部誌13 | ナノ


年に三度



 ケーキの入った紙箱を掲げながら、「や!」と笑えば、ドアを開けて真純を出迎えた男はぱちくりと目を瞬かせた。

「あのね、年頃の女の子が一人暮らしの男の家をホイホイ訪ねるもんじゃないよ」
 しかもこんな夜に。そう、キッチンで湯を沸かしながら、なまえが少し声を張って真純に注意を促した。既に家へ上げているのに今更だなあと、リビングのソファに転がった真純はくすくす笑いを漏らす。
 なまえはこういうときいつも尤もらしいことを言うが、結局真純に甘いので、こちらがちょっと押せばすぐに折れた。ちょろい、と思いながら、幼いころから慕ってきた優しい兄貴分が、変わりなく自分を慈しんでくれることの喜びを噛みしめていた。
 なまえの部屋はいつ訪ねても掃除が行き届き、特にキッチンはたくさんの調理器具と細々とした調味料、彼が趣味で買い揃えた食器が整然と並んでいる。昔から食に興味を持っていたなまえらしく、いまは都内の病院で栄養士として働いていると聞いていた。家族全員波瀾万丈な世良家と比べれば、とても堅実な人生だ。
 鼻を擽るコーヒーの香りに、お茶の準備ができたことを知る。ごろりと寝転がっていたソファから、足を上げて反動をつけ、がばっと起きあがった。
 食事用のダイニングテーブルに、なまえが二人分の皿を並べていく。真純は冷蔵庫から、持参したケーキの箱をそっと取り出し開封する。中にはショートケーキが二つ、白いクリームの上には艶やかな赤色を輝かせる苺が掲げられている、日本で一番スタンダードなケーキだ。
 箱には数字の2と8をかたどった黄緑色とピンク色の蝋燭が同封されていて、真純はにやりと、上目になまえを見る。
「これ、火、点けるか?」
「ふつうワンピースのケーキには蝋燭立てないんじゃない? いいよ、恥ずかしいし」
「恥ずかしい方が本音だよね、それ」
 にやにや笑いを深めながら、悪ふざけで貰ってきた蝋燭を大人しく箱の中へ戻した。空になったそれを畳んでキッチンへ片づければ、テーブルの上はレースペーパーが敷かれた皿の上にショートケーキが厳かに奉られていた。
 準備は万端。真純となまえは向き合う形で着席し、「では」と真純が口を切った。大きく笑った唇の端から、無邪気な八重歯が覗く。
「なまえくん、28回目の誕生日、おめでとう!」
「はい、ありがとう、真純ちゃん」
 二つのマグカップを掲げ、乾杯。今日28歳を迎えた男と、それより10歳若い女子高生が向かい合って誕生日を祝う光景は、恋人というには他人行儀で、兄妹と言おうにも血縁はなかった。
 事情を知らない者から見れば奇妙な二人組は、しかしアパートの一室でごく自然に誕生祝いのケーキをつつく。彼らがともに誕生日を祝うのは初めてではないが、数年ぶりのことだ。けれども空白を感じさせないほどに、にこやかであった。
「それさ」
 フォークが沈み込むしっとりとしたスポンジケーキを堪能しながら、真純が視線でなまえのマグカップを示した。真純の言わんところを察した彼は、はにかみながら、「ああ、うん」と頷いた。
「昔、秀吉と真純ちゃんで、選んでくれたやつ」
 青地に白猫が描かれたそれに、見覚えがあるのは当然だった。なまえのマグカップは、彼が高校生の頃、同級生である秀吉の妹――つまり真純である――の面倒を見るために、放課後世良家へ通っていた頃に、真純と秀吉でなまえのために選んだものである。
 よく十年ももったものだと、真純はなまえの物持ちの良さに感嘆する。その頃真純が持っていたマグカップは、母がイギリス土産に買ってくれたものだったが、度重なる引っ越しのうちに紛失してしまった。
 ショートケーキの上のイチゴを口に運ぶなまえは、目をきらきらさせてマグカップを懐かしむ真純に、目を細める。
「でもまさか、真純ちゃんがおれの誕生日を覚えてくれてたなんて、うれしいなあ」
 真純は目を見開くと「は!?」と驚愕の声を上げた。
「ボクがなまえ君の誕生日を忘れるわけないじゃないか! 昔は一緒にお祝いしただろ!?」
「そう、だけど。もう何年も真純ちゃんとは連絡取ってなかっただろ。もうおれのことなんて忘れちゃったかなって」
「それはボクがイギリスに行ってたから!」
 頬を膨らませ、むーっとなまえへ非難の視線を送る。真純だってなまえへ連絡したかったのは山々だったが、のっぴきならない事情があって、自由には動けなかったのだ。彼を危険な事件に巻き込むわけにもいかないし。
 こうしてお祝いに押し掛けたことで誤解は晴れたが、一瞬でも彼に寂しい思いをさせていたということが許し難かった。
「……連絡、できなくてごめん」
 しょんぼり、うなだれて謝ると、なまえが「気にしないで」と慌てる。
「こうして来てくれて、昔みたいに誕生日を祝えただけでおれは嬉しいよ! 昔は、真純ちゃんと、秀吉と、おれと、それぞれケーキを買ってお祝いしたよね!」
 湿っぽくなった空気を払拭しようとしてるのか、あわあわと手を動かし、彼は早口でまくし立てた。
 きっと真純が泣くとでも思ったのかもしれない。もうとっくにそんな年ではないのに、なまえの記憶に色濃いのは幼いころの笑ったり泣いたり感情表現豊かな純真無垢な世良真純なのだろう。やっぱり、子供扱いが抜けていないと、真純は曇り顔から一転、くすりと笑ってしまった。
「そうだね。ボクと、吉兄と、なまえ君、それぞれの誕生日のときは、ケーキ買ってきて食べたんだよね」
「そうそう。おれや秀吉が高校卒業したらなかなかそういうこともできなくなっちゃって……もう滅多にケーキ屋でケーキ買うこともなくなったよ」
 あはは、と笑うなまえは当時を思い出しているのだろう。遠くを見ているその瞳が、少しだけ寂しげに揺れるのを、探偵の観察眼は見逃さなかった。
 昔から、この人は秀吉の話をするとき、こういう目をしていた。鈍感な兄が気づいていたのかは分からないが、なまえへ特別な執着心を抱いていた真純は、敏感に察知していた。なまえは秀吉のことが好きなのだと。
「ボクの誕生日はなまえ君がケーキ買ってきてくれる?」
「もちろんだよ。おれでよければ」
 最後のひとかけを咀嚼したなまえは「ごちそうさま」と手を合わせ、皿を流しへと運ぶ。その横顔を、真純は頬杖をついて眺めていた。
 彼はいま、交際している人はいないと聞いた。それは男も女も。もしかしたらまだ秀吉に思いを寄せているのかもしれないが、秀吉には熱を上げている女性がいると聞いている。
 それを知らないなまえではないだろうに。いじらしいやら、いたわしいやら。
「なまえ君、ボク思ったんだけど」
「うん?」
 流しから水音が聞こえる。洗い物を始めたらしいなまえは、視線は手元のまま、真純に背を向けて声だけで返事をした。
「ボクたち、結婚しないか?」
 かちゃかちゃと食器同士がぶつかる音が途絶え、水音だけが真純たちの間に響く。
「子供ができたら、年に三度のバースデーケーキで、ほら、元通りだ」

――がしゃん。派手な音がキッチンで響いた。割ったかな、と真純は他人事のように思う。
 振り返ったなまえは状況が理解できていないのか、ぽかんと口をあけている。そんな彼に、真純は猫科の獣を思わせる八重歯を覗かせ、にやりと不敵に笑った。



prev / next

[ back to top ]



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -