部誌12 | ナノ


劇物



出水公平が所属する太刀川隊には、護衛対象がいる。そのトリオン量の多さにご両親が危ぶみ、多額の寄付金と共にその子供を送り込んできた。みょうじなまえという、4歳の男の子だ。
幼いながらに謙虚で、控えめで、聡くて遠慮がち。健気な子供に太刀打ちできるはずもなく、太刀川隊の全員がその存在にめろめろになった。最近はあの唯我ですら絆されつつあるのだから、みょうじなまえ恐るべし、である。

ところで、なまえがボーダーに通うようになったのは、何も護衛のためだけではない。
もちろん護衛が一番の理由ではあるけれども、その巨大ともいえるトリオンの制御方法を教わるためでもあるのだ。

太刀川隊において、一番トリオンの扱いに長けているのは、言わずもがな、出水である。射手としても上位にいる出水ではあるが、だからといって教えることに長けている訳ではないのが、今回の問題点なのだ。
出水公平は、行き詰っていた。



「そもそも、あんまりトリオン好きじゃなさそうなんだよなあ」

なまえがお昼寝タイムに突入して暇になった出水は、作戦室にいてもやることがないからとランク戦室に来ていた。ここに来れば誰かしらいるだろうと当たりをつけたからだったが、案の定米屋と緑川が大きなモニターを眺めながら雑談していた。そこに乱入して、ふとなまえの話題になってからの発言だった。

「なまえクンだっけ、お前んとこのかわいこちゃん」

「そうそう」

「あのC級に泣かされた弱いお子サ……ひえっ、いずみん先輩顔こわいこわい」

緑川の発言に般若のような顔をしてしまった自覚のある出水は、眉間に寄った皺を人差し指でほぐした。皺が残っていてなまえに怖がられたくない。お昼寝のあとも、なまえとトリオンの訓練をしなければならないのだ。般若の顔になったのは緑川の言葉で少し前の出来事を思い出したからで、周囲の人間も同様に思い出したのか、ざわめきが一瞬落ち着いた。

「てか、普通泣くだろ、なまえくんまだ4歳だぞ。理由があってここにいんのに、考えもせずに4歳の子供泣かせてイキってる人間とか生きてる価値あるか?」

「いずみん先輩、過激すぎるよ〜押さえて押さえて」

「思い出したらまた腹立ってきた」

「もう充分やり返したんだろ? カジョーボーエーになるから止めとけ止めとけ」

「フン」

不機嫌を隠しもしない出水に、緑川も米屋も宥めにかかる。それでも腹が立つものは立つのだ。

「まー、はじめの頃はお前だって別になまえクンの味方って訳じゃなかったろ。渋々面倒見てたじゃん?」

「それは……そうだけど」

出水だって、何もはじめからなまえの存在を歓迎していた訳ではない。太刀川個人が護衛するだけならともかく、太刀川隊での護衛任務かつ指導までしなければならないとあっては、一言相談くらいして欲しかった。太刀川はなまえや出水ほどトリオンが多くはないし、出水ほどトリオンの扱いに長けてもいない。つまり指導は必然的に出水の仕事となる訳だ。上層部からのお達しとあっては太刀川が断れないだろうこともわかるが、それでも何か一言、あってもよかった。

「あ、そういえば護衛任務入ったから。期限とかないやつ」

「は?」

「今からそいつ迎えに行ってくるから出迎える準備でもしといて。なんだっけ、護衛と保護と? トリオンの使い方教えてくれだっけ? なんかそんな感じのやつ」

当日にいきなりそれだけを言われたのである。国近と一緒になってどういうことだと首を傾げたが、明確は答えなんて何も知らない二人から出てくるはずもない。結局無難にお茶菓子とお茶を用意したところで、正解が歩いてやってきたのだ。

「はじめ、まして。ええと……こうへいくん、ゆうちゃん」

太刀川の少し後ろから、ぺこりと頭を下げた子供は、想像以上に幼くて。あまり感情を見せないように見えたが、その瞳には不安が見え隠れしているように見えて。
出水の中に庇護欲という感情が生まれたのは、きっとあの時だった。

可愛いなあと思うけれども、小さな子供と一緒に遊んだこともない出水である。いつものテンションでなまえに構う国近に倣うように、出水もなまえと触れ合っていった。自分で護衛任務を受けておきながらなまえに構わない太刀川に溜息が漏れたが、まあそんなものだろうとも思った。太刀川は強者にしか興味がないのだ。護衛任務だって、雑魚相手に出動しなくてもいいメリットのことしか考えてなかったに違いない。
出水だって年頃の男子高生である。遊びたい盛りの出水にとって、ランク戦や出動はなかなか楽しい行事だったが、なまえの護衛任務のせいでそれらに参加できなくなったことは惜しかった。けれどもなまえと接するうちに、その健気さにどうにも絆されてしまったのだ。
ボーダー内を案内していて、ランク戦室に立ち寄ったことがある。巨大モニターに映る過酷な戦いに、出水は一瞬見入ってしまった。解説している先輩やそれを聞いている後輩の姿が目に入り、羨ましげな顔でもしていたのだろうか。出水の指を握る小さな手が、気を引くように小さく引かれた。

「いいよ」

「え?」

「いってきて、いいよ。ぼくちゃんとおへやまでかえれるよ」

「―――、」

相変わらず、なまえは無表情で。なんでもないことのように放された指が寂しい。ぬくもりを感じなくなった指先が、せつない。
なんでもないことのように、なまえはいう。いいよ、だいじょうぶだよ、と。
いいわけないのに。大丈夫なわけが、ないのだ。
だってまだ、4歳なのに。

きっとこんな風に、色んなことを諦めてきたんだろう。なまえの両親はボーダーに多額の寄付金を収めるほどには資産家で、だからこそ忙しい。そんな両親に対しても同様に、だいじょうぶだよって、なまえは言ったに違いないのだ。

「よくない」

「こうへいくん?」

「おれが、よくない。寂しいから一緒にいてくれよ、なまえくん」

「―――――うん」

そう頷いたなまえにはどこか罪悪感のようなものが滲んでいて、嗚呼、と出水は嘆いた。罪悪感なんて、抱かなくていい。なまえのように、出水がなにかを諦めた訳ではないのだ。
放されたなまえの小さな手を拾い上げる。すぐには握り返してこない手が哀しくて切なくて、出水は慣れないながらも、その小さな体を抱き上げた。

「腹減っちゃった。なまえくんは? 腹減ってねえ?」

「こ、こうへいくん」

急に抱き上げたからだろう。ぐらりと揺れる体に驚き、出水の肩にしがみついてくるなまえの重さとぬくもりが心地よい。なまえを守ろうと、出水は思った。任務だからじゃない。なまえを守りたいから守るし、傍にいたいから傍にいる。目いっぱい構って甘やかして、いつか満面の笑顔が見たい。

「ゆうさんがおやつ持ってきたって。一緒に食いに行こう」

「うん……ありがと、こうへいくん」

ぎゅ、と控えめに、けれどもしっかりと、なまえは出水の首に抱きついた。そのぬくもりを感じながら、いつだってなまえの味方でいようと出水は自分自身に誓ったのだった。

そこから何故か庇護欲に目覚めたらしい太刀川になまえの信頼とか甘えだとかもろもろ掻っ攫われたのは今でも全然納得していない。初めてのなまえの笑顔を真正面から見れたのが太刀川だけだというのも納得できない。太刀川さんほんとズルい。ズルすぎる。あのひとのああいうとこ、ほんっと嫌だなー! 太刀川に対するほどではないが、出水にも国近にも甘えたり我儘を言ってくれたりするようになったからまだいいけども。

まずはなまえが太刀川隊に慣れるまで。次は、ボーダーという組織に慣れるまで。
そうやって段階を経て、なまえは己の中にあるトリオンというものに慣れて行った。太刀川も出水もトリオンを扱う。今出水が見ているモニターを一緒に見たこともあるし、実戦を国近と一緒に作戦室で見ていた。あの時、なまえは己の中のトリオンを認め、戦地に立つ覚悟までしていた。太刀川にゆっくりでいいのだと諭されたけれども、やる気はありそうだったのに。

「今まで遊びの延長で教えてきたけど、あんまり乗り気じゃねえっつうか」

「そりゃお前、お前の教え方が下手なんだろ。あれじゃん、ドントシンク、フィール、みたいな」

「うわっ、よねやん先輩が英語しゃべってる」

「緑川刺すぞ」

「こわいって。でもまあ、トリオンなんて感覚ってとこあるし言葉で説明するの難しいよね。そもそもなまえくん、トリガー持ってるの?」

緑川の疑問に、出水は言葉を濁した。まさか緊急回避付きのトリガーを持たされているだなんて、C級隊員もいるこの部屋で言えるはずがない。

「訓練室とか開発室で、おれのトリガー貸したり開発室から借りてきたりしてる。そう何度もしてる訳じゃねえから、なんとも言えないけど」

訓練室はいつも予約でいっぱいで、隊員でもないなまえより隊員が優先されるのは当然だ。開発室は空いてさえいれば小さな研究室を借りたりできるし、鬼怒田もなまえのトリオンには興味を示していて、協力的だ。だからなまえの訓練は、もっぱら開発室で行われていた。
開発室の人間が怖いのかな、とも思ったが、そういう感じではなさそうなのだ。だからといってどういう感じなのかと言えば言葉にしがたいけれども。

「それかあれじゃね? 自分が怖いんだろ」

「は?」

「なまえくんてさあ、お前の話聞く限り、すんげえトリオン量なんだろ? 玉狛のチビちゃんと張るくらいだっけ。チビちゃんだって近界民に狙われてたっていうし、なまえくんもそうじゃないとは限らねえじゃん」

「――――」

「自分のせいで怖い化け物に狙われる。周囲の人間を巻き込みたくなくても、なまえくんは周囲にガチガチに守られてて巻き込まざるをえない。そういう状況だと――怖いってか、嫌いなのかもな」

米屋の言葉に、出水は思わず固まった。
考えたこともなかった。トリオンは、出水にとっては最高の玩具だったから。
訓練中のなまえの硬い表情を思い出す。あの時、なまえの瞳には、どんな感情が映されていたんだろう。
まるで毒を目の前にしたときのような、そんな思いでいたんだろうか。察してやれなかったことが悔しくて、出水はぎゅっと唇を噛みしめたのだった。



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