部誌13 | ナノ


なまけ者のボクと、君



 瑞々しい春の空気は橙色に染め上げられて、世界をなんともノスタルジックな気配で支配し尽くしてしまう。夕暮れは事実として綺麗だけれど、そういう感じはなんとも苦手だ。空気がノスタルジーであるからノスタルジーなような気持ちにさせられる、そういうのは馬鹿らしい。ノスタルジーな気持ちだからノスタルジーな空気であるように感じてしまう、そうした流れであるべきだ。というのはわたしが天邪鬼であるからだろう。けれどおそらく、彼女もそういうタイプだと思う。悠久の夕暮れの木造旧校舎、昇降口の屋根の下にぼんやりと腰掛けながら、きらきらしい斜陽の光を受けて校庭の大樹の前に佇む少女の後ろ姿を眺めていた。
「悪趣味ですね」
 紫の長髪がなびく。桃色の花びら舞い落ちる中で振り返った彼女の表情はたっぷりの苦々しさを湛えた笑顔だった。夕暮れの中にも彼女の髪と胸の赤のリボンは鮮やかだ。表情からも振る舞いからも、不機嫌、不愉快、そうした悪感情を隠しだてもせず露わにしているが、かと言ってそこまで絶大なものでもないのだろう。本当に許せないのならこんな世界、彼女の指先で簡単につままれてぺしゃんこだ。ぐちゃっと。それともかつてと同様、彼女にここは壊せないのだろうか。
「うん、怒ると思ったから見せたくなかったんだけど」
「それって、わたしはここに来られないと思った、ってことですか?」
「ううん、来ると思ってた。最初はもしかしたら、ってくらいだったけど、ジャンヌが来たとき確信した。だから困ったなあ、って」
「無策、不対応、無計画! クソ運営の典型です。別の姿にするとか、貴女にはできたはずですけど? そのくせ都合のいいところだけ……」
 両手を腰に、じとりと眇められた眼差しが大樹へと向けられる。かつてと同じに桃色の花を満開にさせたそれは、はらはらと永遠に尽きることのない花びらを散らし続けている。彼女の知るこの場所において、ここにあるのは桜の木だった。わたしはあまり植物の類に明るくないので違いがさして、これも桜だと言われればそうか、と納得してしまいそうなところだが、存外そうでもないらしい。
「なにもできないですって顔して、ちゃっかりこの場を支配しているのは私ですってアピールしてる、性悪ですよね」
「はは、そうかな」
「わたしに言われたくない、って顔してますね。してますよね。思ってますよね。BBちゃんにはお見通しです」
「うーん、まあ、でも、……」
 そんなに怒ってないでしょ、と明言したら機嫌を損ねられそうだ。けれど代わりに言う言葉も見つからず黙ってしまう。探しながら彼女の指摘した木を見上げてみる。言われてみれば、確かに、桜より花の色は濃いし、花々の間も隙間があって空いているし、こんな種類の桜はねえよ、と言った感じなのかもしれない? よく知らないのであるのかもしれないけど。
 その木の根元に、かつてであれば月の中央へと通ずるサクラ迷宮への入り口があったのだけれど、残念ながらここは月ではなく、人理凍結によって漂白された世界の残滓を虚数世界にかき集めて作った避難所のようなものであるのでここからどこか外へ繋がる道はない。泡沫のシェルターという性質ばかりが月の裏でのそれにぴったり合致して、同じ姿を取っただけだ。わたしの希望は高原の別荘だったのだけれど、データベースに近しいものがあればそちらが引っ張ってこられてしまうのは仕方なきこと。一から創るのは可能であっても大変だ。彼女の言う通り、テクスチャやレイヤーを重ねれば違う風景にするくらいはそう難しくなくできてしまうのだろうけど。
「……リスペクトかな」
「はあ?」
 わたしとの会話は既にどうでもよさそうに辺りや校舎を見回して、いざ屋内へと踏み入らんとわたしの横を通り過ぎかけていた足が止まる。足が細い。長い。ただでさえ短すぎるスカート丈からモロ見えのパンツ(レオタード)。そして煽りのハイウェストおっぱい。見下す侮蔑顔。最高のご褒美である。彼女が二次元で、わたしがそれを鑑賞するだけの三次元であるのなら。同次元の存在としてそれを真正面から受け止めるのは普通に怖い。念のために唱えておこう。私は恐ろしくないし、冷静だ。
「恋をして、猪突猛進で、一生懸命で……見返りも求めず、好きになった人が消えないよう、それだけのために月さえも支配して、」
「見返りを求めない? そんなわけないでしょう」
「え? でも――」
 CCCに彼女が主人公と結ばれるエンディングはなかったはずだ。
「うるっっっさいですねえ、わたしはいつだって先輩とイチャイチャラブラブくんずほぐれつ、ああんなことやそんなこと、先輩の頭の先からつま先までたっぷりじっくり可愛がって好き放題したいしされたいに決まってるじゃないですか。恋する乙女は欲深い、貴女にそれがわからないとは言わせません」
 ビシッ、と教鞭が目と鼻の先へ突きつけられる。言われてしまえばばなんらおかしくもない、当たり前のことだった。結ばれなかったのは結果論。わたしがもし、天草と好い結果を得られずに終わったあとで、見返りを求めなかったなんて言われたら烈火の如く怒るだろう。怒る。すごく怒る。怒るに決まっている。
「…………ごめん」
「謝られたところで嬉しくもなんともないんですけど。誠意、見せてくださいよね、誠意」
 今わたしがノータイムで黒い泥を頭から浴びせられて即死することとならずに済んだのは、今の彼女にとってはもう数万年も前の話となるからであるのかもしれない。
「誠意か……こういうの?」
 ぱんと軽く手を叩く。瞬間、彼女の装いは古式ゆかしい黒のセーラー服へと早変わり。これは間違いない。ノスタルジック。彼女と同型の、月のAIたる間桐桜と同じ格好となるのだが、表情がまるきり違うせいか存外それなりに別人だ。
「なっ……」
「うん、かわいい。いいと思う」
「当然です。じゃなくて、これはどういうつもりですか」
「せっかく同じ校舎だから制服でJKごっこというのもいいじゃん。リップとかメルトとかも喚んでさ」
「コスプレですよね、それ。わたしたちだけに滑稽なお遊びをさせようって言うんです? 許せません」
「えっそれわたしにも着ろよってこと?」
「別にそういうわけじゃ……いえ、いいえ、いいですね、いいじゃないですか! 貴女も着ましょう」
「本気!? イメクラだよ!?」
「イメクラ結構、年増らしく一人だけ滑稽にイメクラしてくださ〜い」
「と、とし……」
「着れないって言うんですか? ■・■・さ・ん」
 妖艶な声音にノイズが混じる。名を、呼ばれたけれど呼ばれていない。音声ごと虚数の海に葬り去ったという感じ。これは脅しだ。いつだってわたしは貴女を無力化できる、という意味の。
「着るのは別にいいけど」
 特段抵抗する理由もないので望み通り服装を彼女の望むものへと変えてやる。黒のセーラー服。高校は私服校だったし、セーラー服なんて高二の体育祭にクラスユニフォームとして着たくらいだ。私服校の体育祭とはコスプレ祭りになるものと相場が決まっている(他校がどうであるのかは知らない)。ちなみに教師もコスプレするよ。石油王とかハートの女王(男)とか。美術系に強い学校だからか服飾に強い人も多かったのだ。
「恥のない人ですねえ、いじり甲斐がない」
「見苦しいということも今はないし。むしろ美女のセーラー服、いいんじゃないか? かわいかろ?」
「ちょっと、なに胸当てつけてるんですか! 卑怯です!」
「胸当てないと谷間見えるじゃん! エロコスプレっぽいよ」
「スカートも膝丈! 舐めてるんですか! 戦う気、あるんですか!!」
「なにと!?」
「恋はファイト一発! スカートひらり見せつけるものでしょう!」
「二十後半のセーラー服で興奮する、天草にそんな性癖あるかなあ……」
「ドン引きされちゃえばいいと思いま〜す!」
「本音のところはそれだよね」
「うわっ……この人、いい歳こいてセーラー服なんて着ちゃってるよ……谷間も脚も丸出し……、って思われちゃってください☆」
「天草はそんなこと思わない! と思いたい!」
「さあ! 胸当ては取る!! スカートはあと三回巻く!!」
「パンツ見えそう」
 楽しんでいるのかなじっているのか応援してくれているのかわからない。ともあれ言いなりに胸当てを消してスカートを腰で巻く。三回。パンツはギリ見えないがバリバリ太腿丈だ。激しく動いたら見える。絶対に見える。
「かなりやばい。でも大丈夫、神だから見えない。スカートは脚に吸いつくもの。凛もそう言ってた」
「凛さんが? 下着より危ういもの丸出しでしたけど」
 遠坂凛違いだけれどそこはそれ。話が長くなるのでスルー!
 恥ずかしい、というよりは単純にこんなはじけた格好をすることって滅多にないので異様に解放感がある。あまりミニスカ履かないし。谷間もそんなに出さないし。折角の美女アバターなので出したいという気持ちもあるのだけれど、現実で養った相応感を破ることはどうにも難しい。なにやかにや服に頓着している余裕があまりなかった、というのもある。ジャンヌとショッピング、とか、もっと行ってみたかったなあ……。とかなんとか、もうこうやって座ってるだけで向かいに人がいたらパンツ見えるもんなこれ。そうなったときにはこう、ざくっとそこだけ見えないようにするとかどうこうできるけど。
「リスペクトの話なんだけど」
「まだするんですかあ? それ」
 うええ〜、という顔をしてもBBちゃんはパーフェクトに美少女だ。仕方ないですね、という感じでわたしのとなりに腰かけてくれる。人二人分くらい空けて。少し友達っぽいな……。なんだか胸くすぐるような感じ。
「月の裏側を乗っ取って、中心部まで掘り進めるって単純にすごいことじゃん。愛の力でそれを成し遂げたBBはすごいと思うんだよ」
「貴女に褒められたって全然嬉しくもなんともないですけどお……、もっと褒めてくれていいですよ」
「すごい! 可愛い! 大天才! 強い! 頑張り屋! 一途!」
「はい、もう結構で〜す。アリさんに褒められて喜ぶAIがいると思いますか? 貴女の称賛、『自分はそうじゃない』って感じでぶっちゃけすごく不愉快です」
「容赦がないよね」
 突き刺すような指摘にも私は傷つかない。そうではないと言いたいけれど、そうであるところもあるだろう。
「そうやって絶望しているのを見せられるの、すごく腹が立ちます」
「わりと絶望してないつもりなんだけど」
 絶望しきっていたらとっくにここにはいないだろう。いつでも辞めるぎりぎりのところにいる心地はあるにせよ。
「確かに貴女の恋する人は、終わってますけど、それでも今もこの世界に姿を持って存在しているんですから」
 終わっている、というのが人間性としてか生命としてかはわからない、前者ならば聞き捨てならないが、後者については事実だ。あの人の人間としての生は、とっくの四百年弱前に終わっているのだから。
「じゃあ普通に弱音言っていい?」
「よくないですけど」
「物語って少年少女が勝つものじゃん? もうそれなりに大人になってしまった人間として、勝てる気がしないんだよね……」
「よくないって言っても話しちゃうんです? 負けるのは諦めてるからだとBBちゃんは思うんですけど」
「でもわたしは十代のときの自分よりは強くなったと思うんだよ。それでももう若くないから勝てないって言うなら……」
「バカなんですか? 強ければ勝負は勝てます、わたしだって記憶で数えれば数万歳ですよ? でも勝てます。BBちゃんは最強で美少女でパーフェクトな小悪魔系後輩だからです。分かります?」
「BB……」
 BBは、強い。胸を張って、皮肉った態度を取りながらも堂々と言い放つ彼女へそう言いそうになって、口を噤む。強かったのも、結果論だ。強くなければ、ならなければ「先輩」を守れなかったから。
「…………すごく、頑張ったね……」
「……――はい、ええ、そうです。頑張りました。当たり前です。でなきゃあの人は、消えてしまったんですから。頑張りました。この上ないほどに」
 淡々と紡ぐ。ただ一人優しくしてくれたその人への感情と記憶だけを抱え一人目覚めたAIが、ただの一人として真の同胞も得ず、孤独に邁進する道がどれほど苦痛だったか、どれほど恐ろしかったか、わたしにはとてもわからない。その行いはすべてただ一人のためであると言うのに、その人からの報酬すら、道中まともに得られぬのだ。常軌を逸して不器用すぎる愛情表現が故、というのもあるにせよ。
 想像を絶する、けれどその感情に思いを馳せられることをもまた、彼女は望まないだろう。その道程における苦痛や葛藤さえ、彼女だけのものであるのだろうから。
 強さを得た、恋する少女の眼は強い。斜陽の陰にあって尚、まっすぐに正面から射貫かれればたじろいでしまう。
「――だから貴女はもっと頑張ってください」
 突き放すような言葉と突きつけられた教鞭。背を這い上がる危機感。平常状態でだるつく体に反して思考が一気にアラートを鳴らす。迫るのは死だ。教鞭がハートを描く。術式第一の解凍。展開。説明? それはちょっとまた今度! つまるところわたしを戦えるようにする準備一式的なやつ!
 放たれたピンクのビームを真正面から食らう。恋の暴力、衝撃派だ。術式を帯びたわたしはその場に留まれど、校舎の昇降口がバキバキに折れて飛び散っていく。私の肌は傷つかない、と言うにも流石に限度がある。バスターだぞ!? 突貫の標準装備じゃ肺の中まで焼かれそうだ。せっかくのセーラー服も焦げ焦げ、と思いきやそれなりに原形をとどめている。あちこちあやうい感じだけれど。
「そうですねえ……。年増で根暗、独占欲だけ一人前。そのくせ全能とかどうなんです? 絶対人気出ませんよね」
「げほっ……、いきなりひどすぎる……。いいじゃん別に、人気出そうなキャラメイクにしたらわたしじゃないだろ」
「そんなの知りませんけど、いいんじゃないですか。別に人気がなかったら連載打ち切り、とかそういうんじゃないんですから。精々這いつくばって、頑張って見せてください。それでこそ人間です」
 すっきりしたような顔で立っているけどこの人、少し落ち着いて話したら暴れないと気が済まないのか……!? 恐ろしいので目が離せないけど背後では下駄箱や正面の階段、購買部などがめちゃめちゃになっているような気がする。えっ誰が直すの……? わたしである。勘弁してくれ。もう一撃来たら大変怖いのでちょっとばかり、わたしと辺りを強化する。私は傷つかずどのような攻撃にも揺らがない。さながらキャメロットの盾が如く。
「諦めたような顔、されてると端的に、むかつきますから」
「諦めてないつもりなんだけど……うん、諦めたい、と思わないようにしたい」
「ぐだぐだですねえ……」
「お話できて楽しかったよ」
「そーですか。まあ、わたしもちょっと……」
 変わり映えのない夕陽を背に、らしくもないデレが彼女から飛び出しかける。とんでもないことしたあとだけど、悪びれもせずちょっぴり恥じらう表情は大層かわいい。とんでもないことしたあとだけど。けれど言葉の続きは紡がれず、彼女の表情が胡乱げになる。日頃わたしに向けるような。けれど視線の先はわたしでなく、わたしを飛び越えた、背後か?
「校舎を破壊するつもりですか……、と訊きにきたんですが、もう破壊されてますね」
 涼やかな声。最高。聞き慣れた、つまり天草の声である。
「あ、あまくさ」
 振り返るとべきべきにぶち壊されて焦げつき廃材と化した階段と購買部のカウンターを覗きこむ、重苦しい白のポニーテールが垂れている。いやちょっと……これは想像以上にひどい……、というのと不意打ちで天草がやってきた喜び、ハッピー最高な気持ちとないまぜになっているのだけれど強さとしては今日のところは引き分け! ハッピーだけどこの崩壊はマジでひどい。
「なにやら騒がしいですが、あまり……」
 いささか呆れ顔になったその人が振り返る。最高。いつでもかわいい。視線がわたしへと向けられて、少しばかりやわらいだ表情から軽く目を見開く。瞬きが一度、二度。後ろのBBを一瞥。わたしに戻された視線が上下する、頭から爪元まで。ちょっと待って。制服確かに破れてるけどそこまでではない! そこまでではないはず! 加えてなんと言うかこう、背後の彼女にもなにか気まずい! 視線が逸らされる、それは見たら悪いなのか見てはならないなのか、この姿、いいの!? 悪いの!? どっちなの!?!?
「もう……ほんっと……」
 背後から這うような怒気を孕んだ低い声。やばい。天草の視線は背後の少女へ向けられているけれど、いつも通り悠然としている。レジストだしね!! というのはともかく緊急回避を飛ばす。別にいいのに、という感情が暗に含まれた視線が一瞬向けられたけど悠長すぎる。教鞭を向けた彼女がすうと息を吸う。各位衝撃に備えよ。
「しゃらくさいんですよ!!!!!!」
 絶叫とともに再びの衝撃と破壊が吹き荒れる。残骸のへし折れる音。撒き上がる土埃。一瞬前にわたしの前へ立ちはだかった天草が衝撃を防いでいる。天草が助けてくれている。人がよいから、というのは確かだけれど、それだけでないとも思いたい。だってわたしはこれを真正面から食らっても、なんなら死んだとしても、大丈夫であるのだから。なので嬉しい、うれしいけれどこの男、空気は読めないのであった。受け流されるピンクの暴風雨の中、BBさらに怒るだろうなあ、と思いつつ、でも謝るのもなにか違う。どうしたらよいものか、思案しながら、ひとまずのところ天草の優しさを喜んでおくことにした。思考停止は悪すぎる癖である。



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