部誌13 | ナノ


年に三度

一次創作企画BL


 俺が年に三度は実家に顔を出すと決めたのは、都内で就職して数年経ってからだった。日々の残業に追われ、精神をすり減らすなか──それでも秘書課が定時退庁日を省舎内にアナウンスし、ワークライフバランスの達成を促しているにもかかわらずだ──同じシマの上司からゴールデンウィークの話題を深夜二十三時に振られた時に、続けて言われたのだった。
 ──帰省はできる時にした方がいいぞ。仮に親が現在五十だとして、生きて後三十年とする。一年に一回ペースだと単純に三十回、一ヶ月分しかないだろ。だいたい親の死んだ後に『もっと会っておけば良かった』って言うのがお決まりだからな。後悔のないようにした方がいいってことだ。
 白髪混じりの頭を撫で付ける姿がどこか哀愁を帯びていたものの、そういった雰囲気をわざとらしく破って、「まあ俺らには仕事があるからなあ」と諦めを口にする。
 結局実家に顔を出すようになったのは地方へ出向したのが契機で、すでに四年の月日が流れていた。

 ところどころへし折れた紙パックのアイスコーヒーを冷蔵庫から取り出して、行儀悪くそのまま口をつけた時に、ちょうどガラスコップを持ち出した恋人と目が合った。冷房がよく効いた部屋ではあるが、少し外に置いただけでびっしょりと汗をかいてしまう。すでに手の甲を伝って水滴が下り落ちていくのを、諌めるような視線を舌から感じた。
 かわいくて仕方がない年下の恋人――善吾は、その円い目を吊り上げて俺を見つめている。男らしい体格なのは確かだが、いささか華奢なものだから、細い首に小さな頭が乗っかっているように見えてしまう。なおかつその顔の中に大きな目が二つとも俺を見ていた。その目に弱い。睫毛の長さが分かるような距離まで近づいて、仕事のない左手にわざわざ握らせてくる。四年の歳月の内に得たパートナーはずいぶん俺の世話に長けていた。
「雄嘉さん、コップ」
「すぐ飲み切るから」
「そんなこと言って。手、ビショビショじゃないですか。それに前、突然噴き出して服もテーブルもコーヒーまみれにしたの、忘れちゃったんですか」
 俺はちゃんと覚えているんですから、と重ねて善吾が言う。仕方なく飲み口を自分の口からコップの端に寄せて流し込むと、コップの八割を満たして紙パックは空になった。先にシンクで中身を洗ってから逆さまに置き、残りのコーヒーを流し込む。
「ところで今年のお盆はどうするんですか」 飲み切ったところを見た善吾が見計らったように言った。帰省のことを言っているのだ。窓の外には蝉時雨が降っていて、喧騒とまるで変わらない。強い日差しが窓枠のサッシを焼いていて、それが反射して部屋中の白い壁を照らしている。冷房がよく効いた部屋では、静かな送風音しかない。
「お前はどうする? いつもはどうしてたんだ」
 続けて「気分が乗れば墓参りぐらいは行こうと思っているけど」と言うと、急に善吾が口をつぐんだ。首を傾げても、すぐに善吾が答えようとしない。ハネッ毛の頭の後ろを手のひらで撫でつけながら、目を泳がせていた。それからしばらくして、出し惜しみするかのように口を曲げたり開閉したりしてからようやく話し始めた。
「予定は、ないんですけど」
 空のガラスコップをシンクに置いて、それからまた新しくブラックコーヒーのペットボトルを冷蔵庫から出すぐらいには会話に間があった。
「ないけど?」
「雄嘉さん、一人で帰省するなら、どうしようかなって。いつもは……その……言いづらいんですけど」
「あー……無理して言うことじゃねえからな」 飲み干されるタイミングを見失ったペットボトルが汗をかきはじめる。
「都合が合うなら一緒に来るか? 熊本。嫌じゃなかったら」
 そう言いつつも、すでに脳内では断られた時のシミュレーションが始まっていた。否、この会話の流れから善吾が断ることはなさそうなのだが、先に心の準備をしておかなければ予想以上に心に響くのは俺の方だ。善吾の表情を見ないようにペットボトルの蓋を緩めようとすると、その手に別の体温が乗る。
「い、いいんですか」 善吾の手が水気を含む。
「平野だから暑いけど。飛行機平気か」
「飛行機……! ちょっとした旅行ですね」 さっきまでの陰鬱とした表情が飛ばされて、今では目を細めている。睫毛の影が見えた。唇がはくはくと動くのに目が離せなくなった。善吾の赤い目が俺を捉えた時に、腰を屈める。ペットボトルを持ったまま引き寄せたせいで、結露が善吾の服にひっついた。
「……雄嘉さん。ペットボトル、冷たいんですけど」 コーヒーの味を善吾に移したところで、善吾が眉を下げて言う。
「悪い」 善吾の頬に名残惜しさを押し付けて、ペットボトルを冷蔵庫に戻した。善吾に目を遣ると、自分の濡れた服を振り返ってつまんでいる。薄い腹が開けて見える。俺の視線に気づいた善吾が慌てて服を整えた。
「じゃあ、ちょっとした旅行な」 あまりにも善吾が嬉しそうにするので、つい頭に手が伸びる。傷みの少ない髪が俺の手のひらを押して反発してくるのが気持ちいい。善吾は嫌がらずににこにことしていた。
「へへ、楽しみです。うち、盆休みはあるんですけど、せっかくだから有給取ろうかな。雄嘉さんの地元、案内してくださいね」 
「せっかくだからって、年に二回……いや三回か? それぐらいは顔出すから、すぐに見飽きると思うぜ」
 ──帰省はできる時にした方がいい。
 ふと、かつての上司の言葉が蘇る。気の合わない親父の顔が目に浮かんだ。それから手入れが込んだ墓石。夏の草の匂い。寂しいに似た思い出さえやってこようとする。
「そんなに連れて行ってくれるんですか」 赤い目がきらきらと輝いて見えた。善吾の顔が目に飛び込んできて、一瞬のうちに郷愁が飛び去ってしまう。
「まあ、お前が嫌じゃなければ」
「嫌じゃない!」 一際大きな声が部屋に響く。それを恥じて、善吾が顔を赤くした。それでいて急にしおらしくなる。
「あの、連れて行ってくださいね。俺でよければ、ですけど」 照れくさそうに善吾が言うので、俺もつられて頬をかいてしまった。
「善吾以外に誰連れていけっていうんだよ」
「じゃあ、俺だけ。俺だけ連れて行ってくださいね。約束ですよ」



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