部誌13 | ナノ


雨の日の花嫁



ごうごうと音を立てて流れる川を、少し離れた位置から眺めていた。
差していた傘はとっくに意味がなくなるような酷い雨で、全身すっかりびしょ濡れだった。
ぼんやりとそのまま歩を進めたら、強い力で後ろに引っ張られ、ぼすりと誰かの胸に抱きとめられた。
後ろに引っ張られた勢いで傘が飛んで、川に飲み込まれていった。

「お前、死ぬ気か?」
「え。いえ、そんなつもりは…」

頭上から降ってくる硬い声に何度か瞬きをしてから否定する。
そう。別に死ぬつもりはない。
ただ、なんとなく、何かに誘われたような気がしただけなのだ。
それに。

「死ぬには、まだ少し早いです」
「だろうな。お前、まだ十五ぐらいだろう」
「えぇ、まぁ、そうですね。いえ、でも、そういう意味ではなく」
「ん?」

解釈の違う答えに否定を返すと、疑問の声にゆるく首を横に降る。

「私、明日、湖に、というか神様に捧げられるんです」
「捧げられる、って」
「この雨を鎮めるために」
「そんな事で雨が止むとでも?」
「さぁ。止んだとしても、私には分からない事ですし。多分」

腕を掴む手に更に力が入り、痛いな、とぼんやり思った。
もう、決まった事なのだから、別にそれがどんな結果をもたらすとしても、私には関係ない事なのだ。
まぁ、出来れば好転して欲しいとは思うけれど。

「お前はそれで良いのか」
「えぇ」

私が持っている答えは一つしかない。

「あの湖に居るのは、天候をどうこうできる神ではなくてもか」
「えぇ」

どうして、皆、同じ事を聞くのだろうか。
この役目はどう考えても私が適任だ。
だって。

「私一人が湖に捧げられる事で皆の気持ちが穏やかになるなら儲けものかな、って」
「お前の家族は納得しているのか…」
「あ、いえ。もう皆居ないので」
「……すまん」
「いえ。もう昔の話です」

硬い声に思わず笑みがこぼれる。
こんな反応、いつ振りだろう。
腕を掴んでいた手がするりと離れていく。
振り返れば、そこに立っていたのは背中に行李を背負い、顔の上半分を三毛猫の面で顔を隠した男だった。
見知らぬ男だった。
けれど、何故だろう。警戒しないといけないという気持ちにはならなかった。
何を喋っても構わないのではないかとすら、思った。

「えぇっと、変わったお面、ですね?」
「……素直に変だと言ってくれて良いんだがな」
「あー、いえ、でも、身体の一部、みたいですし」
「まぁ、その解釈は、間違ってはないが」

軽く三毛猫の面に触れて、彼は軽く笑った。
言葉に偽りはない。
彼の顔にその面がある事はとても自然な事だと、何故かそう思えた。

「お前は、納得してるのか」
「何をですか」
「湖に、神に、捧げられる事を」
「えぇ」
「逃げようとは、思わないのか」
「はい。私が逃げたところで、他の子が捧げられるだけでしょう」

何か言おうとして開かれたらしい何の言葉も出てこなかった彼の口はややあってから閉じられた。

「本人が納得しているなら、何を言っても無駄、か」
「えぇ」

悩まなかったと言えば嘘になる。
けれど、今は私一人でどうにかなるのなら、それで良いと思っている。
それに仮にどうにもならなかったとしても私には知る由もないのだから。

「……そうか。わかった」

彼は緩く頷くと背負っていた行李を下ろし、その広い背で行李の中を隠すようにしながら、何かを探しているようだった。

「これだけ濡れてしまっている上にこの雨では意味をなさないかもしれないが、これを使うと良い」
「いえ、もう戻るだけですし」
「いや、持っていってくれ。俺のせいで傘が飛ばされてしまったのだから」

差し出された傘を拒めば静かに首を横に振り、傘を押し付けられる。
借りたとしても、返すことすら、出来ないのに。

「返さなくて良い。これは、お前にやる」
「でも、あなたの分は?」
「俺の分は、ある」

傘がないと言われれば断ろうと思ったのに、もう一本の傘を示されたら断れない。

「わかりました。ありがたく使わせていただきます」
「あぁ」

傘を受け取り、広げる。
その傘はなんだか、私がさっきまで使っていた傘にそっくりだった。

「では」
「あぁ。気をつけて帰るがいい」
「ありがとうございます」
「あぁ。また明日」
「……え?」

傘を差し、彼に背を向けて歩き出した私の背に掛けられた声に聞き間違いかと振り返れば、そこにもう、彼はいなかった。

「えぇ…」

狐にでもつままれたのだろうか。
そんな風に結論をつけて、私は家へと足を向けた。
その後、帰宅してからは、明日の準備の為に家にまで迎えに来ていた人達が私の不在に慌てていて、なんだか申し訳ない気持ちになった。



やはり酷い雨は上がらずに、私が湖に住まうという神様へと捧げられる日になった。
それは立派な花嫁衣裳を着せられ、おまけに立派な花嫁道中まで付けられて、私達は湖へと向かった。
湖に捧げられる前、「底にいらっしゃる神様の元へ行けるように」と重りを付けられてしまった時は、こっそり笑ってしまった。

「では、皆さま、お世話になりました。この先は、神様の伴侶として、お役目に努めてまいります」

私を湖に捧げると決めたのは皆なのに、皆の方がよっぽど酷い顔をしていて、私はにこりと笑って湖へと身を沈めた。
そのあとは、ただ、ただ、苦しくて、もし本当に神様がいたとしても、酷い顔で会うことになるな、なんて、頭の隅で考えていた。

「やぁ、花嫁さん」
「……え、」

優しく掛けられた声に、私は思わず目を開けて飛び起きた。
着ているのは最後に着た花嫁衣装のまま。でも、衣装自体も、私自身も、濡れていない。
足の重りも、付いていない。

「昨日ぶり、かな」
「貴方、は、神様…だったの?」

私の傍にいたのは、昨日の三毛猫の面の彼だった。

「いや、神ではない。神ではないけれど、この湖に住む、何かではある」

少し皮肉めいた言い方をして、彼は笑った。

「ようこそ、新しい花嫁。ここで為すべきことを、お教えしよう」

そうして、私の新しい日々は始まった。



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