部誌13 | ナノ


午前4時の空



白みはじめた東の空から、ねっとりとした冷たい夜闇をまとう西の空へ、青がベールのような淡いグラデーションをえがいている。しらじらとした陽が、ひとつ、ひとつと夜空から星粒を消していって、やがて、夜が終わる。
ああ、明けてしまう。
朝焼けが見える前のひとときの空を、なまえは好いていた。
この空をながめると、大体、同じ気分になる。夜が終わってしまう焦燥感と、陽がのぼって、孤独な夜がおわって朝が来る期待が入り交じって、大抵、今の自分を見つめ直すことになる。
シチュエーションは違えども、この空をみるときに自分が考えていることは概ね同じだ。
自分は、自分の為したいことを、出来ているだろうか。そして、それはなにか、なにかのためになっているのだろうか。指折り、指折り、自分の成果を数えて、益体のないことを考える。
そうして、なまえが感慨に浸っている間に、時が来た。
とん、という軽い音がした。
「……来たな」
ぼそり、と深い息とともに吐き捨てて、顔を上げる。ビルの屋上へ続く通用口を背にしたなまえの前に、待ち人は舞い降りた。淡い明けの闇を残した白い東の空を背負って、男はへらりと笑ってゴーグルを外した。
「……ひょっとして、待っててくれたりした?」
「さぁ、どうだろう」
相変わらず、軽薄な笑い方だ、となまえは思う。なまえには軽薄に見える笑い方も、誰かには好青年にみえるかもしれない。少し眠そうなふたえまぶたに形の良いくちびる、シャープな顎のライン。整っている、となまえは思う。
寄って集まった女子たちがそういう話をしているのを聞いたことがないので、もしかして、なまえの主観かもしれない。そうすれば、この男の顔がなまえの好みということになって、少し腹立たしい。
徹夜明けで思考がおかしな方向に行っているかもしれない、と思いながらなまえは薄ら寒い笑顔から視線を外して、そちらの方向にひょいと缶コーヒーを投げて寄越した。薄暗い中でもしっかりと見えているだろう彼は飛来物をひょいと受け取った。
この場所が、迅悠一のお気に入りの場所がここであることは知っていた。他ならぬ彼が教えてくれた。煮詰まっていたなまえを連れて、朝焼けを見せながら「ここが好きだ」と迅悠一は言った。
だけれども、今日、彼が、ここに来る保証はひとつもなかった。彼のようにサイドエフェクトでも持っていればわかったかもしれないけれど、なまえはそんなものは持っていなかった。あと少し、トリオンの量が多ければ持ち得たかもしれない、と思ったことはあった。
太陽が登ったなら、ここを離れて仮眠を取るつもりだった。
「こんな時間まで仕事?」
目頭を揉むなまえに対して、迅悠一が首をかしげる。気遣わしげなトーンで聞いた。それになまえはつとめて明るい声で応える。
「こういうとき、戦闘体は便利だな」
「たしかに眠らなくていいけど、神経の疲れまではとってくれないんだから、休みはとらないと」
「仕事がなければそうする」
なまえは戦闘体に換装できるトリガーを所有している。昔はなまえもランク戦に参加していた。一応、運もあって一瞬だけとは言えA級に届いたこともある。エンジニアに転向したのは日々移り変わる装備や戦局にあわせて戦略を練って、勝ちを取りに行く毎日に疲れたことと、運良く手に職といっては何だが、そちら方向への適正があったこと。
非常用のトリガーを持たされているだけのエンジニアと違い、戦闘体を扱い慣れているなまえはトリオン体での活動に苦がないため、過酷な長時間労働ができることをメリットとしていた。時折、チーフエンジニアの寺島のように肥るぞ、とも言われるが今の所実際の肉体には影響していない。それはなまえが暴飲暴食に走らないためでもあるだろう。横で暴飲暴食に耽っている人間がいると、こちらのほうは食欲がさめるのだ。
「お忙しい本部のエンジニアさんが、おれに用?」
すこしだけ、警戒したように表情を作りながら迅は首をかしげた。最近。いや、多分、結構前から、迅はなまえになにか隠し事をしている。ひょっとして、なまえにここを教えたときにはすでになにかを隠していたかもしれない。
迅の表情がわかるようになったのは最近だから、どちらにしてもわからないことなのだけれど。
「そう、先を急ぐな。ゆっくりそれを飲んでいけ」
「……これ、甘すぎて好きじゃないんだけどなあ」
「それは悪かった」
缶コーヒーを揺らしながらへらへらと笑う。なにか、訊かれることはわかっているはずだ。なにしろ、彼には便利な予知能力がある。それの範囲がどこまでかはしらないが、迅がなまえに会いたくないときは徹底的に会えないと決まっている。
どうした理由で、会いたくなかったかは、最近ようやくわかった。
最近になるまでわからなかったこと、これからのことで、なまえがイライラしていることもわかっているだろうに、それでも姿を見せた迅に対して、なまえはぶつけるつもりだった質問を弄んだ。
最近、話題になっているC級隊員。三雲修。
彼が、C級隊員になっていることを、なまえはしらなかった。
玉狛と遠征帰りの隊員が衝突したことを聞いて、何かあると確信したのはしばらく前の話だけれど、なにを暗躍していたのかさっぱりと迅には会えなかった。
なぜか。迅は、三雲修となまえの関係を知っているような気がしていた。
『なにを企んでいる?』と聞くはずだった。でも、なまえはその問を飲み込んだ。ぶつけても無駄な顔をしていると、顔を見た瞬間、わかった。
「……なに企んでるって、聞かないの?」
「答えがないのをわかりきったうえで、聞くほど間抜けじゃない」
深いため息を吐く。ぱし、とプルタブが上がる音がする。スチール缶のプルタブが上がる音はかたい。スチール缶のプルタブはかたくて、ちいさいころは開けるのを苦労した、と思いだした。戦闘体ならば、そのスチール缶を小さな金属の粒にしてしまうことも難しくない。
迅は、なまえの顔をみると、心底ほっとしたような顔をしながら、なまえに背を向けて、東の空を見た。
それに、あわせたようにして家屋と空の境界線に白いラインが引かれる。淡い紗をかけたような藍色が、揺らめく橙の光をまとって輝きを放つ。
陽が、刻々と、のぼっていく。
なまえが好きな明ける前の空が終わって、迅の好きな朝焼けがやってくる。
迅は、この朝焼けをみるとホッとするのだそうだ。
彼らしいとも、彼らしくないとも思った。弱音を吐くのは、彼らしくない。でも、朝焼けにほっとする人物像は、とても彼らしいとなまえは思う。
どうして、そんな一面をみせるのか、なまえにはわからないままだった。
後ろめたさ故なのか。後ろめたいだけなら、もう少しうまく、転がしてくれればいいのに、となまえは思う。
三雲修は、なまえの弟だった。弟、と言っても半分だけだ。なまえが半分血の繋がった弟の存在を知らされたのはずいぶん大きくなってからで、複雑な心境で、それを受け入れるか、きかなかったことにするか迷ったものだった。
三雲修は、なまえのことを知らない。知らないままで良いだろう、と思う。複雑な関係だし、それを口で説明したり、気にかけていることを知られるのはこそばゆかった。
その彼が、この男の陰謀によって、なにかの渦中に巻き込まれていることを知っていた。弟は、彼の陰謀がなくても、どこかでなにかに巻き込まれていくのかもしれない。
「……なあ、悠一」
「……どうした?」
少し驚いたように息をつめて、迅が振り返る。生まれたばかりの朝陽が顔の輪郭を輝かせている。薄茶の髪の毛がキラキラと輝いているように見えた。
「……なにか、俺に、言っておくこと無い?」
朝日を背にしているせいで、彼がどんな顔をしているのか、見えなかった。
「……今は、まだ」
茶化したような陽気な声が、告げる。
大好きな朝焼けを見ないで、逆光を背負ったままの彼が、どんな顔をしているのか。なまえは切実に知りたかった。



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