部誌12 | ナノ


私を殺して会いに来て



 大量のビールとチューハイ、おつまみにスナック菓子が詰め込まれたコンビニの袋は、俺の左腕にずっしりと食いこんでいる。寿命が近い蛍光灯がチカチカと不安定に点滅する廊下で、俺は空いている右手でインターホンを鳴らす。
 部屋の中で呼び出し音が響くのが聞こえたが、反応は皆無。もう一度インターホンを押してこの部屋の住人が出てこないことを確認すると、俺は躊躇なく合鍵を持ち出した。がこん、とロックが回ったのを確かめてドアを押しあける。まず、玄関になまえさんの靴が脱ぎ捨てられているのを確認、そして狭いキッチンと洋室を仕切るドアのガラス窓から、白い灯りが漏れているのを確かめた。
 やっぱり居るんじゃん。居留守を使われるのは想定内だったので、遠慮なんて欠片も持たず、ずかずかと部屋に上がる。勝手知ったるなまえさんの部屋だが、今夜は随分と空気が重苦しいように思えた。
 家主の心情に、部屋が同調しているようだ。
 洋間に続く引き戸を開ければ、八畳の生活空間にはプンとアルコールのにおいが立ち込めていた。
 家主のなまえさんは、空の500缶ビールが4本並んだテーブルに、額を付けて突っ伏している。缶チューハイ半分で顔を赤くする彼にとっては、十分すぎる量だ。
 常に理性的で、無茶と危険を避けるなまえさんにしては、珍しい失態である。それだけ今日のことは彼にとってショックだったということなのか。
 俺は思わず苦笑して、ほとんど気絶しているようなそれに歩み寄って、強めに肩を叩いた。
「なまえさん、こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ」
「うん……」
 呻きながら、肩を揺らす俺の手を邪魔くさそうに払いのける姿は、まるで赤ん坊が駄々をこねているみたい。かわいいな、と空気を読まない頭の端っこが感想を漏らした。
 ようやく頭を上げたなまえさんの顔は真っ赤で、相当酔っぱらっていることが察せられる。ていうか、目の周りがめちゃくちゃ赤くて、目がしょぼしょぼしていた。これは絶対、かなり泣いたやつだ。
 腫れぼったい目で俺を見上げたなまえさんは、ぼんやりした瞳をゆっくり瞬く。
「しのださん……?」
 俺の胸にチクリと刺さる名前で呼びかけられるが、俺はできた後輩なのでそれをさらっと受け流すのだ。
「……残念、俺でした。なまえさんがお酒飲みたがってる気がしたから、たくさん買ってきた」
 コンビニの袋から缶ビールを出して空き缶の隣に並べていくと、一人暮らし用の小さいテーブルは、すぐに酒をつまみでいっぱいになった。徐々に覚醒してきたなまえさんは、テーブルの上の酒と俺の顔を見比べて、「けい」と呟いた。その表情が寂しげに歪んだのを見ぬふりをして、俺は彼の隣に腰を下ろした。
 自分の分となまえさんの分、二本の缶ビールを開け、「ほい」と片方を差し出す。とっくに許容量以上の飲酒をしているなまえさんだったが、俺が渡したビールをぐびぐびといってしまった。
 ぷは、と息を吐いた彼は、胡乱げな視線をこちらに向ける。
「迅、か?」
「……目がおかしくなったか? 俺は慶だって」
「そうじゃない。おまえをここに来させたのは迅なのかって訊いたんだ」
「迅じゃないけど、俺が人に言われてここに来たのは確かだな。誰かはナイショだけど」
 その答えは、ほとんど正解を示しているようなものだ。きっとなまえさんはわかっているけど、俺が名前を出さないわけも察している。曖昧な回答を誤魔化すために、冷たい缶を彼の火照った目元へ当ててやった。
「忍田さんにフラれたんでしょ」
 担当直入に切り出した俺に、缶ビールの隣でなまえさんが噴き出した。
「ふはっ、慶、もうちょっと気遣えよ。こちとら失恋で傷心中だぞ」
「まどろっこしいのは嫌だ」
 俺になまえさんの様子を見てくるよう頼んだ忍田さんは、すごく優しい人だ。優しい人だから、自分への弟子の好意を拒絶したというのに、彼の弟弟子にあたる俺なんかに、なまえさんの様子を見るように言いつけたのだ。
 ここが忍田さんのどうしようもないところだ、と呆れる。強くて優しくて頭がいい人なのに、色恋沙汰となると、自他共にまったくもって勘がニブい。ニブすぎる。それだから沢村さんも苦労しているのだ。
 もし忍田さんが俺からなまえさんへ向ける気持ちを少しでも察知していたら、こんな酷い役割を言いつけなかっただろう。ま、俺は俺で納得してここにいるんだが。
「ねえなまえさん、俺を忍田さんの代わりにしてもいいよ」
「ばか。忍田さんはヒゲ剃ってるだろ」
 軽口を装った誘いは、あえなくいなされた。万が一を期待していたが、まあ想定の範囲内だ。
「おれは慶を誰かの代わりにしたりしないよ」
 そう語るなまえさんの目は、遠くに向けられていて。隣にいる俺に割く気持ちの余裕なんてまったく無いらしい。
 おれは誰かの代わりでも、なまえさんに必要とされたいんだけどな。言いかけた言葉を腹に押しとどめて、俺はアルコールの滲んだ息を吐ききった。人の情とは、ままならないものだなあ。



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