部誌11 | ナノ


例えば枝豆とビール



ふぅ、と息を吐く。
打ち合わせをしていたクラウスが、席を立つ。お手洗いに行くのだろう。さっき、腹の具合が悪そうな客が一人トイレに入っていったから長引くかもしれない。そう思いながら、店員を呼び止めてコーヒーを追加注文し、書類をブリーフケースに詰める。
この間からの騒動はひとまず片付いた。あとは、事務所に帰るだけだ。この賑やかで明るいレストラン「ダイナー」で打ち合わせをすることもなくなるだろう。帰るだけと言っても機能の引っ越しはまた、ちょっとした騒ぎになりそうだ、とスティーブン・スターフェイズは思った。それでもきっとなんとかなるだろう、と思うのは、ここまでなんとかしてきたことを裏付けとする自信だ。
一人ならば、ダメだった。隣に、我ら、超常秘密結社ライブラのリーダー、クラウスが居たからなんとかなった。
正直、先日事務所から締め出されたときはもうだめかと思った。スティーブンは回想する。外では追い続けて来た犯罪グループの震災的存在の召喚が進行中、それを止めるための演算装置が事務所の中。なのに事務所には入れない上に、秘密もクソもない慎ましさをかなぐり捨てた防衛システムを露出した姿を見て、疲れもあって意識を飛ばしそうになった。クラウスは、スティーブンの肩を叩いて、ひとつひとつ、出来ることの可能性を見出していった。
出来ることはわずかでも、それでも前を向くことを諦めない。そんなクラウスだから、スティーブンは付いていこうと思った。
この、神話とお伽噺と、質の悪いB級スプラッタ映画をごちゃ混ぜにして煮込んだ闇鍋のような冗談みたいな街で、なんとかなる、という幻想を持ち続けることが出来る。それだけで、十分だとスティーブンは思う。
「どうぞ」
ボーイッシュな店員が、コーヒーとコーラをスティーブンの居るテーブルに並べた。
「え」
「どうも」
頼んでいない、と言おうとしたスティーブンを遮るように、いつの間にか目の前に座っていた少年が、店員に会釈をした。
「……君はいつから居たんだ?」
「さぁ?」
そう言いながらコーラを一口飲んだ少年が、微笑んだ。少年の名前はなまえ。ライブラの構成員だ。少年に見えるけれど、実は少年ではなく、レオナルドよりも年上だ、と本人は言っている。それが事実かどうかは、スティーブンにははっきりしない。
はっきりしているのは、彼が、斗流血法創始者、裸獣汁外衛賤厳の元でツェッド・オブライエンとともに「対血界の眷属戦」の指導を受けていたということ、ツェッドとともにHLに置き去りにされた、ということくらいだった。
後は、スティーブンは彼の本当の容姿すらも知らない。
斗流血法創始者の元で、修行を受けていたけれど彼は斗流を使わない。はっきりと何流とか名前を聞いたことはないけれど、血に幻惑のような属性を持たせて、他人に現実でないものを見せることができる。
人狼のように存在を薄めているわけでも何でもないから、そこに存在する事実がひっくり返るわけではない。見えなくても触れればそこに居ることがわかる。
戦闘用でもなく対BB戦では使い手の悪い能力だったが、諜報には役に立つ。ただ、チェインのように存在を薄めて攻撃を回避することは出来ないために、必ずお守りをつける必要がある。一緒に、修行を受けたから、事務所に一緒に住んでいるから、という理由で、ツェッドと組むことが多いが、どちらかというと実用の面で出動の機会は神々の義眼持ちのレオナルドのほうが多い。
本人が姿を見せないこともあって、うっかりすれば忘れてしまいそうななまえだったが、本当になんだか今回は違和感が強い。何がどうして、としばらく考えて、スティーブンははっとする。
「今日は、ツェッドは一緒じゃないのか」
「ツェッドさんはレオくんとザップさんと一緒に、開店したばっかの……なんだったかな、カラオケ? に行きましたよ」
「一緒に行かなかったのか?」
「行きませんよ」
なまえはきれいに笑う。誰があんなガキどもとつるむか、という心の声が聞こえてきそうだ。たしかに、ザップやレオたちと比べて、なまえは精神年齢は高いような気がする。が、如何せん見た目が見た目だ。年齢は10歳ほどに見える。後ろで三つ編みにされた金髪と、青い眼、サスペンダーにハーフパンツ、膝下の白い靴下。貴族の坊っちゃんのような容姿が、真実の姿なのかは知らないが、いかにも子供です、という容姿なのだ。
それに、なんやかんや言って、なまえはいつもツェッドのそばにいる。さっき感じた違和感は、隣にツェッドが居ないことによる違和感だろう。一緒にHLに来たからか、ともに修行していたからか、なまえは大抵ツェッドの後ろに居た。ツェッドが一人で居ることは珍しくないのだが、なまえがひとりでいることは大変珍しい。任務で別になることは多いから実際はそれほど珍しくないはずなのに。
そう考えていたとき、スティーブンの中でひらめきが起こった。
「……レオナルドが居るから?」
「……はぁ?」
あからさまに、嫌そうな顔に、これはあたりだな、とスティーブンは口元を歪めた。なまえはどうやら、レオナルドが苦手なのだ。その理由には心当たりがあった。
まず、彼とはじめて出会ったとき、スティーブンの目には、黒髪黒目の凡庸な少年が映っていた。黒髪黒目のなまえに向かってレオナルドは「きれいな青い眼ですね」と言った。そこで、スティーブンは彼が見た目を偽っていることを知ったのだ。
乗せられたことを知ったのか、なまえは不服そうに顔をしかめて、ストローに唇を付けた。茶色の液体が、透明のストローをするりとのぼって、グラスの容量が減っていく。
「……きらいじゃないんですよ」
言い訳をするように、彼が言った。クラウスはまだ帰って来れそうにないことを確認して、スティーブンはその話を聞くことにした。構成員について、知っておくのは悪いことじゃないだろう。特に彼の場合、裏切られた場合それを察知するのはかなり困難だろう。
「あの人といると、色々めんどくさいんですよ」
「たとえば?」
「靴下って、長さが左右揃わないときがあるじゃないですか」
無いな、と優秀な家政婦に思いを馳せながらスティーブンは適当に相槌をうった。
「適当に履いたとき、まぁ、揃ってる感じに見せるじゃないですか」
それもないな、と思いながら、スティーブンは一応頷く。もしかして、スティーブンがしらないだけで彼はかなり、物臭なのかもしれない。
「でも、レオくんは、わかるんですよ。おれの靴下が左右長さが違うこと。そういうのがめんどくさいんです」
はたして、彼の靴下が左右揃っているのか、スティーブンは少し気になりながらコーヒーに口をつけた。
「あとは、枝豆とビールですよ」
「ビールと、えだまめ?」
「そう、枝豆です。枝豆ときたら、ビールと相場が決まってるんですよ」
「……君が、ビール?」
首を傾げるスティーブンに、なまえは唇を尖らせる。
「そういう反応するでしょ? だから、おれはいつもビールを飲むときはソフトドリンクに見えるようにカムフラージュするんですよ」
こんな風に、と彼がコーラに手を翳す。コーラが見る見る間に色を変えて、オレンジジュースのような姿になった。
「……なるほど」
本当に、何が事実なのか、嘘なのか、スティーブンには見分けがつかない。多分きっと、レオナルドの神々の義眼以外には、同じだろうとスティーブンは思う。他の能力に比較すると使い勝手のわるい能力だが、この能力が犯罪者の手に渡るのは脅威だと、スティーブンは分析する。
「それなのに、レオくんは『未成年にお酒はダメです』なんて言って、取り上げるんです。お陰でおれ、オレンジジュースと枝豆ですよ? ありえなくないですか?」
どこがありえないのかわからなくて、スティーブンは笑った。
笑ったことに、なまえが怒って頬をふくらませる。そうしていると本当に子供に見える。彼の申告上の年齢が事実かどうか、スティーブンに知るすべはなかったが、レオナルドに子供に見えているというのならば、多分、見かけの年齢は真実なのだろう。
「年齢を偽らないのか? レオナルドはともかく、ジュースに偽るよりも過ごしやすいだろ」
誤魔化すようにスティーブンは質問する。それに、なまえは唇を尖らせて、出来ないんですよ、と言った。
「なんでかは、説明しませんけど、目の色も顔も肌の色も服でもなんでも変えられるんですけど、見た目の年齢だけは、変えられないんです」
うんざりした表情で彼は語った。興味深い、とスティーブンは思う。
なまえの半分ほどに減ったオレンジジュースを眺めていると、ガラン、と店の扉が開いた。ガヤガヤと聞き慣れた賑やかな喧騒が耳に飛び込んでくる。あの3人だ。彼らの会話を聞くに、カラオケ店はどうやら失敗だったようだ。スティーブンは向かいに座ったなまえを盗み見た。嫌そうな顔をしたなまえが、青色の液体を啜っている。ザップもくだらないことに力を使うが、なまえのほうが上かもしれない。そう思いながらスティーブンはうわさのレオナルドに声をかけた。
「カラオケはどうだった?」
「サイテーですよ!」
反応を返したのはザップだ。二人に引っ張って行かれたらしいツェッドは気力が絶え絶えになって、返事を返す元気もなさそうだった。
ザップのまくし立てるレポートを聞き流しながら、スティーブンはレオナルドがあれ、となまえに気付いた様子を目で追う。
「なまえくん、腹痛は治ったんですか?」
にこやかにレオナルドが声をかけたのは、スティーブンの正面の席ではなく、スティーブンの隣の席だった。
「……まぁ」
スティーブンの向かいの席で青色の液体を啜っていた少年がするりと消えて、スティーブンの隣に、仏頂面でメロンソーダをつつく少年が現れた。
それにスティーブンは苦笑いをしながら、やっとお手洗いから帰還したクラウスに手を振った。



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