部誌11 | ナノ


傘、パクられました



朝寝坊が過ぎる俺は、テレビを新聞も観る時間がなくて。
だから当然天気予報の確認なんてしてなくて、雨に降られることになるのはいつものことで。
傘忘れたから迎えに来てって連絡したり、ずぶ濡れで帰る俺に、そのうち自発的に迎えに来てくれるように、なって。

「よう。迎えに来てやったぞ」

毎回呆れたように微笑んで、傘を差し出してくれたことがどんなに嬉しかったか、あんたは知らないんだろうな。

雨の日はいつも、なまえさんが迎えに来てくれた。




「あっ、くっそ」

傘立てに自分の名前の書かれた傘が見当たらなくて思わず舌打ち。あれだけ堂々と名前の書かれた傘を盗むなんて、いい度胸をしている。恥を忍んで書いた努力が水泡に帰した。小学生かよ、なんてからかわれまくったのに。ガッデム。

大学生になってからは、新聞やニュースは見ないにしても、天気予報くらいはチェックするようになった。迎えに来てくれるひとが、もういないからだ。律儀に天気予報をチェックして、少しでも雨が降りそうな気配を感じると傘を手に外出する俺に、諏訪さんが「折り畳みにすればいいだろ」なんて言ってきたけど、俺にとって傘といえばステッキ代わりにもなる手持ち傘なんだから仕方ない。

さすがになまえさんから貰った傘は持ってきてない。持ってきてなくてよかった。あの傘をパクられたら、俺は一生立ち直れなかった。

みょうじなまえ。俺の師匠の忍田さんの先輩で、ボーダーの前身から隊員でアタッカーだったひと。膨大なトリオンを持ち、特殊なトリガーで前線で戦っていた。忍田さんが結局最後まで勝てなかったという、かつて最強の地位にいたひと。

俺の、好きなひと。

いつかの遠征で、還らぬひとになってしまった。遠征隊のみんなを助けるために1人で近界に残って、そのまま。生きてるのか死んでるのかもわからない。俺は生きてるって信じてるけど、なまえさんを知るひとの誰もが諦めかけている。だって、どれだけ探しても見つからなかった。なまえさんを残してきた近界も、他の近界も。探せるだけ探したつもりだけど、どこにもいなかった。
もう3年も経ったんだ。俺は高校生から大学生になってしまった。似合うなって笑ってくれた学ランは後輩にあげてしまったし、隊を作って隊長なんかやるようになってしまった。

いつか、なまえさんの隊に入れてくれるって言ってたのに。
嘘つきめ。

唇をぎゅっと噛みしめる。俯いて、息を止めて、泣きそうなのを堪える。泣き虫は卒業したんだ。泣いててもあんたは帰ってこないって、わかったから。
泣いてる暇があるなら強くなれって、忍田さんは言った。遠征隊に混じって探せばいいって。だから俺は隊長なんかになったし、A級一位になった。全部全部、なまえさんのためだ。

雨は嫌いだ。嫌いに、なった。なまえさん、あんたが迎えに来てくれないから。あんたがいないって事実を、まざまざと思い知らされるから。
いつかあんたは、雨は嫌いじゃないって言ってたよな。その理由を結局教えてはくれなかった。なんでなんだろうなあ、雨なんか湿気で髪が爆発するし、ズボンの裾は汚れるし、服も鞄も濡れていいことなんかないのに。挙句の果てに俺を迎えに来なきゃならなくなっただろ。高校とボーダー本部がそう遠くないにせよ、面倒だったはずなのに。

「雨も悪くないさ」

そう、俺の横を歩きながら呟いた。何かを思い出すように、俺に聞かせるつもりはなさそうな小さな声で。なんとなく聞いちゃいけないと思って聞き返さなかったけど、今思えば聞いとけばよかった。あんたのことはなんだって知りたかったのに、背伸びして大人の振りして訊かないのも大人の男だ、なんて粋がった。

もっと、もっと。
求めればキリがなくて、好きで、好きで。
強いあんたを盗られたくないって、まるで自分の所有物みたいに思ってた。その感情の根底がどこにあるのか、気づけたのはあんたがいなくなってからだ。バカみたいだろ、あんたは俺のものに落ち着いてくれるようなひとじゃなかったのに。

雨は、嫌いだ。
余計なことを思い出してしまうから。
傘さえあれば、雨が止むまでの時間を持て余さずにすんだのに。

ああ、もう。
こういう思考に陥りたくなかったから、傘もちゃんと持って来てたのに。

いっそ濡れて帰ろうか。止む気配のない雨と、その源の灰色の空を睨みつける。どうせ今晩いっぱいは雨だって言ってたんだ。多少濡れてたってどうってことない。思考がぐるぐると巡ってしまっている今より、ずっといい。

さあ、一歩。
足を踏み出そうとしたときに、そのひとは声をあげた。

「よう、慶。迎えに来たぞ」

濃紺の傘の下で、そのひとは笑っていた。差し出すのはいつかのモスグリーンの傘。おれが、貰ったのと、同じ色の。

「なまえ、さん……」

「また傘忘れたんだって? 忍田が泣いてたから今度から気をつけろな」

真っ黒で短めに切りそろえられていた髪は、アッシュグレイになっていた。忍田さんの先輩だから、忍田さんより老けるのが早くて当然かもしれないけど、それでも。
そして気になるのは眼帯だった。俺の知らないうちに、俺の知らないとこで、そんな怪我を? ああでも、そんなことより――

「お、かえり」

俺の言葉に目を見開いた後微笑んだのは、記憶の中の彼と違わなくて。雨も構わず抱きついた。濡れるのなんかどうでもよかった。高校生だった俺より大きかったなまえさんは、今や俺が抱きついても体格は変わらなくて。なまえさんがいない間に、俺も成長してたんだって、改めて思った。

なあ、なまえさん。言いたいことがたくさんあるんだ。聞いて欲しいことも、訊きたいことも、山のようにある。

でも、それよりなにより。告げたい言葉があった。

「おかえり……おかえり、なまえさん」

「ああ――ただいま、慶」

雨は嫌いだった。傘もパクられるし、最悪な1日だと、思っていた。

最悪な1日が、最高の1日に変わる。
なまえさんを連れ帰ってくれたのだと思えば、雨も悪くない。
ようやく、そう思えた



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