部誌13 | ナノ


世界が三度回ったら



 深夜の警視庁にふらりと姿を見せた降谷は、残って仕事をしていた風見へ缶コーヒーを差し入れながら、「明日から三日間、オフになった」と告げた。
「安室もバーボンも警察も、全部予定なし。完全オフ」
 頂戴したコーヒーの缶を開けていた風見は、仕事の疲れのせいで「はあ、そうですか」と一度降谷の言葉を聞き流す。そしてすぐ、その言葉の珍しさに顔を上げた。プルタブを立てたまま、間抜けな顔を晒す。
「珍しいですね」
「ああ、俺自身びっくりだ」
 苦笑する降谷も、とまどいを隠せていない。デスクに腰を凭れながら、ここに至った経緯を指折り説明する。
「組織のほうは、しばらく待機との指示でな。ポアロはといえば今日の昼から空調がイカれてて、とりあえず三日間は臨時休業。それを上に報告したら、じゃあ良い機会だから数日休めと言われた」
 二重スパイをこなす彼は、連日多忙を極めているはずだ。それは、いまここで日付が変わる直前まで書類作成を粘る風見の忙しさなど、比べものにはならないくらいに。
 いつでも完璧なパフォーマンスを保つ降谷だが、見ている側としては、体調への負担が心配になるのは確かだ。そんな彼に三日間の完全オフを与えるというのは、英断だろう。
「それにしても、あなたが休暇だなんて、いつぶりですか」
「確かに……三連休だなんて、もはや何年ぶりだろうな」
 他人の休みを喜ぶなんて、自分は相当なお人好しなのかもしれない。しかし、あの降谷だ。
 風見が尊敬してやまない彼、常に先頭に立ってこの国のために働く彼が、自分一人を尊重できる時間を得られたことは、やはり喜ばしいことだと思えた。
「なにかご予定は?」
「ない。なにしろ突然だったからな。そもそも外出すれば安室の知り合いにも会うだろうし、それはやっぱり面倒だ。と、いうことで部屋でゆっくりするさ」
 安室透という男は、顔が広い。外出して誰かとばったり出くわせば、安室の格好をしないわけにはいかないだろう。
「何かあれば、いつでも連絡しろ」
「心得てますよ。でも、あなたの不在くらい、公安部でカバーしてみせます」
 だからこちらは気にせず休息してくれと、風見は胸を張る。なんていったって、自分はゼロの右腕なのだ。彼の人の健康のためにも、この休暇を満喫してもらえるように協力したい。いや、しなければならない。
 任せてください、と胸を叩いた風見を見つめた降谷は、そしてプッと吹き出した。
「ほんとおまえ、犬のようだな」
「……褒められて、いるのでしょうか」
「褒めてる褒めてる」
 そう言って、降谷は風見の肩を叩き、感謝をしてくれたのだ。


――というやりとりをしたのが、一昨日の夜。降谷の休暇二日目の午前中である今、風見はスマートフォンを握りしめて、降谷が滞在している高層マンションのエレベーターにいた。
 ここは降谷が所持しているセーフハウスの一つである。彼がここを使うのは滅多になく、場所を知っている人間もごく一部。ゆえに安室ともバーボンとも、警察の仕事とも離れた時間を過ごすにはうってつけだ。
 しかしなぜ風見がいまこの場に駆けつけたかといえば、降谷から送られてきた一通のメールに起因する。
 平日の今日、普段通りに登庁した風見のスマートフォンに、降谷から突然メールが届いたのだ。すぐに中を確認すれば、一言、「きてくれ」の文字。
 部下たちの前でゼロへ電話をすることもできず、結局風見は警視庁を飛び出したのだ。
 つい先ほど、一階のエントランスでインターホンを押したとき、降谷の声を聴いたが、彼は淡々と「まさか本当に来るとは」と言うだけだった。まさかってなんだ、呼んだのはあなただろうと詰めよりたかったが、言葉を発するよりも早く、開錠された自動ドアに飛び込んだ。
 やきもきしながら乗るエレベーターは、やけに遅く感じる。チン、と軽い音と共に開く扉、それが開ききる前に、風見は飛び出す。そして目当ての部屋の前、はやる気持ちを抑えて、つとめて静かにノックをする。
 すぐに、ガチャリと鍵が開く音がした。開いた扉の向こうに、見慣れた上司の顔。
「上がってくれ」
 黒いTシャツにハーフパンツという格好の降谷に、風見はひとまず胸をなで下ろした。どうみても休暇の真っ最中、なにか緊急事態が起きたわけではなさそうだ。
「失礼します」
 そう声をかけて玄関に入るが、そこで違和感に気づく。
 風見の自宅よりずっと広い玄関には、あちらこちらにネット通販の段ボール箱が重なっていた。開封された形跡はなく、届いたものをそのまま端に寄せているといったふうだ。
 降谷という人はあまり物を持たない印象だったので、雑然と積まれた段ボール箱は、風見にどこか胸を締め付けるような違和感を与えたのだ。
「散らかってるけど、気にしないでくれ」
 そういいながら、降谷は風見をLDKへ案内する。広い窓に、開放的な雰囲気の部屋。インテリアの趣味はいいはずなのに、どこかがらんどうに見える。
 風見は、キッチンにちらりと目を向ける。出しっぱなしの鍋にまな板はあるが、三角コーナーには生ゴミの一つもなく、調理が行われた形跡は見られない。その代わり、シンクには食べ終わったカップラーメンの容器が、無造作に置かれていた。
「どうしたんですか。ずいぶんと……あなたらしくもない」
 風見の見てきた降谷は、どんな顔を装っていようと、完璧な男だった。料理だって得意で、いつも服装に気を使っていて。こんな散らかった部屋のソファにぼんやり腰掛ける男は、見たことがない。
 心配でかけた言葉のつもりだった。そんな風見の言葉に、降谷はへらりと笑う。
「風見、『僕らしい』ってなんだ?」
 突然の問い、意味をはかりかねる。
 思わず、沈黙してしまった風見に、降谷が重ねる。
「僕は、僕らしいがわからないんだ。と、今朝気がついた」
 訥々と、特段の感情もこもっていない声音で、言葉は紡がれる。彼が言うことの意味が、まったく汲み取れない。必死に頭を回転させるが、どうして、彼の気持ちがどこに向いているのか、これっぽっちも察せない。
 降谷は薄く笑っていたが、どことなく困惑しているように見えた。だが、なぜ、休みを与えられた彼が、こんな状態で自分を呼ぶ?
「降谷さん、あなたのおっしゃる意味が……」
「なにをしたらいいかわからないんだ」
 力なく呟かれたそれに、風見は疑問の言葉を飲み込んだ。
「正しくは、自分が何をしたいのかわからない、だが」
 料理が好きなのは安室透で、おしゃれな服を着て良い酒を嗜むのはバーボン。降谷零としての警察の仕事も休み、じゃあ自分は何をしたいのだろうとふと思ったのだと、降谷は語る。
 彼は謎も秘密も多い人だ。風見に見えているものも、彼の一要素でしかないのだろう。多くの顔を使い分け、どんな場所にもするりと忍び込む、優秀な諜報員。
「いつも心にもないことを言って、好きでもないことを趣味として設定してきたんだ。そうしたら、ふと我に返ったとき、『自分自身の欲求』がわからなくなってしまっていた」
 それが昨日の昼だと、彼はけらけら笑った。何をすればいいのかわからなくて、とりあえずネット通販でショッピングをしてみたけれど全く楽しくなく、届いた品も興味がなくて放置してしまっているのだと。
 一日粘って、降谷は自分に起きた事実を受け入れたそうだ。それが、今朝のこと。
 風見は下唇を噛んで、降谷の吐露を静かに聞いた。風見などには想像もつかない状態。だが、知らぬ分からぬと放置できるわけがない。
「でも、風見には会いたいと思ったんだ」
「……え?」
 出された自分の名前は、この話には不釣り合いに聞こえた。ぱちぱちと瞬きをする。
 眉尻を下げた降谷は、申し訳なさそうに苦笑していた。
「何もしたいと思えないのに、ふと、おまえの顔が見たいと思ったんだよ」
 嬉しいと、光栄だと思うより前に、降谷の力ない笑顔に、胸を掻きむしられるような心地だった。



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