部誌12 | ナノ


私を殺して会いに来て



 ピッ。ピッ。
 一定の拍子を刻む電子音がクラウスの耳に入る。全く狂いもしないリズムが気になり、深淵まで落ちた意識が本能に突き動かされて浮上していく。
 瞼を開いた先には、見慣れぬ天井が映る。自宅ではない、ましてやオフィスの仮眠室でもない。ではどこなのか、場所を把握するために起きあがろうとしたが、なぜか出来なかった。力が入り切らない腕をなんとか持ち上げると、腕には数本のチューブが繋がっている。肌に食い込むチューブを辿っていくと複数の点滴が吊されていた。その一つには心電図が規則正しく作動している。それでやっと気がついた。ここは病院だ。
「Good morning、いい夢見れたか坊や?」
 子供に語りかけるような猫撫で声と共にクラウスの髪を指先で撫でられる。一人しかいないと思った病室に第三者がいてもクラウスは驚きはしなかった。顔が見えずとも声と指だけで分かる、クラウスに甘やかな声で触れる者などこの世界でたった一人しかいない。ゆるりと首を動かせば、ベッドに腰をかけて自分の顔を覗き込む相手が視界に写り込んだ。
「……なまえ」
 振り絞って出した声は掠れて聞けるものではない。咥内も水気がなくないせいで喉が掠れて痛みが走る。ケホッと軽く咳き込むとすかさず なまえ が吸呑器を差し出す。吸呑器を通して水が流し込まれ、数度に分けて飲み下す。乾いた喉が潤い、空っぽの胃を満たす感覚を味わいながらずっと水分を含んでいなかったことに気付く。3回ほど繰り返し、ずっと何も口にしていなかった体を気遣ってたのかなまえは吸呑器を外す。
「これで5回目」
「?」
 どういう意味の回数か起きたばかりの脳では処理できず、クラウスは目だけで答えを求める。理解できていないクラウスになまえは罰とばかりに軽いデコピンを与えた。
「医者から『今夜が峠です』っていわれた回数」
 いわれすぎてもう慣れちまったよ、呆れた物言いではあったが瞳が僅かに揺れていたのをクラウスは見逃さなかった。
 そこでやっと自分の状況を思い出す。眷属が現れた報告を受けてからすぐさま現場にかけつけたのは覚えている。密封もレオナルドの解読により成功、しかしBBは最後の悪足掻きで民間人を巻き込もうとしたのだ。クラウスは民間人を守るため、身を呈して庇いーーその後の記憶がない。
「……民間人は」
「やっぱりまずそれか、さっきスティーブンから連絡が入って全員無事だってよ。よかったな、また世界を救ったぜ」
 どこか投げやりの報告ではあったが、あの場で死傷者がいなかったことにほっと胸を撫で下ろす。それが顔に出てしまっていたようで、なまえは深いため息を吐き出した。
「毎度毎度峠ですっていわれるこっちの身になれよな、スティーブンなんか後処理に追われ過ぎてのダブルパンチで顔が青通り越して土色になってたぞ」
「それは、すまないことをした……」
「悪いと思ってねぇくせに」
 どうせやったこと後悔なんてしてないだろ。なまえからの指摘に言葉を詰まらせた。言い返せない時点で応といっているのと同意だと分かってはいたが嘘を付くのも憚られて沈黙を貫く。黙秘を選んだクラウスに対し、なまえは呆れ果てていた。
「いつも思うが死ぬの怖くないのか?」
「大丈夫だ、私は鍛えている」
「答えになってねえよ」
 鋭いツッコミと共に今しがた目覚めたばかりの怪我人に容赦のない手刀が振り落とされる。自由に動けぬ身では交わすなど出来るはずがなく、なまえ や仲間を心配させた罰だと甘んじて受ける。クラウスが避けなかったのが癪に触った なまえは舌打ちをする。
「だいたいな、お前に死なれたら困るのは俺なんだぞ」
 なぜとは理由を問わなかった。決して恋人だから悲しむという健気な理由だけではない。
「……番を失ったΩは」
「発狂する、番のαを失った絶望に耐えきれなくなってな」
 番は一心同体、上位と下位が出来上がっているαとΩは番を失うというのは死と同意義なのだ。特にΩの喪失感は計り知れない、番を亡くしたΩは発狂もしくは耐えきれずに自ら命を断つ者と悲惨な末路を辿ったと以前目を通した文献で読んだことがある。
 それはΩであるなまえも知らないはずがない。嫌気が差しているのを隠そうとしない辺り、彼が番制度に未だ抵抗を持っていることが見て分かる。軽い調子でクラウスを窘めてはいたが、クラウスが生死を境を彷徨うたびに番を失う恐怖に苛まれていたのだろう。伴侶である番の喪失感、絶望感、それに耐えきれなくなった自身の末路を思い浮かべながら。
 もしかしたらこれもクラウスが勝手に作り上げた空想なのかもしれない。自分はαで、そして なまえはΩだ。どんなに思いが通じていようとその立場が相手への理解を完全なものにさせてくれない。だが、彼が今こうして自身の目覚めを待ってくれた現状がクラウスにとっては何よりも慈しみたい事実だ。
「……すまない」
「やっと本気の謝罪くれたな、これを機に少しは……無理だろうな。まあお前に先に死なれて無様に殺された可哀想な俺を見たくなかったらせいぜい今まで以上にしぶとく生きてくれ」
「うむ、今後もさらに精進して鍛えよう」
 今回は自分の鍛錬不足からなまえにいらぬ心配をかけてしまった、体を動かせるようになったらギルベルトに鍛錬器具を病室に手配させようと決心する。そんな心中で拳を握るクラウスの意思を読み取ったのか、 なまえの手がクラウスの髪を掻き回す。
「もう好きなだけ鍛えとけ、だけどもしものときが起こったときは俺を置いていくなよ」
「もしものときとは」
「そのままの意味、お前にみっともない姿なんて見せられねえからな」
 髪で遊ぶ指先が頬を撫で、首筋を辿っていき、最後にクラウスの心臓の上からトントンと叩く。
「先に俺を殺してくれ」
「なまえ」
「悲しいかな俺もΩなんだ、番のいない世界に一秒だっていたくない」
 手段はなんだっていい、お前の手でもいいし、誰かの手を使ってもいい。なんなら事前に薬でも用意しといてくれれば自分から飲んでやる。
 淡々と語るなまえの口元が僅かに緩む。
「それで満足のいくまで好き勝手やったら、その脚で俺に会いに来てくれよ」
 彼の手がクラウスの掌に重なる。そのまま小指と小指を絡ませ、いつか教えてもらった約束を交わす際の歌をわざとらしく明るい口調で歌い出した。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
「……私はまだ約束した覚えはないのだが」
「いまのうちにしとけばお前嫌でも覚えてるだろ、それ指切った!」
 小指ではクラウスの腕を持ち上げれないので軽く揺すってから勢いよく絡めた小指を外す。このような約束を簡単に受け入れるなんて出来るはずもなく、なまえに目で不満を訴える。こんなときだけ気付かない振りをして機嫌よくニコニコしている。彼の笑顔は何より好きだが、いまはそれがとても憎らしい。自分には死ぬなといって、当の本人は先に死にたいなんて矛盾しているではないか。
「君はずるい」
「そんなの前から知ってるだろ」
「……君がそこまで、私を好いていたなんて初耳だ」
 ぶすっと不機嫌な顔を作ったはいいが、ほんの少し彼の素直ではない愛の告白を嬉しいと思ってしまう現金な自分が恨めしかった。ちょっとした報復のつもりで言い返してはみたものの、こうした駆け引きは なまえの方が一枚も二枚も上手だった。一瞬だけきょとんとしたが、すぐにあの意地悪い微笑へと変わる。
「そりゃあ言ったことないからな、その分態度に表してたつもりだぜ?」
「……」
 思い当たる節がいくつかあった。
 無言という肯定を選んだクラウスになまえは腹を抱えて笑い出す。それがまた悔しかったので、退院したらまず自宅のベッドに引きずり込んでやろうと固く決意した。




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