部誌11 | ナノ


傘、パクられました



 さぁ、と滑らかな薄絹が滑り落ちていく音がする。昇降口を出たところから見上げた空には明るい灰色が揺蕩い、ごくごく細くて軽やかな雨を無数に垂らしていた。
 午前中の晴天が嘘のように、五限の終わりからたちこめてきた雲は、六限目が終わるころには本降りとなっていた。朝のニュースで気象予報士のかわいいお姉さんが伝えていたとおりの天気である。午後の降水確率は80パーセント。折り畳み傘を持ってお出かけしましょう。
 雨は静かながらも止む気配を見せず、おれと米屋がクラスマッチの実行委員会を終えたいまでも、しとしと降り続いていた。
 クラスマッチの開催を二週間後に控え、昼休みに放課後に、実行委員会で呼び出される頻度はどんどん増えている。じゃんけんで負けて実行委員を拝命した俺たちにとっては、面倒なことこの上ない。授業の終了から遅れること一時間半、ようやく今日の職務から解放された。背負ったリュックから折り畳み傘を取り出し、雨音だけが響く昇降口で、俺は連れを待っている。
「クッソ、やっぱり無ぇわ。完全にパクられたな」
 悪態をつきながら靴を履きかえて出てきた米屋の両手は空いていた。ついさっきまで、前に持ち帰りわすれて置きっぱなしだった傘があると言っていたのに。
「ビニ傘?」
「いーや、紺のまともなやつ。安物だけど、ビニ傘よりは悔しいな」
 俺の隣に立って空を見上げ、米屋は顔をしかめた。軽薄な口調から察するに、傘を盗られたことよりも、いまから傘無しで雨の中を歩かなければいけないことにうんざりしているようだ。
 今日みたいな、日中から雨が降り出した日は、確かに傘の盗難が増えるだろう。傘を放置したままだった米屋みたいなやつはともかく、きちんと天気予報を見て傘を用意してきた生徒なんかが被害に遭う。
 折り畳み傘の細い骨を開いて、掲げる。俺ひとりが入っただけでも、背負ったリュックサックがはみ出るような心もとない大きさだ。
 俺のほうを見た米屋が、ニンマリと目を細める。
「トリオン体になっちゃえば、雨なんて関係ないんじゃね?」
「アホなこと言ってるんじゃねぇよ。どうせ目的地一緒なんだから、大人しく俺の傘入れ」
「いいの? ラッキー」
 言ったとたんに、米屋はいそいそと俺の横に収まった。ちゃっかりしていて調子のよい友人に呆れながら、俺は雨の中に足を踏み出した。
 相合傘は、二人三脚に似ている。二人の真ん中で傘を持つ俺がペースをリードしながら、お互いに息を合わせて歩みを進めるのだから。米屋と俺の肩がぶつかり、お互いが蹴った泥飛沫がお互いのスニーカーを汚す。
 俺たちは狭い傘の中で窮屈に体を縮こまらせて、それでも収まりきらない肩が雫に濡れていく。ボーダー本部への道を相合傘ゆえの小さな歩幅でよちよち歩きながら、俺は米屋の傘を盗ったやつを恨めしく思っていた。どこかのクソヤローめ、男友達なんかと相合傘しても全然楽しくねーわ。相合傘するなら那須さんとがよかったわ。どうか犯人が箪笥の角に小指をぶつけますように。
「なんか、こういうことあるとアホらしくなるよな」
 唐突に、米屋がけらけら笑い出す。ときどき怖いくらいに色の濃い光彩が、きらりと怪しく光ったように見えた。
 なんだか嫌な予感だ。俺は慎重に、「何が?」と促した。
「いやさぁ、俺たちがトリオン兵から街を守ってやっててもさ、守られてるやつは平気な顔で俺の傘盗むんだなって」
「あー……」
 俺は返答に困って、微妙な顔で呻くしかできない。米屋はたまに、こう、発想が独特なことがある。物騒というか、話が大きすぎるというか。
 A級隊員になると、考え方も変わるものなのだろうか。俺は下手なことを言わないようにそっと口を噤んだ。こういうときの米屋は、少し怖い。けれども小さな折り畳み傘の下に、逃げ場はなかった。
「他人の傘を盗むようなやつはさ、帰り道でトリオン兵と鉢合わせればいいんだ」
 冗談めかした呪いの言葉も、全然冗談に聞こえない。
 俺はほんの少し足を速めて、一秒でも早く本部に着くよう努力をした。苛々している米屋には、ランク戦で発散してもらうのが一番なのだと、俺は短くない付き合いのなかで学んでいた。



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