部誌13 | ナノ


言葉はいらない、言葉が欲しい



あれは、桜の木だ。
縁石に囲まれた小さな土からひょろりと生えた、街路樹。
あれは、この間まで薄紅の花弁を細枝にたわわにつけて、通る人の気を引いていた、桜の木だ。
ふわふわと優しい色の花弁は散って、今は若緑の葉を膨らませ、青々と輝いている。
こうなってしまえば、蝶よ花よと愛でられた桜の木は他の街路樹と変わらなくなってしまう。
一年後、花を咲かせるときまで、桜の木はただの街路樹になる。

ただの木になってしまった桜の木の前で、足を止めて眺めるひとは、あまり居ない。よほどの暇人か、それとも、変人か。
花を咲かせているときは、ああ、花見をしているのか、と思えたのに。

カッチリとしたスーツの男が、ガードレールに腰掛けて、若葉を揺らす桜の木を見上げている。

なまえが彼に気がついたのは、まだソメイヨシノが花を咲かせているときだった。

隔日。正午過ぎ。

なまえの職場近くの桜の木の下。
彼はそこにやってきて、桜を眺めて、缶コーヒーを一本あけて、去っていく。
たぶん、近くのビルにつとめている人ではない。どこから来たのかわからない。何をしに来ているのかも、わからない。




気がついたのは偶然だった。たしか、彼のつけているネクタイが自分のネクタイと同じものだということに気がついて、なんとなく顔を覚えた。

花見だろうか、というなまえの予想は外れて、彼は花が散ってもそこに居た。

「……桜、散ってしまいましたね」
「……え、ああ、散りましたね」

なんて大胆なことをしたんだろう、と声をかけてからなまえは後悔した。今日の昼食は抜きだと覚悟の上で、なまえは、その男に声をかけることを決めた。
なぜか、明後日のチャンスは巡ってこない気がしたから。
メガネにスーツの男は迷惑そうに首を傾げて、木を見上げた。

「ここの桜、年々つける花が増えていってるんですよ」
「……はあ、」

困惑の表情を浮かべる男は、眉毛がちょっと特徴的だった。あからさまに迷惑だという雰囲気が顔に出ている。

「……ごめんなさい、いきなり話しかけてしまって……ただ、いつもここにいるから……気になってしまって」

なまえが素直にそういうと、彼は表情を固くして、そうですか、と言った。

「不審だと思われたなら……申し訳ないです。……もう、ここに来ることもないので」
「いえ、違うんです」

するりと立って去っていこうとする男の袖を、なまえは掴んだ。

「……話を、してみたかっただけなんです」

驚愕に見開かれた目に、なまえの情けない顔が写り込んでいた。

あれから、2年。
ユウヤとなまえは、SNSのIDを交換して、連絡を取り合い、たびたび会うようになった。

会う場所はその時時によって違って、場所を指定するのはユウヤだ。なまえは、ユウヤの苗字を知らない。なぜか教えてくれたのがユウヤという名前だけだった。

なぜ?

彼のまわりには、いつも何故が付き纏う。おかたい仕事でとても忙しいことは知っているが、何をしているか知らない。
指定された場所に、なぜか先客がいて、入れ替わるようにユウヤが席について、メニューから紙を抜き取るのを見たことがある。
ナプキンを一枚、ポケットに隠していたこともある。

映画みたいなやり取りになまえは気が付かないフリをする。
ユウヤは、チラリとなまえの顔を見て、いつも何かを確認する。

聞かないほうがいいことだと、なまえにはわかっていた。

その答えを聞いたときに、なまえはユウヤと会えなくなることを、わかっていた。

「どれが良いかな」

なまえは、フラワーアレンジメントの影から記憶媒体を引き抜いたユウヤから目を逸らして、メニューを開いた。甘ったるいデザートのページを開きながら、ユウヤはどれを食べるだろうと、予想した。
彼はぼんやりした味の焼き菓子が好きだ。イチゴのケーキよりも、バナナのタルトだったり。
この中なら柿のタルトなんかが好きかもしれない。生フルーツではあるけれど、たしか、柿は好きだっていったいたと思う。

なまえは、無花果がいい。無花果のタルト。鮮やかな果肉は、肉のレアに似たピンクで、ぷちぷちの種が好きだった。

「……気づいてるんでしょう」

ため息とともに吐き出された言葉に、なまえは、ギクリと顔を上げた。

「……何が、」
「わかってるはずです」

ウンザリしたように、ユウヤはいった。ユウヤは結構、気が短い。はっきりとモノを言う。
なまえは薄ら笑いを浮かべながら、ああ、と小さくもらした。

「……正直、……知りたくないんだ」

なまえは、知りたくない。ユウヤが、都合のいい待ち合わせ相手としてなまえをカムフラージュに使ってる事、なまえが、何かを目的に近づいたと仮定して、なまえの反応を探っていること。なんとなく、察していた。

なまえは、ごく普通のサラリーマンだ。

つとめてる会社もちょっとした労基違反はあっても、大きな不正も、大きな犯罪もない、ごく普通の会社。

「おれには、わからない話だと思うし」

なまえはそう言いながら、飲み物を選ぶ。コーヒーにいくつか種類があった。酸味の少ないブルーマウンテンがこの店のお気に入りだ。
ユウヤは、多分、コーヒーは頼まない。

「……では、なぜ?」

謎だらけの男、ユウヤがとう。なぜかなまえの勤務日を退勤時間を繁忙期を知っていて、それにあわせて誘いをいれるユウヤが、なぜと問う。

「……じゃあ、聞くけど」

パタン、とメニューを閉じて、なまえはユウヤを見た。今日も相変わらずのスーツ姿。今日は、イヤホンはさしていない。

「ユウヤがおれと、こうやって会ってくれるのは……期待していいのかな」

仕事だから?とは聞きたくなかった。イエスと答えられることが、こわくて。

ねえ、言ってくれよ。
なまえは望む。

どうせなら、騙してほしい。

かなえられることはないと、薄っすらとわかっていた。



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