部誌13 | ナノ


しらたま



「バカは風邪引かないって、アレ嘘だったんだな」
いつも通りに吐き出した言葉は、マスクのせいで思ったよりもくぐもっていた。なまえの声はこもっていて聞こえ難いと、友人から頻繁に言われる。もう一度言い直そうかと考えて、自分の発した言葉のあまりのしょうもなさに、なまえは開きかけた口を閉じた。
「それ、さっきも言われた」
外は雨がしとしと降っている。梅雨明けはまだ少し先だけれども、傘をさしながら歩くと数分でシャツの中にじっとりと汗をかくほどの気温だ。そんな中で、ベッドの中で寒い寒いと布団を引っ被っている顔色の悪い太刀川慶は、へらっといつものような軽薄な笑みを力なく浮かべながら笑った。
「……だれに?」
「今日は行けないってメールしたら、風間さんに。飲み会、あったから」
「……意外と毒舌なんだな、あの人」
あまり言葉を交わしたことのない小学生のような外見の青年を思い浮かべながら、なまえはコメントした。
「母さんにも言われた」
「……おれも聞いた気がするな」
なまえは電話口の声を思い出しながら、とりあえず自販機で買ってきたポカリを出して、飲むように突きつけた。
受け取って布団を頭からかぶってペットボトルを開ける太刀川慶は、見たことがないくらいに弱っていて、なまえはマスクの下で口をへの字に曲げた。
なまえは、旅行で家を開けている太刀川の両親によりにもよってそんなときに風邪を引いて熱を出した息子の世話を、なんと南国から国際電話で頼まれた。
ちょうどなまえの仕事はオフで、自宅でゴロゴロしていたら携帯に電話がかかってきた。見たことのない番号に応答するかしばらく迷って、出たら底抜けに明るい声で「今海外なんだけど」と友人の母親が話していて、なまえはしばらく返事に困った。
海外旅行用の通話プランとかそういうのを使ったらしい。一人で家に置いてきた息子が心配だったから、という両親に、なまえはさもありなん、と思いながらため息を吐いた。
なまえと太刀川慶は、いわゆる腐れ縁だ。
いつからつるんでいたかは覚えていないが、小学生低学年のときにはすでにいっしょにあそんでいた気がする。
夏休みは日記に太刀川慶の名前が出てこないのが珍しいくらい、毎日遊んでいた。
なぜかクラスも一緒のことが多くて、高校、大学までまさかおなじになるとは思っていなかった。太刀川の成績はそれほど良くなかったから、大学には行かないだろうと思っていたのだ。意外なことに、太刀川はボーダーの推薦という枠でなまえと同じ大学に入学してきた。
ボーダーに入ったのも同時期だった。しかし、トリオン量の割に、なまえの戦闘センスはあまりなく、なまえはしばらくしてランク戦なんかからは遠ざかっていって、二人の道はようやく別れたようにも思われたが、なんと、なまえの弟である出水公平が太刀川隊に入るという奇縁で繋がってしまった。
なまえの弟である公平は、なまえと違って戦闘センスが大変良くA級になった太刀川隊で大活躍している。それをなまえは特に羨ましいともなんとも思わない。なまえは戦うことがあまり、得意ではなかった。実は、はじめの模擬戦で「あ、これは不向きだな」と悟って、早々にやめてしまいたかったのだが、太刀川慶が絡んでくることと、なまえのトリオン保有量が多いせいで「やめる」と言い出す機会に恵まれず、今もダラダラと籍を置いている。
最近はなまえのやめたいという秋波をうけて、辞めてほしくないらしいボーダーの方から様々な就職等々の選択肢を出されている。
それも悪くないかな、と思っているなまえは、自分が大変流されやすいことを知っていた。
本当は、使命をもっと強く持たなければならないのかもしれない、と考えたこともあったけれど、とびっきりの才能はなくても何事もそこそこ出来てしまうおかげか、そのやる気の無さは咎められたことはあまりない。苦手だと思っていた戦闘も、トリオン保有量と器用さで、B級ランク戦で程々に活躍できる程度には出来ていたのだった。
それはさておき。太刀川慶の両親が、なまえの携帯の電話番号を知っていて、国際電話で大事な一人息子の世話を頼むと来たならば、公平が太刀川隊に入っても入らなくてもなまえと太刀川慶の縁は切れなかった気も少なからずしていた。
世話が焼ける20歳の幼馴染が500ミリペットボトルの中ほどまでポカリを飲んで「さむい」と首をすくめる様子を見ながら、なまえはその竦めた首筋に手を伸ばす。
ひょんひょん跳ねた柔らかい毛の生え際に手のひらを当てる。思ったより、熱くはなくて手のひらに滲むような熱がある。自分が汗をかくほどに暑いせいもあるかもしれないけれど、インフルエンザが疑われるような発熱ではなくて少しばかりホッとした。
「熱、はかった?」
「はかってない……体温計どこにあるかわかんない」
「だろうな」
太刀川慶は健康優良児だ。風邪なんて滅多に引かない。それは太刀川慶にだけ言えたことではなくて、太刀川慶の両親もそうだ。なもんで、太刀川家には風邪ひきの看病道具がそれほど揃ってないことは予想済みだった。
他に必要なものはわからなかったが、とりあえずとポケットに突っ込んできた体温計を押し付けようと考えた。そうして引っ込めようとした手に、太刀川が首を傾げて頬を寄せる。その仕草に、心臓がトン、と大きく跳ねてなまえは戸惑った。
「……あったかい」
この、くそ暑い中でさむいさむいという幼馴染は、自分より体温の低い男の手をつかまえて、あったかいといった。
それだけでも困惑するのに、寝癖だらけで、ひげも多少伸びていて、パジャマじゃなくてうすいTシャツを着て厚手の羽毛布団に埋もれている男に、ときめいた自分の感性が信用ならない。
「……寒いなら、ちゃんとパジャマを着ろ」
「クローゼット」
「……」
自分で出すのではなく、あくまでなまえに指示を出して、出してもらおうとする幼馴染になにかを言おうと試みて、やめた。いうだけ無駄だということは学習済みだ。そういう行動が腐れ縁に繋がっているのだということは薄っすら気がついていたが、深く考えることは特区の昔にやめていた。
「出してやるから、熱はかっとけ。あと、飯はどうしてるんだ? なにか食ったか?」
少し強引に右手を引き抜いたなまえは、ポケットの中の電子体温計を押し付けながら、買い出しの算段をつける。もしかしたら、常備薬くらいあるかもしれないが、気のおけない仲だとはいえ、他人の家だ。家探しをするわけにもいかない。
『こんなこともあると思って、客間になまえくんの分の布団を出しておいたから』といっていた太刀川家の御婦人の顔を思い浮かべながら、なまえは自分の中の分別というものを意識する。
結構前から「なまえはひとりだとほんとに何もしないから、慶くんと一緒にいると安心するわ」なんてなまえの両親も言い出して、なんとなく外堀をガンガン埋められているような居心地の悪さを感じていた。クローゼットを開いて、それらしき服を物色していると、布団の中に引っ込んでコブみたいになった太刀川がぼそりと呟いた。
「……しらたま」
「……白玉……?」
餅ばっかり食べている幼馴染の口から飛び出した、餅に類似した物体の名前に、なまえは眉を寄せた。
「……コンビニとかで買ってきたやつ? 食べたのか?」
「ちがう、しらたまのはいった、おかゆ、食べたい」
太刀川はそういった。
心当たりのあるレシピの話だ。なまえにとっては良くない方の、心当たり。
なまえの弟の公平が風邪を引いたときになまえはネットでレシピを探して、弟のためにお粥を作ったことがある。それが、白玉の入ったお粥だった。なまえの渾身の力作は、なかなかに良く出来ていたが、弟には大変不評で、事あるごとに公平はそれをネタにするのだ。『病気で弱ってるときに、あんなもちっとしたものの入ったお粥なんて食べられない』と。
「……食べにくいって、公平が言ってただろ? っていうか、いつから食べてない?」
「……わかんない、でも食べたい」
駄々っ子のように言う太刀川に、ため息を吐く。こういうときの幼馴染はちょっと扱いが難しい。それをなんとかしようと思うほどに、なまえは根気強くなかった。
「……じゃ、買い出しに行くけど、なにかいるものある?」
「……はやくかえってきて」
「……雨だし、濡れたくないから寄り道はしない」
適当なパジャマを見つけて、取り出しながらなまえはクローゼットを閉めた。
クローゼットがパタンと音を立てたすぐあとに、ぴぴっという体温計の電子音が鳴った。
「何度?」
「さんじゅう、ななてん、はち」
「……インフルでは、ないか」
息子が風邪を引いたかもしれない、という太刀川の両親からのSOSを受け取るまで、太刀川慶が自分の体調不良に気がついて両親に連絡するまでに、半日くらいが経過しているはずだ。インフルエンザならもっと体温が上がっているだろう。
何かと頼りにするくせに、なんだかんだと通話アプリでくだらないメッセを大量に送ってくるくせに「具合が悪い」なんて一言も自分に言わなかった幼馴染に対して感じる不快感のようなものについても、なまえは深く考えない。
何事にも流されやすいのはなまえの短所であり、長所でもある。
この幼馴染と平然と付き合っていられるのは、その御蔭だとなまえは薄っすらと理解していた。
ポケットからスマホを取り出して、通話アプリを開いて弟にメッセを打つ。今日は太刀川家に泊まる、とうつと、一瞬で既読がついて「知ってる」と返事があった。
自分がまだ、誰にも言っていないことを弟が知っている謎に、うっすらと嫌な予感を感じながらなまえは?マークの飛ぶスタンプを押した。
『太刀川さんから、メッセがあった。白玉のお粥、作るんだって?』
弟からの返信に、なまえは顔をしかめて、ずかずか、と布団の塊に近寄ると厚手の羽毛布団をひっぱり剥がす。
「……病人は、液晶を見ない」
布団の中に持ち込まれたスマホを没収すると、太刀川慶は反省してない顔でへらっと笑って「充電しといて」といった。
なまえは大きくため息を吐きながら、携帯の充電器を探す。こういうところが、だめなところだということは重々承知だったが、なまえにはあまり、治す気がなかった。布団を失ってさむい、とぼやく幼馴染に、パジャマを押し付けてこれを着てからと言いながらくるりと背を向けた。
着替えさせてと頼む幼馴染を無視する。
なんだかんだ、なまえは頑固だと、自分では思っている。自分の中には一定のルールがあるのだ。流されやすい、なんて言って、自分がとびっきりに流されやすいのは幼馴染に対してだけであることは、なまえがよくわかっていた。
なんだかんだ言って、幼馴染がなまえの作ったお粥を喜んでくれそうだということも嬉しくて仕方ない。
なぜ、そう思うのかについて、なまえは深く考えないことにしている。
それも、なまえのルールだった。



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