部誌12 | ナノ


ネオンサインに導かれて



繁華街というものに対して、二宮匡貴はいい印象を抱いていなかった。生ぬるい湿気を帯びた空気は、男女の欲望や打算、狡猾さ、あらゆるものを内包している気がする。普段からこのような場所とは無縁の二宮ではあるが、彼が三門市の片隅に存在するその街にいるのには、訳があった。

不快さを隠しもせず、眉間に皺を寄せて街中を闊歩する二宮は周囲から視線を集めていたが、それを気にするでもなく目的地へと足を進める。その歩みに迷いはなかった。
最早通い慣れてしまった道である。二宮は毎週の週末、ある店に通っていた。通わざるを得ない、というべきか。
見覚えのあるネオンの看板を見つけて舌打ち。安っぽいその看板を睨みつけ、その下にあるドアをくぐった。

「いらっしゃいま、せー……」

店内に足を踏み入れてすぐ。歓迎の挨拶をした目の前の少女が言葉尻をすぼめた。頭一つ分小さいその少女――否、少女の格好をした少年を見下ろす。

「なんでまた来ちゃったんですか、二宮サン」

甲高い声から一転、声変りを終えた少年の声でそう告げたのは、みょうじなまえだ。地毛に近い色のウィッグを被り、膝下のドレスを身に着けている。喉仏隠しのチョーカーかまだしも、胸部のふくらみの中身がなんなのか、二宮は考えたくもない。

「お前を迎えにきた」

「もー、そういうのはいいって言ってるでしょ? 保護者じゃないんだし」

「生意気言ってんじゃねえよ、未成」

「わあ! 迎えに来てくれてありがとうダーリン! 奢るから何か飲んで行ってよ!」

「誰がダーリンだ」

背中をぐいぐいと押され、煙草臭い店の奥に追いやられる。店内を見渡せるものの、周囲からは人目につきにくい絶好の席に座らされ、頼んでもいないウイスキーの水割りが出てくる。この店はキワモノを集めているくせに、出す酒は真っ当なものばかりなので、二宮はそれ以上何も言わず、ガラスコップに口をつけた。

「酒は飲んでねえだろうな」

「すっげえ嘔吐するから無理ってはじめから言ってあるから飲んでないよ」

可能な限りは、という言葉があとについてきそうな口ぶりに、二宮は眉間の皺を深めた。

未成年であることを隠してこんな場所で働くみょうじを、二宮は毎週迎えに来ている。まだ17歳になったばかりのみょうじである。本来であればこのような場所で働くのは不適切なのだが、本人の希望と、情に厚く化粧も厚いオカマ店長の善意で働いている。

みょうじなまえは、二宮匡貴の幼馴染だった。
とはいっても、3つの年の差は大きく、親しくしていたのは二宮が小学校を卒業するまでだった。昔から愛想のよろしくない二宮を、「まさにいちゃん」と慕い、疎遠になっても顔があえば笑顔で挨拶してくれていたものだ。

幼馴染二人の決別のきっかけは、第一次大規模侵攻だった。両親をそこで亡くしたみょうじは、身寄りもなく、孤児となった。愛想がよく、二宮の両親にも可愛がられていたみょうじである。二宮家が引き取るという話も出たが、みょうじの固辞と、彼自身が行方知れずになってしまったことによって立ち消えた。
まだ中学生になったばかりの彼が、何を思って消えたのか、二宮には検討もつかない。遠い親戚が迎えに来たのだというボーダーのお蔭で事態は収束したが、未だ混乱が残る最中での市の職員の言葉を鵜呑みにするほど、二宮家の人々は愚かではなかった。けれども何かできるはずもなく、胸にしこりを残したまま、彼らもまた日常に戻る努力をするしかなかった。

なんとか日常に戻れても、胸にぽっかりと穴が開いたような感覚は消えることがなかった。壊れたままだった隣家が再建され、見知らぬ誰かが住むようになっても、二宮は彼がひょっこり隣家から顔を出すのではないかと、そんなささやかな希望を抱いていた。ボーダーへの入隊のきっかけはスカウトされたからだったが、承諾した理由のひとつがみょうじでないとは言い切れない。それくらい、二宮にとってみょうじは特別だった。二宮にとってみょうじは、「かつての平和」の体現であったのだ。

再会は偶然だ。繁華街に出向しての防衛任務中、逃げ惑う人々の中にみょうじを見つけた、それだけだ。みょうじはその時も、今のように女性の格好をしていた。けれども二宮には、それがみょうじであると、はっきりとわかったのだった。
トリオン兵を倒し、みょうじのもとにかけつける。腕を掴んだ彼は、驚きに目を見開いた。

「まさ、にいちゃん……?」

それが、決定的だった。
民間人は、機密保持のために記憶処理される。その時の邂逅をみょうじは覚えていないだろうが、それでも充分だった。みょうじがここにいると、確かめられたのだから。どうして女性の格好をしているのか、その時の二宮にはどうでもよかった。

結論からすれば、どうでもよくなかった。
繁華街で未成年が深夜に働いているだけでも問題なのに、女装キャバクラとは。
頭の痛い事実ではあるが、変えようもない現実でもある。みょうじの所在を調べた二宮は翌日すぐさまその店舗に乗り込んだ。オカマ店長曰く、「高級女装クラブ」らしいそこは、確かに品性もない客はいないようだったが、それでも二宮にとって、みょうじに働いてほしくない店なのだ。

「アナタ、なまえちゃんのなんなの? 生き別れの幼馴染ってだけでそこまでできるもの?」

まだ学校に行っている、というみょうじに代わり、二宮にみょうじの現状を教えてくれたのは、オカマ店長だった。みょうじに親身な彼は、みょうじの親代わりなのだという。
店を辞めさせたい、という二宮の言葉に、店長は美しく整えられた眉を寄せた。

「未成年を雇っているリスクを承知で、アタシはなまえちゃんを雇っているわ。そうしないと、なまえちゃんがだめになりそうだったからよ。今、あのコは必死で自分の足で立ってるの。自立しようと頑張っているの。それを邪魔して欲しくないわ」

みょうじが店長のもとに身を寄せたのは、15歳になるかならないかの頃だったという。栄養失調かと疑うほど痩せ細った体で、道端で春を売ろうとしていた。それを引き留めたのが店長だ。彼を保護し、何か裏があるのではないかと警戒するみょうじに分かりやすく「雇用者と被雇用者」という立場でもって庇護してきた。まずは下働きからと、中学生の間は店に出すこともなかった。学校に通わなければ困るのは雇用者である自分なのだと言い聞かせ、学校にも通わせた。
高校生になって、独り暮らしを申し出てきたとき、とうとう巣立つときが来たのだと思った。朝は新聞配達、昼は学校、夜は店の手伝いというオーバーワークをこなしてきたみょうじの目的がなんなのか、店長は察していた。それでも、寂しいものがあったのだという。親代わりのつもりであっても、それでもやはり、他人なのだと思い知らされたと。

「そこまで頑張るあのコの邪魔を、して欲しくないの。ようやく独り暮らしにもなれて、自分の部屋を、世界を構築したところなのよ。それなのに、新しい環境に無理矢理つれていかせたくなんかないわ」

「――」

「確かに、アタシの店は所謂風俗店よ。世間様に胸を誇れる仕事ではないのかもしれない。それでも――あのコは、ここで自分を確立して生きてきたの。それを否定してほしくないわ」

言わんとすることは、わかる。それでも感情では、それを理解したくはなかった。唇を噛みしめる二宮の肩を、店長は優しく叩いた。

「ねえ、初めの質問に戻るわね。アナタにとって、なまえちゃんは、どんな存在なの? どうしてそこまで、あのコに必死になれるの?」

「俺にとっての、みょうじ、は――」

そうして、思い知る。
根底にある感情を、その理由を。

店長は、無理に二宮から答えを聞き出すことはなかった。人生の先輩らしく、二宮の態度で察したのかもしれなかった。
身の裡で暴れ回る感情を制御するために、結局二宮は開店まで店に居座った。一度帰宅し、着替えてから出勤したみょうじと二度目の再会を果たしても、二宮の混乱は止まらなかった。

「まさにいちゃん」

驚きに目を見開く姿を見るのは、昨日ぶりだ。昨日のことがなくなっていることにやはり、と思うと同時に、その時の己の感情まで思い出した。

――見つけたと、思った。
ようやっと、彼を。
みょうじなまえを、見つけたのだと。

湧きあがったのはまぎれもなく歓喜で、成長した彼の姿に、驚くと同時に感動した。あの頃の面影を残しながら、それでも大人びたその姿を、幾度夢に見たか。

「なまえ」

呼ぶ声が震える。冷静を装っても、どうにもならなかった。伸ばした手を拒否されたとしても、きっともう手放せないと、悟ってしまった。
抱きしめた体は細く、頼りなかった。けれどもひとりで必死で生きてきたのだ。生きてくれて、いたのだ。
それだけでもう、充分だった。


「今日もお迎えご苦労様」

今日は奢りね、とウインクと共に新たなグラスを寄越してきたのは、店長だ。嫌悪を隠さない二宮の何を気に入ったのか、店長は店の空気を悪くしがちな二宮の来店を嫌がることはなかった。ある意味で二人は同士でもあるからだ。

「まだ言わずにいるの?」

「煩い。口を出すな」

「アタシの方が信頼されてるからって妬かなくてもいいのよォ〜?」

オホホ、と笑う店長に付随して、バーテンダーや接客していないキャストが笑う。その様子に二宮は睨みつけはするけれども、不快ではなかった。彼らもまた、二宮と店長の同士であるからだ。
自称高級女装クラブの中で、若く可愛いみょうじは人気のキャストで、出ずっぱりである。学校があるからと、週末の夜をメインに働いているみょうじは、ここぞとばかりに呼んでくる客に求められるまま、あちらこちらの席にひらひらと移動している。その様を眺めながら、二宮はグラスの中の氷を舐めた。

今はまだ、早い。だから保護者気取りでみょうじを迎えに来て、家まで送っている。その体で二宮はみょうじに接しているし、みょうじもそうだと思っている。けれど実際は、他の客に対する牽制でもあった。

いずれ時が来れば、とは思ってはいるが、そのタイミングを掴み切れずにいる。それを察して嘲笑い、時に邪魔してくるオカマ店長とその仲間たちに対して、たまに「くたばれ」と思わないこともないが、まあそれはお互い様だろう。

「二宮サン、飲んでます?」

席の移動の間に、みょうじが二宮を気にかけてか声をかけてくる。それが店長や他のキャストと話している時ばかりなのだと気付いたときの感情を、いまだに二宮は言語化できない。

「昔のようにもう呼ばないのか」

「えっ……い、いやあ、さすがにもう子供じゃない、し……」

恥ずかしそうに目を逸らすみょうじに思わず目を細めると、みょうじは頬を染めて逃げてしまった。

「あーあ、甘酸っぱいッたら」

店長の楽しげな言葉が、みょうじの背中を追いかける。背中を丸くしてトイレに駆け込んだみょうじは、赤くなった顔が落ち着くまで戻ってこないに違いない。

「悪い大人だな」

「お互い、ね」

含み笑いをする二人に構わず、今日も今日とて、ネオンサインは煌々と輝いていた。




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