部誌13 | ナノ


年に三度



 ついにこの日が来てしまった。
 風呂上がりでパンツ一丁のまま、壁にかけられたカレンダーを仁王立ちで睨みつける。今の時期は暖かくなってきたおかげでパンツだけでも寒くはないから助かる。いっておくが決して裸族ではない。ちょっと暑がりなだけ、と何度も説明しても時折泊まりに来る恋人は理解してくれないのだ。正直、いい年して水玉模様のピンクパジャマとナイトキャップを被って眠る恋人のほうが俺には理解できない。可愛いけど、可愛いのは知っているからとりあえず話を戻す。
 カレンダーには予定がいくつか書き込まれている中で、一際目立つのが明日の予定だ。赤丸で大きく囲われ、これまた赤文字で予定が入っている。

『お付き合い記念日』

「……逃げるか」
 決意をしてしまえば動くのも早い。俺はすぐさま服を着替え、簡単な荷物を持って家を出るまで15分もかからなかった。

 恋人としてあるまじき行動だと思われるかもしれないが、まずは弁解させてほしい。
 俺の恋人は忙しい。会う時間も限られるし、会えたとしても急な仕事で中断になることなど日常茶飯事だ。仕事だから仕方ないと割り切ってはいるが、俺以上に気にしている恋人はデートが中断されるたびに胃を痛めてしまう始末。このままだと胃に穴を開けかねんと考えた末にある打開策を持ちかけた。
『年に三度、一日休暇を取って二人で過ごす』
 たとえ普段会えなくても、その3日だけはお互い仕事を休んで二人でゆっくり過ごすといったものだった。それならば忙しい恋人もそれなりに時間は取れるだろうと考えた。恋人もその案に賛成してくれたのだが、せっかくだから二人の記念日にしたいと無茶を言い出したのだ。さすがに忙しいのだから無理なのではと説得を試みるも頑固でロマンティストな恋人は頑なに折れないせいでこちらが渋々承諾するしかなかった。
 選んだ3日はとても分かりやすい。恋人の誕生日、俺の誕生日、そして交際した日だ。交際した日なんてすっかり忘れていたというのに恋人はしっかり覚えていたのでその日に決定した。
 花を飛ばして手帳に予定を書き込む恋人を眺めながらどうせ仕事で流れるだろうなと肩を落とす。だが、相手がどんな人物か忘れていた。
 恋人の名前はクラウス・V・ラインヘルツ。どんな困難な状況であろうと有言実行を貫き、同時にイベント事に関してめちゃくちゃ張り切るお祭り男だということを。

「……それで、なぜ逃げようとしたのだね?」
 年齢に見合わない落ち着いた声は、普段の何オクターブも低くして自分に尋ねてくる。その声だけで相手の機嫌が分かってしまい、身を竦めた。顔も声も上げられず、黙って下を向く。だんまりを決め込む自分に、クラウスは再度名を呼ぶ。
「人と話すときは目を合わせるべきだと、教えたのは君のはずだが?」
 静かに窘めながらも拒否を認めない姿勢に言葉を詰まらせる。最初の頃のネタを引っ張り出すのは卑怯だと抗議が出来る雰囲気でもなく、諦めてゆっくりと顔を上げた。目が合った瞬間、熱風が襲いかかってくる。否、これは熱風ではない。恋人の怒気だ。先ほどまの静かな空気が一変して嘘一つでも首が飛ぶ法廷へと変わる。
 あ、これはあかんやつだ。命の危機を感じて軽く意識が飛びかける。いっそそのまま行きと飛ばせたらどんなによかったか、そんな細やかな願いも裁判長もとい恋人の手で見事に打ち壊された。
「最初の時点で約束したはずだ、『年に三度、一日休暇を取って二人で過ごす』と」
 君の誕生日、私の誕生日、そして今日である交際記念日。指折り数えて丁寧に説明してくれるも、それは親切どころか責めているように受け取ってしまうのは罪悪感からだろうか。
「私は以前から君に伝えていたはずだが、0時と同時に君を迎えに行くと。私はこの日をずっと楽しみにして……そう楽しみに…ううううっ」
「ああもうっ、俺が悪かったって!! 謝るからそんな胃を痛めるくらい悩むなよ!!」
 突然前のめりになって胸を押さえて呻くクラウスに耐えきれず駆け寄った。恐ろしい形相を浮かべるクラウスは本来約束を破った自分を責めても良い立場だというのに、怒るどころか自分に原因があったのではと自分自身を責めてしまう極めて生真面目な性格の持ち主であった。
 行動に起こせばクラウスがこうなることぐらい予測はついていた。実際に目の当たりにしてしまうと良心に罪悪感という矢がズキズキと突き刺してくる。クラウスの傍らには抱えるには大きすぎる真っ赤な薔薇の花束が置かれていた。きっと0時と同時に自分に渡す予定だったのだろう。嗚呼くそったれ、また矢が突き刺してきたではないが。
「あのな、俺だってどうしようか迷ったんだ。でもさすがにその、色々とだな……」
「色々とは、一体なんなのだね……まさか、私と」
「別れるなんて思ってないぞ! それは断じてない!」
 不安げに顔色を窺ってくるクラウスを安心させるために頭を胸に引き寄せる。わしゃわしゃと髪を乱暴に掻き回してやるも、クラウスの呻き声は止まない。もう隠すのも無理だと早々に白旗を振ってみせるしか選択肢はなかった。
「……お前すげぇはしゃぐから、申し訳なくなったんだよ」
「い、嫌だったのかね?」
「嫌じゃないけどさ、嫌じゃないんだけど……限度ってもんがあるだろ!! ほら俺の誕生日に連れていってくれtあの、あれ……ビールっぽい名前の店!!」
「モルツォグァッツァ?」
「それ!! あれ反則だろ!!」
 俺の誕生日の際、クラウスはその日のために予約が難しい三ツ星レストランをわざわざ予約してくれた。その名はモルツォグァッツァ、知る人ぞ知る最高級レストランに行ける日が来るとは思わなくてあまりの嬉しさに行く前に盛り上がってしまったのは良い思い出。しかし、問題は行ってからだった。
「美味しくなかったかね?」
「美味しかったけど!! 美味しすぎて記憶から飛んだくらいだったけどな! さすがに気付いたらお前の上に乗っかって腰振ってるとかなんだよあれ!??」
「あれはあまりの料理の美味しさに君のキャパがオーバーしてしまい、死の危険と捉えたことで子孫を残そうとしたのではないかとギルベルトが」
「解説ありがとな!! それいま知りたくなかった!!」
 美味しすぎて理性が飛ぶなんて誰が思うだろうか、意識が戻ってきたときにはクラウスに乗っかっていたときはさすがに血の気が引いた。しかも、場所がまさかの車の中、まだ店内で致さなかっただけマシだと思いたいが、あんな状態になるまで一体自分はどんな言動を繰り出していたのかと考えるだけで顔から火が出そうになる。
「お前の誕生日のときだって、お願いなんでも聞いてやるとはいったけど……さすがに24時間耐久セックスは、お前のちんこに慣れてる俺でも死ぬかと思ったんだぞ」
「す、すまないっ……君とゆっくり致す時間がなかったので、誕生日くらいはと……すまない、軽率だった」
「ばっきゃろう、ちゃんと気持ちよかったわ! でも互いの体力の限度はちゃんと考えような!?」
 まさか恋人から誕生日にそんなエロいおねだりを受けて張り切ってしまったのが運の尽き、そのときの詳細はさすがにここでは話せなければ口にしたら最後消さねばならない。もちろん話した相手をだ。
 そうした過去の経験を思い返して、記念日と称してはしゃぐクラウスに便乗したら禄な目に合わないという結論に至った。今回なんて二人が付き合った日、クラウスがはしゃがないわけがない。絶対に何か目論んでるのは至極明確、だとすれば残された道は一つしかなかった。
「それが私から逃げた理由かね?」
「……いやさすがにさ、ヤる口実もなくはないんだがそろそろ年齢的に体力がな…」
 片や前線に立って敵を屠る体力お化け、そしてこっちは性欲が強けれど体力は平均なノーマルピーポー。どう考えても体力の差は歴然ではないか。そんな体力おばけにこっちが合わせてみろ、死ぬだろ。俺が。しかもこっちが抗議してもを貸さないときた。これだから元童貞は困るんだ。
 というのを直接だと胃をさらに痛めかねないので優しいオブラートに包んで伝える自分は大概甘い。けれど、やっぱり真面目なクラウスはそれを重く受け取ってしまったようで目に見えてしょんぼりと肩を落としてしまう。
「……もしや、君は無理して私に合わせてくれていたのだろうか」
「いやそれはない」
 背後に見えたチワワのせいで即座に否定の言葉が出てしまったではないか。もちろん口にでは言葉は嘘ではない。年に三回、それだけのためでも日々の糧にはなっている。そしてその日のためにクラウスが自分のために色々準備してくれたことも、自分を独占したいと思うことも、全て嫌ではないしむしろ嬉しいと思う。
 だが、せめて、せめてヤるときは加減をしてほしい。ずっと待てをさせているのは申し訳ないと思うがそれとこれとは話は別ではないだろうか。でないと俺の将来の死因は腹上死待ったなしだ。
 否定してくれたのかよっぽど嬉しかったのかどんよりとした空気が一気に花が振りまかれている。カワ(・∀・)イイ!! 間違えた可愛い。こうしたギャップがずるいのだ。それにクラウスの仕事を100%理解しきれてはいないが、こういうときぐらい普通の恋人らしいことをしてやりたいとついつい甘やかしたくなってしまう。こういうところが駄目なんだろ、知ってる!
 我慢できずに頭を撫で回して愛でていると、髪がぼさぼさになってしまったクラウスがおずおずと尋ねてきた。
「その、君が許してくるのであれば私と今日一日過ごしてもらないだろうか?」
「許す許さない以前に俺が先に約束破ろうとしたんだぜ、詫びとして今回はお前が全部決めていいよ」
 なんならまた24時間耐久レースでもいいし、モルツォグァッツァに行ってもいい。ただしどちらも責任は取らない。怖くなって逃げたというのに腹が据わればなんでも受け入れれるようになるのだから笑える話だ。
 腕を広げてお好きにどうぞと姿勢を見せてやればクラウスの頭上の花がポンポンと飛び散っていく。おいおいこの部屋をお花畑にするつもりかと笑いそうになったところでいきなり俺を抱き上げて歩き出した。
「実は君を連れていきたい場所があるのだ」
「ん? もしかして、またモルツォグァッツァか……?」
「残念ながら今回は違う、実は以前から色々な方の協力を得て密かに準備をしていたのだが今回やっと完成に至ったのだ」
「ええええ……一体なんだよそれ…」
 俺が女であればお姫様抱っこなのだろうが、なぜか米俵担ぎをされて移動される。扱いが雑過ぎやしないだろうか、いささか複雑な心境を抱きながらも黙って運ばれることを選ぶ。
「以前から常々思っていたのだ、年に三度と決めたにせよやはり一日は非常に短いと。どうすれば君と長く過ごせるか私はずっと考えていた」
「んん? もしかして年に三度は不満だったか?」
「いや、君の案には私も賛成している。私の仕事上時間が取れないのは致し方ないのでこうした特別な日を設けてもらうことで日々の活力になっているーーーしかし、私も人の子。恋人と過ごす時間は少しでも長く在りたい。そこで私はあることを考えたのだ」
 いっそその『一日そのもの』を伸ばせばいのではないかと。
 クラウスの真意がいまいち理解できず首を傾げる。
「どういうことだそれ、一日は24時間って決まってるんだから無理に決まってるだろ」
「うむ、定められた時間の流れを変える不可能だ。だが、たとえばの話ーーー『ある一定の空間だけ時間の流れを変える』という非科学的な事案も、この《街》であれば不可能さえ可能にさせられる」
 サァッと血の気が一瞬で引いていく感覚が襲いかかる。無意識に体に力がこもるが、腰を掴まれているせいで動けない。そこでやっと、この体勢の意味を理解した。これは雑な扱いなのではない、逃さないためだったのだ。
「く、クラウス……?」
「HLの技術と、術師の協力を得てつい先日やっと完成したのだ。君とゆっくり過ごすための部屋だ」
「へ、部屋……?」
「一種の亜空間というべきか、その部屋の中で過ごす一日はこちらでは一時間しか経過していない。HLだからこそできた特別な部屋なのだ」
「えっ、それって」
 こっちが1日経っていても、その部屋では24日過ごしているという計算になる。
 HLはなんでも起こる事は知っていたが、予想の上回る展開に愕然とする。そして、そんなことをまるで子供の種明かしのように楽しげに話すクラウスに恐怖を覚えた。
「さ、さすがにそれ大丈夫なのか? 仕事で呼び出しとかされたら」
「おや、君は忘れてしまったのかね? 今日という日がどういう日か」
 『年に三度、一日休暇を取って二人で過ごす』
 もちろん覚えている。覚えてはいるが、さすがにそれは反則すぎではないだろうか。そうしている間にも早足で向かうクラウスはどんどん目的の場所へと近づいていく。
「君が逃亡を謀ったおかげであと22時間しか残っていない。我々には時間があまりにも少なすぎる」
「いや、あと22日も残ってんじゃん……」
 無意味だと分かっていながらもツッコんではみたが、いまのクラウスは部屋でどう過ごすかばかり考えて耳に入っていないだろう。
 コツコツとクラウスの歩く音だけが廊下に響く。いつもいる執事の姿が見えないのはきっともう二人の時間が始まっているから気を配ったのだろうか。助けを求めたところで主人第一の彼が助けてくれないのは知っていたので、もう逃げる気にもならなかった。
 コツコツコツン、クラウスの靴音が止まる。

「さあ、年に三度の蜜月を始めようではないか」

 そう高らかに宣言したクラウスの声はいつも以上にはしゃいでいた。



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