部誌12 | ナノ


私を殺して会いに来て



細く白い指先が、頬をなぞる。
透き通ったそれに熱を感じるはずなどないのに、頬を包まれ、額同士が触れ合うことで、相手の熱や呼吸を錯覚してしまう。

幽霊のようなそれの名前を、ジュラキュール・ミホークは未だ知らない。

「私を殺して、会いに来て」

そう願う彼の言葉以外、何も。
何も、知らない。




かつてのシッケアール王国で暮らすミホークの傍には不本意ながらペローナという存在があった。が、彼が幽霊といったものを信じているかどうかと問われれば、否と答えるだろう。このグランドラインには摩訶不思議なもので溢れていて、幽霊などというものを可視化する現象があったとしても、否と答える。何故ならば、彼を恨む人間が、彼の前に幽霊として現れないからだ。
ゲッコー・モリアの能力は特殊だが、それにも限りがあれば条件もある。影という概念がどういうものかミホークにとってはどうでもいいことだが、つまりは悪魔の実の能力を以てしても、生前から干渉しなければ幽霊などという曖昧なものをどうこうすることはできないということに違いないだろう。

ならば、とミホークは考える。
毎夜のごとく現れる彼の者は、一体何者なのだろう、と。

口うるさいペローナが眠りにつき、夜の静けさの中ワインを引っかけるのが、ミホークの最近の楽しみだった。蝋燭の灯りだけが光源の薄暗い部屋は、陰気くさいとペローナに罵られたこともある。しかし、わずかな風に揺蕩う炎を眺めながら、静かに酒を飲む行為は、ことのほかミホークを愉しませるのだから、止める気なぞさらさらなかった。尤も他のことであっても、ペローナに何を言われても止める気はないのだが。

独りきりで味わう嗜好の時間に、邪魔が入ったのはいつからだったか。
はじめはうすぼらけた靄のようなものだったそれが、日を追うごとに段々と形を成していくのを、ミホークは観察していた。害意のあるものではないようだった。あったとしても、傍らの「夜」があれば大抵のものは斬れる自信があった。
白い靄が人の形を成し、ミホークを認識して触れようと手を伸ばし、語りかけるようになるのに、そう時間はかからなかった。靄だったものは青年の姿で、ミホークを見つめる。

「―――、」

彼の発する言葉を、ミホークは聞き取れなかった。声帯がいまだ形成されていないのか、はたまた元より喋ることができないのか。何某かの能力によってこの場に存在しているのかすらミホークには判らない。誰かの企みだとしても、何のためにこの力なき者が寄越されたのか。考えてはみたが、すぐにどうでもいいことだと投げやった。目の前の青年の見目は、酒の肴ぐらいにはなっている。それだけでミホークにとっては十分だった。

朝日を浴びれば掻き消えてしまう彼が、己の言葉をミホークに伝えるようになったのは、ミホークのもとに靄として現れてから、ひと月以上経過してのことだった。

「わたしをころしてあいにきて」

切実な訴えだろうその言葉は不可解だ。ようやく聞き取れた言葉に思わず片眉を上げる。恐らくは生霊のようなものだと断じていたミホークだったが、切実に何かを訴えてきた彼の願いが、そんなものだとは思いもしなかったのだ。
芳醇なワインを口に含みながら、ミホークはそれだけを告げて切なそうにこちらを見やる彼に視線を向ける。願うように見つめる彼に、しかし興は乗らず、ミホークはそっと目を閉じた。

「わたしをころしてあいにきて」

夜毎現れる彼は、まるでそれしか言えないようだった。透明な指先が遠慮がちにミホークに触れる。その様子を無感動にミホークは見つめた。嫌がらないことに勇気を得たのか、頬に触れ、その身を寄せてきた。
額同士が触れ合う。感触なぞないはずなのに、確かにそこにいるのだと、そう思えた。

「――、」

音にならないそれは、恐らくはミホークの名を呼んだ。そうして朝焼けとともに掻き消えた彼の姿に、思わず手が伸びたのは、何故だったのだろう。

そうして、それ以来彼は現れなくなった。


かつては旨いと感じていたはずの酒が、味気ないものになってしまった。それでも酒は酒なので飲み続けていても、旨くないことに変わりはなく。

「――馬鹿者が」

会いに来いと言うのなら、せめて名前くらい名乗ればいいものを。
重い腰をあげたことに、さしたる理由はなかった。夜毎現れては消える酔狂な人間の、実態を確かめてみようと、それだけだった。
ミホークは孤高と呼ばれる存在ではあるが、王下七武海ともなれば、それなりの人脈は得ている。この広大なグランドラインでも、人探しはそう困難なことでもなかった。王下七武海という地位は、それだけの価値がある。似顔絵を描かせ、知り合いの情報通に流せば、そう時間はかからずに見つかった。

「出る」

「は!? どこにだよ!? オイ!?」

ペローナのわめく声を背中で受け止めながら、ミホークは愛用の棺船に飛び乗った。いつものような気まぐれな旅ではないのだから、途中で速そうな海賊船を見つけ次第、強襲して乗っ取らねばなるまい。今回の旅は、速さを貴ぶのだから。

何度も海賊船を乗り継いだ果てに辿りついた、そこに、果たして彼はいた。
新世界にある、とある海賊団が支配する島に、彼ではない、彼がいた。

透明でも薄靄でもない、実体を伴った、青年だった。夜毎ミホークの元に現れては、不可思議なことを願っていた、あの青年に間違いないと確信する。実体のある彼の姿をみて解る。やはりあれは、生霊だったのだ。

「誰だ、お前」

下劣極まりない、品性の欠片もない表情で、ミホークに語りかける。王下七武海であるミホークを知らないのだろう、その態度はあまりにも不遜だ。ミホークの顔を知っているらしい彼の配下が顔を青ざめさせていたが、それに気づく気配もない。両腕に娼婦を抱き、悪趣味な装飾品で飾り立てられている。

間違いなく彼であるのに、間違いなく彼ではない。
ミホークは逡巡し、そうして、答えを出した。

かつての彼の、望むままに。

すらりと愛刀、「夜」を抜く。美しい黒は、日の光をはじくこともなく、そこに在った。あらゆるものを斬る刀は、恐らく「それ」をも、切り伏せるだろう。
きゃあ、と娼婦の悲鳴が上がる。逃げ出した女共に一瞥することのなく、ミホークはひたすらに、青年だけを見ていた。

「なんだよ、なんなんだよ! どういうつもりだよ! ワタシはこの島の海賊団の息子――」

「黙れ」

腰を抜かし、地に尻をつけ、無様にも逃げ出そうとする青年に一言告げ、刀を薙ぐ。
肉を断つ感触はなかったが、確かに「何か」を、ミホークは斬った。

変化は一瞬だった。
瞬きひとつで、下劣なそれは、「彼」になった。

「ミホーク……」

嗚呼。
紛れもなくそれは、彼の声だ。

納刀し、手を差し出すと、震える手で彼は手を伸ばした。触れ合った瞬間、チリチリと電気が走った気がして、お互いが一瞬手を引いた。それでもと、その細い手首を掴んだのは、ミホークだ。
掴んだ腕を引いて、立たせる。たたらを踏んでこちらに倒れ込んできた青年を受け止めた。驚きから冷めやらぬのか、茫然とした様子で、近すぎる距離にも気づいていないようだった。

「ミホーク、ほんもの……? おれ、いきて」

じわじわと、滲んでゆく涙を、美しいと思った。掴んでいた腕を引き、己の頬に触れさせると、青年は涙の滲む瞳を笑みに歪ませた。

「あったかい」

目尻からひとつ、涙がこぼれた。それを親指で拭ってやり、そのまま頭を撫でてやる。青年はミホークの行動を嫌がることなく受け入れた。その様子に、これは己のものだと、そう思った。
ポン、と頭を叩くと、掴んだままの彼の手を引いて歩き出す。抵抗もなくついてくる青年の様子に、やはりと確信を得る。

「ぼ、ぼっちゃん! どこに行かれるんですか!」

後ろから「青年だったもの」からの配下の声がかかる。ミホークに腕を引かれながら、無理矢理後ろを振り向いた青年は、笑顔のままに宣言した。

「悪いな、あんたらの坊ちゃんとやらは死んだ! 親父さんにもそう言っといてくれ!」

「え、ええ!?」

疑問符を頭に浮かべる配下に構わず、青年は前を向くと、片手で器用に首にかかっていた宝石まみれのネックレスを取り外した。ああ重かった、と笑う姿に、下劣だった頃の名残は見えない。

「これ、捨てた方がいい? それとも売れば金になるかな」

「好きにするといい」

「じゃあこいつには悪いけど売って当座の軍資金にしよう。服も買いたいし」

こいつ、というのは、ミホークが斬る前の存在のことだろう。悪いけど、と口にしながらも、悪びれもなければ、いっそ嫌悪すらうかがえる。ズボンのポケットにネックレスを適当に突っこむと趣味じゃないんだよなあ、と胸元が開いたシャツを抓んだ。

「名は」

「え?」

「名は、なんという」

ミホークと青年とでは身長差があり、足の長さにも差があった。ほぼ駆け足でついてくる青年に、歩く速度を緩めて問えば、青年は花のような笑顔をミホークに向けた。

「なまえ!」

それは、ミホークが得た情報とは異なる名前だったが、知り得ていた名前よりはよっぽど青年に似合っていた。

「なまえ」

「ミホーク、ミホーク、助けてくれてありがとう、おれに、会いに来てくれてありがとう」

ぎゅう、と青年が――なまえが、ミホークの腕を握る。その温もりに、ミホークは思わず息を吐いた。

「ありがとう、「ワタシ」を殺してくれて――おれ、おれ、は」

それ以上言葉にならなくなったらしいなまえのために足を止め、抱き寄せる。驚きに顔を上げたなまえの目尻には涙が滲んでいて、唇でそれを吸い取った。

「―――――えっ」

「おれのものをどうしようと、おれの勝手だ」

「えっ……ええええ」

フン、と鼻を鳴らし、ミホークは再び足を進めた。腕を引かれたままなまえは茫然とし、そして擽ったそうに笑った。

「そっか、おれ、ミホークのものなのか」

「ああ」

「そっか……」

それっきり、なまえは黙り込んでしまった。
けれどそれは、心地よい沈黙だった。






観光を兼ねた長旅の末シッケアール王国の古城に帰還したミホークだったが、連れ帰ったなまえに驚いたペローナの絶叫で耳鳴りを起こすことになったのは、また別のお話。



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