部誌13 | ナノ


真夏の酷寒



 紙をめくる微かな音が、遠くから囁く波の音に紛れて聞こえてくる。南国の陽射しがはっきりとした明暗のコントラストを作る木陰で、ここだけが切り取られているような気がした。気がするだけだ。それでも彼と私が陣取ったデッキチェアの周辺は閑散としたもので、観光客は概ねもっとビーチの中央で賑やかにやっているので、やはりここだけが静かで、だから潮騒にかき消されることなく、彼の指がページをめくる音さえ耳朶に届いてしまうのだろう。
 白い砂浜に似合いのウッドチェアの肘掛けに頬杖をついて冊子を読み込む横顔を眺めるのは、退屈ではなかった。普段椅子の上では背もたれに軽く背をつけるかつけないかの真っ直ぐな姿勢で本を読んでいることが多い分、半ば寝そべった姿で読み物をしている、というのも新鮮だった。
 陽に透けると銀糸とも見紛う白い髪と同じ白い睫毛が、文字を追う瞳の動きに合わせて微かに震え、時にぱちぱちと瞬きをする。時折言葉の意味を考えるように瞬くのもかわいい、と思う。瞳を正面から見られないことは残念だったが、真剣に文字を追う姿は真摯で、そういう姿を見るのもまったく悪くない。彼の瞳は身を横たえている木材よりも、あるいはその小麦色の肌よりも色濃い茶で、瞳孔の周りがほんの少し明るくて澄んでいる。今は日陰にいるので、例えるなら鼈甲のようだと思う。光に当たると金色にも見えるし、見つめ合ったときの眼差しは琥珀のようだ。そういう例えを考えるのも好きだった。
「……四郎」
 考えていたらこっちを向いてほしくなって、気付いたらぽつりと名を呼んでいた。
「ん」
 何、と何ですか、の間のような生返事で向き直られて、特に言うべきことがないことに気付く。遅い。言いたいことなら無くはないけれど、なんと言えばいいのか。こっちを見てほしかった? ちょっと顔が見たくなって? どう取り繕っても甘えたな睦言にしか聞こえない。却下。読書を邪魔された、という顔だったなら即座に謝るというコマンドを選択できただろうに、二の句が継げない私に対して五度ほど首を傾げるものだから、却って気を許されているようでむずがゆい。
「……お、……お茶とか、いる?」
 面白い? と聞こうとして、出来なかった。でもそこから飲み物の話に繋げたのはファインプレーではなかろうか。そばを離れる不安はあるけれど、幸いここは人通りも少ないようだし彼が誰かに遭遇することもあまりなさそうだし。
 本と天草をこっそり見比べながらの問いに、しかし天草はお気遣いなく、と返して続きを読む体勢になってしまった。あなたはちゃんと水分を摂ってくださいね、と付け加えるところが抜け目ない。私もせっかくの南国で熱中症になりたくはないのでドリンクは欠かしていない。
 潮の香りを運んでくる風が、時折汗ばんだ項を撫でていく。夏の風というものはべたべたと身に纏わりつくものだという固定観念も、ここで過ごしている内に覆されてしまいそうなほど、こちらの風はからりとして不快感がない。天草の、ボタンをいつもよりひとつ多く開けたシャツの襟がたまに風に揺れる。白いシャツが小麦色の肌によく似合う。彼の肌のそれは日焼けではないけれど、日焼けもたまにはいいかもしれない。せっかく水着も着ていることだし。とはいえ今はそれどころではないので、サンオイル塗ってほしいなおねだり編などはまた後日にしたい。なんだその編。
 思考はゆるく浅く、南国の陽気に当てられてどこまでも転がっていく。
 まっすぐな陽射し、どこまでも高い青空、真珠を連ねたようなさざ波の寄せる碧海、その潮騒を運ぶ涼やかな風。そして隣には好きな人。完璧なバカンス模様だ。
 ここまでは。
 だが、ぱたり、と本を閉じる音で、それもすべて掻き消えた。
 今の今まで存分に眺め倒していた隣の彼の顔を見ることがこわい。居たたまれない、とも言える。なぜかといえばそれは、他でもない、彼が読んでいた本。


「読み終わりました」
 ありがとうございます、とまで丁寧に言い添えられたそれをはやく返してほしいとも言えずに私は曖昧に頷いた。いや恥ずかしいわけではない、あのとき出来る限りのことはしたんだし。でもやっぱり恥ずかしいというか……。


「どういたしまして……それで、……こう、一例ですけど……」
 もごもごと言いよどむ私に、天草は平然と頷いた。
「これが同人誌というものなんですね」
 そうです。
 数年前、人生で初めて作った最初であり今のところ唯一の自分の同人誌を好きな人に目の前で読まれるなんてバカンスを味わうことになるとは思わなかった。



 しかしここは南国、ハワイでありホノルルでありワイキキでありオアフであり……そういう全部をぎゅっと寄せ集めて作り上げられた特異点、グレートイビルな夏の女神系後輩サーヴァントいわく、ルルハワ。
「天草、ほんとに出るんだよね」
「そのつもりであなたの本を読ませていただいたんですが」
「そうだね……」
 サーヴァントサマースターフェスティバル、略してサバフェス。
 南国に来てまですることが同人イベント参加で同人誌作りになろうとは、と思ったけれど、天草が誘ってくれたことはうれしいし、一緒になにかを作るのもうれしい。
「参考にしたいのでこれは貰っても構いませんか?」
 構うよ。構うけど。
「天草が出すのが小説とは限らないだろうけど、まあ好きにしてくれ……」
 はい、としっかり頷かれると返してくれとは言えない。ていうか天草それ読んでどう思ったの? 面白かった? 聞けないけど……。
 特異点化されているとはいえしっかりと届く陽光はやはり眩く、遠くでビーチバレーに興じる女性陣の黄色い声が瑞々しく弾けるさまは美しかった。夏ってああいうものじゃなかったっけ……。
 二人だけのデッキチェアを切り取る木陰が、やけに寒々しく感じられた。



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