部誌13 | ナノ


年に三度



制服に伸ばしかけた手をとめて、少しだけ息を詰めた。
今日は、制服を着る日じゃない。今日は土曜日で、登校の必要がない日だ。だから、私服を選ばないといけない。
窓の日差しが、木漏れ日に微かに揺れた。そろりと振り返って、眩しい陽光を睫毛で翳して、外の様子を観察した。
どうやら、今日は風も少なくて、暑そうだ。
少しだけ落ち込む胸の内から目を背けながら、なまえはクローゼットを開いた。端から、クリーニングから帰ってきた冬の制服のブレザーが2着と、ズボン。それから、コートとジャケット。季節外れの服たちを見ながら、なまえはプラスティック製の引き出しを開いた。ぴしりと折り目正しく並んだシャツはどれも、なまえには似たり寄ったりに見える。
どれを選んでも、なんとかなるだろう、となまえは一番上にあったシャツを出した。
無難そうなズボンはすぐに見つかった。ベッドの上に並べてあわせてみたら、その服のもとの持ち主の顔がするりと出てきて、自分はこの服を彼ほどに着こなせないだろうな、と苦笑いする。
おさがりの服はなまえには少し、大きい。肩幅が少し、余ってしまう。でも、多分、半年くらいで、なまえの背丈は服のサイズに追いつくだろう、となまえは自分の成長を楽観視していた。
この服がピッタリになる自分はちょっとかっこいいんじゃないか、と微かな期待を込めて。
メーカーとか、型だとか、なまえにはよくわからない。
多分、いいところのものなのだろう、となまえは思う。どこで服を買っているのか、今度聞いてみようかな、と思いついて、それはきっと、先の話になるだろうな、と自分の思いつきに相槌をうった。
机の上に広げられた予備校のテキストとノートをまとめて、トン、と机の上におとして端を揃えた。なまえの数少ない元からの持ち物である鞄に、必要なものを詰めながら、この鞄は、この服にあわないなぁ、と、おもった。
でも、しばらくはこの鞄を使おうとなまえは決めていた。
掃除の行き届いた階段を降りる。インテリアの観葉植物を蹴倒さないように気を使って、いつものように手摺りを手繰り、足元を注視しながら降りる。無垢の木の階段に、なまえはまだ慣れない。無骨な蛍光塗料の貼られた滑り止めが恋しくなる。
これも、いつか、慣れるだろう。
他のことにひとつづつ慣れていったみたいに、慣れるだろう。
階段を降りて、顔を上げたなまえは、居るはずのないひとを見つけて、あ、という短い声を出した。あかりがついていないのに自然光が差し込んで明るい室内に、ピシリと隅までアイロンがきいたシャツを着こなした従兄弟が立っていた。
スラリと伸びた手足のシルエットをかっこいいなぁとなまえは思う。従兄弟とはいっても、一滴の血も繋がっていないことを少しばかり憎らしく思ったりする。血がつながっていたら、なまえもあんなふうにかっこよくなれたんじゃないか、と。ちょっとしたないものねだりだ。
「……今から予備校か」
「あ、うん。匡貴さんは、今日は、ええっと」
なまえはリビングの片隅のボードに目を走らせる。陽光はきれいにコントラストを効かせていて、影になった『家族の予定』は、なまえの位置からよく見えなかった。
「少し、予定に変更があったんだ。なまえは、講義にはまだはやいな」
この家の一人っ子の二宮匡貴は、そう言いながらボードを見た。少しだけ位置を変えたら、なまえにも内容が見えた。
「うん。煮詰まって来そうだったから、自習室で切り替えようかとおもって」
そう答えながら、なまえは一階用の自分のスリッパを履いた。階段をスリッパで昇降することは慣れなくて、なまえの分だけ一階用と二階用のスリッパがある。
この時間の匡貴の予定には『BORDER』と書かれていた。
二宮匡貴は大学生で、BORDERという組織に所属している。中身は色々と違うのだけれど、消防団のようなものだ。
匡貴はこの組織の活動に力を入れていて、日の高いうちに家の中で彼と顔を合わせるのは稀だ。そして、彼の両親は中々忙しく働いていて、この二宮家に一番長く居るのは、よそ者のなまえだった。
なまえは、しばらく前から二宮家で世話になっている。その原因は、二宮匡貴の所属するBORDERと少し関係があるけど、なまえはあまり、この話をしない。
どう触れればいいのかわからない、という顔をされるのも苦手だったし、なまえだって、どんな顔をすればいいのか、わからなかったから。
なまえにとっての幸いは、元々が連れ子で血が繋がらないにもかかわらず、書類上は甥っ子にあたる自分を二宮夫婦が引き取ってくれたこと。
二宮夫婦が、なまえのことをとても大切にしてくれていること。
いくらか年上の匡貴も、なまえのことを大切にしてくれている。なまえの服はほとんど匡貴のおさがりで、貰った服を着ていくと「センスが良くなった」と昔からの友人からは評判だった。
「……コーヒーを飲もうと思っていたんだが、飲んでからいかないか」
匡貴は、表情の読めない顔でそう言いながら、キッチンとリビングの明かりを灯した。
「……はい!」
少し年上の憧れの従兄弟の申し出になまえは大きく返事をした。パッと白い光に照らされた従兄弟の顔が少しだけ綻んだ気がした。
シュウ、というお湯のわく音がして、香ばしいコーヒー豆の香りが漂いはじめる。長袖を肘のあたりまで折り上げた匡貴が背筋をピンと伸ばしたままお湯をそそぐと、ガラスのなかに茶色の液体がぽとぽと落ちて溜まっていく。
二宮家のひとはドリッパーでコーヒーを淹れるのが得意で、朝に1杯、食後に1杯と頻繁にコーヒーが淹れられるが、匡貴が淹れたコーヒーをなまえが飲む機会は、あまりない。
トータルでいえば、年に計算して、3度くらいの頻度だろうか。
少なくとも、今まではそうだった。だけど、今週で数えれば、これで2回目。昨日の夕方と、続けて、今日。
珍しいこともあったものだと思いながら、なまえはコーヒーを沸かす端正な横顔を見た。
匡貴は、あまり表情が出ない。
きっぱりとものをいうから、厳しい人だと思われがちだけれど、やさしい人だとなまえは知っている。
シュガーポットの隣に、少しだけ温められたミルクが揃えられる。匡貴はブラック派だ。砂糖を使うのも、ミルクをいれるのもなまえ。二宮家では、コーヒーに砂糖をいれる人は居なかった。苦いコーヒーを、楽しめずに飲んでいたなまえに気がついてくれたのは匡貴だった。可愛らしい包み紙の角砂糖を、カップの横に添えてくれた日。あの日も、匡貴がこんな風に二人分のコーヒーを淹れてくれた。
その包み紙をなまえはお守り袋に折りたたんでいれてある。
「ありがとう」
無言で置かれたカップをふたつ、なまえはリビングに運ぶ。道具を片した匡貴が追いついてきて、彼の定位置に腰掛けた。
ゆらゆらと揺らめく湯気を見て、すん、とその匂いを嗅ぐ。香ばしい、いつものコーヒー豆の匂いがする。段々なまえも、コーヒーの違いがわかるようになってきた。それが、少し嬉しかった。
いただきます、と言ってから、砂糖とミルクをいれずに、一口だけ含んでみた。
匡貴が淹れるコーヒーは、バリスタが淹れたコーヒーみたいにとびっきり美味しいわけじゃない。ただ、いつも同じ味がする。
均一で、几帳面な味がする。
叔父さんのコーヒーは味にばらつきがあって、叔母さんのコーヒーが、一番おいしい。でも、なまえが一番すきなのは、匡貴が淹れるコーヒーだった。
なまえも、淹れてみたいな、と思っている。いつか。
どんな味がするだろうか。誰の味に近くなるんだろうか。匡貴に近いといいな、と思う。
シュガーポットを開いて一粒おとしてから、あたたかいミルクをカップに注いだ。
スプーンでそっと混ぜてから、零さないように気をつけて、カップを持ち上げる。自分で淹れたコーヒーに口をつけた匡貴は、何か言いたげな顔をして、自分のカップに視線をおとした
「匡貴さん?」
何か、あっただろうか。なまえにはわからない味の差があっただろうか。気になって声をかけた。
「……いや、母さんみたいにはいかないものだと思っただけだ」
「ふ、」
思わず、噴き出してしまったなまえに、匡貴がキョトンと目を見開く。しまった、と思うも、遅くて、なまえは慌てて、違うんです、と言う。
「たしかに、叔母さんのコーヒーは美味しいですけど……なんだか、意外で」
「意外?」
「俺、匡貴さんのコーヒーが、一番好きだから、」
いつも同じ味の彼のコーヒーが好きだ、と言おうとして、匡貴が叔母のようなコーヒーを目指して試行錯誤しているのなら、失礼な話だと言葉を選ぼうとする。
二宮家のリビングで、テレビがついていることはあまりない。静かな食卓に、なまえは慣れた。匡貴と4人、揃うことはあまりないけれど、静寂を寂しいとは感じないのが不思議だった。
でも今は、少し賑やかしがあればいいのに、と思う。
中々言葉が浮かばないなまえに、匡貴が先に口を開いた。
「……一番?」
「はい」
「そうか」
匡貴はそう言って、自分のカップと、なまえのカップを見比べてシュガーポットに手を伸ばした。ぽとり、と解けていく角砂糖を見ながら、意図に気がついてなまえは自分の隣のミルクを差し出した。
「飲み方は関係ないと思いますよ。俺、最近ブラックで味見するようにしてますし」
「そういえば」
そう言いながらも、匡貴は黒いカップの中身をミルク色に染める。彼のカップに足りないスプーンをなまえが差し出すと、匡貴はやわらかくわらって「ありがとう」と言った。
指先が、触れた。
カラン、と陶器を金属が叩いて、流体にさざめく音が、静かなリビングに響いた。
かっかっと規則正しく揺れる柱時計の音が、午後を刻んでいく。
匡貴がカップを傾けて、甘いミルクコーヒーを飲んだ。
「……あまいな」
なまえの網膜には、匡貴のやわらかい笑顔が焼き付いたままで、甘いと言った彼がどんな顔をしているのか、わからなかった。



prev / next

[ back to top ]



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -