 大体赤と黒ってイメージ」
「黒は好きですね」
「わかるよ」
「わかるとは」
 わたしも天草のこう……ちょっとかっこいい感じの……服装は中学くらいのときにしていたからね!! 黒づくめの!! 男もので!!!
「……赤の、ストラの意味は知っていますか」
「知らない。ストラって神父が肩からかけてるやつだよね」
「はい。まあ、いいでしょう」
「なに?」
 訊き返そうと乗り出して、その頬に触れられる。その指の感触と、近い顔に思考も動きも動きを止めてしまう。頬へ触れる指先は熱い。今ここにある天草に肉体はないはずであるけれど、それでも魔力で編み、魔力によって動かされる身体には人と変わらぬ熱がある。金の瞳はじっとわたしの目を見つめていた。今自分がどんな顔をしていたのだったか、既に思い出せず止まった頭の中であわててしまう。髪の色は視界に入る前髪で金とわかる。瞳の色は? 顔の造形は? 近頃漫然としがちなので思い出せない。おかしかったらどうしよう。心配になりながら、見つめられる中で造形をこねくり回すわけにもいかず、どうにか目を見つめ返す。なんなのか、声を上げたいのだけれど喉はぎゅうと絞められたようだ。
 どれだけそうしていただろうか、ふ、と天草の口元が緩む。
「そんな不安そうな顔をしなくても」
「…………」
「取って食いはしませんよ」
「べつにそういうことを恐れてるわけじゃない」
「じゃあなんです?」
「…………つかれた……」
 ようやく解放されたような心地になって目を閉じる。視線を向けられること、うれしいけど緊張する。
 ふに、と額にやわらかい感触があたる。
「昼ごはんでもどうですか」
 目を開ける。どうということもない顔。ちゅーした!? 今ちゅーしたよね!?
「気分転換も必要でしょう」
「今ちゅーしたよね!?」
「だからなんなんですか……」
 なにを今更、みたいな呆れた顔をする。確かにでこちゅーくらい今更なんなのか、という感じがすることは確かであるのだけども。
「たべる……」
 顔ががーっと熱くなって、視界がみるみるぼやけていく。涙をこぼすまいと表面張力に頑張っていただいていたところをさっと天草が指先で涙をぬぐっていってしまう。
「じゃあ行きましょう。下でもいいですし、どこか外のお店でも」
 黒の鞄から財布だけ取り出して、いつもの赤い鞄へと持ち変える。
「久しぶりにホテルの外でたい」
「ロコモコとか大好きでしょう。マイスイートハンバーグですよ」
「目玉焼き好きじゃない……」
「難しいですね」
 私も財布を持って、目玉焼きくらい私が食べますよ、と言う天草の腕を掴む。うーん……カップルのようだ。
 ホテルの部屋を出て通路を歩く。この人の考えることも、思っていることもわからない。わたしが世界を描く神であるならば、一番つまびらかにすべきはこの人だ。この人の感情を、思考を、考えることを、わたしは明らかにして、暴き、描き、確定させねばならない。
 そうでなければわからない、わからないし、存在しないようなものだ。それではだめだ、存在させなければ、してくれなければ困るのだ。
 けれどすべて暴いても困る。すべてを暴いて明らかにして、なにもかもわかってしまえば、それで終わりとなるだろう。完成した人間が終わりを迎えるように。すべてのピースがはまることは、終わりを迎えることなのだ。
 だから知りたいけれど、知りたくない。明らかにせねばならないけれど、してはならない。終わりたくはないから。けれど停滞もできない。
(わたしはどうしたらいいんだろう)
 同じ問いを繰り返してホテルの外へ出る、ルルハワは変わらぬ輝かしい陽気に包まれていた。



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