残り香
日々の天気を決める権限がお空の神様にあるとしたら、ここ数年でその神様は担当者が変わったんじゃないだろうか。日本には四季があることが特徴なのに、神様が横着して、秋をすっとばしているに違いない。
十月に入ってからも続いた夏日を眩しがっていたのが遠い昔のようだと、底冷えするアパートの一室で衣装ケースを漁りながら、太刀川慶はしみじみ先週までの暑さを懐かしんでいた。
窓の外では冷たい冬の雨がしとしと降り注ぎ、窓ガラスから冷気が忍び寄ってくる。昨日との温度差は実に十度超となった今朝は、夏から秋をすっとばして、まさに冬の様相だ。四季どうした。
ただでさえ雨の日は動きが鈍るというのに、こんな寒さじゃ一日中お布団の誘惑に甘えてしまいたくなる。いや、甘えないほうがお布団に対して失礼じゃないだろうか。
そんな太刀川が朝の寒さに震えながら、今日一日の社会生活を営むために必要な衣類をごそごそ探しているのは、一時限目が絶対に休めない必修講義だからである。秋から冬にかかる後期の必修授業を、わざわざ月曜日の一時限目に入れるなんて、教授は鬼に違いない。
部屋を照らす白いLEDライトが、雨天の冬の朝、その寒々しさを強調していた。今シーズン初めて暖房として稼働したエアコンは、太刀川の期待をおおいに裏切って、埃っぽい風を吹かせるばかりでちっとも暖かくしてくれなかった。
てろんてろんに伸びた半袖Tシャツに、下着一枚を身に着けただけの自分に、この部屋はまったく優しくない。
「みょうじさん、このエアコン、メンテしたほうがいいと思う。全然暖かくならない」
「そうか? 俺にはわからん」
「それはみょうじさんがまだ布団から出てないからでしょー」
太刀川の背後に敷かれた寝具には、これまた薄着のみょうじが、布団に包まって登校の準備をする太刀川を見守っていた。
フローリングの床の冷たさも知らないみょうじは、講義に出席しなければならない太刀川に、気の抜けた応援を寄越した。ボーダーへ十時までに出勤すればいいみょうじは、ゆうに一時間は余裕を持っているのだ。
「朝飯用におにぎり作ってあるから、インスタントの味噌汁でもてきとうに合わせて食べてけ」
「かわいい慶くんのために朝ごはんを用意してはくれないんですかね」
「ばっかおまえ、寒いのは嫌だ」
軽口をたたきながら、太刀川は今日の服装に悩んでいた。先程から漁っていた衣装ケースには、太刀川がみょうじの部屋に置きっぱなしにしている服が収納されている。そのレパートリーはどれもが初夏から夏にかけての服なのだ。
この部屋に泊まりにくるようになったのが六月ごろだったから、薄着しか置いていないのは当然だ。暑さが続くからと怠っていた衣替えのしわ寄せが、このクソ寒い今朝に来てしまった。
いっそ大学行くのをやめるかとも思ったが、必修講義をサボってまで彼氏の家にしけこんでいたとなれば、万が一忍田にバレたときの面倒がはかりしれない。
多少の寒さを我慢して、どうにか季節を誤魔化した服装にするかと思ったとき、呆れたようなみょうじの声が背後から投げかけられた。
「収納棚の一番下の引き出し。セーターがあったはずだから、それ着て行けば」
言われるままに引き出しを開ければ、確かにそこには秋冬物だろう厚手の衣類が収納されていた。太刀川は目についた紺色のセーターを引っ張りだす。
みょうじと太刀川は体格が似ているから、服を共有することは可能だろう。これまでなんとなくしていなかっただけで。布団に寝転がっているみょうじへ伺いの視線を向けると、「好きに着ろって」と承諾が得られた。
いそいそと袖を通してみると、セーターからはみょうじの使っている柔軟剤の香りと、防虫剤の臭いがした。みょうじの家のクロゼットのにおいであるそれは、不思議と心地よく思えた。
「下、適当にジーパンはいてけ。遅刻すんなよ」
にやにやと目を細めているみょうじは、ご満悦の様子だった。雨の日の、月曜日の、一時限目の憂鬱さを、セーターのにおいが払拭してくれるようだ。
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