部誌11 | ナノ


残り香



From:じん
Title:ラッキーアイテム
Subject:
今日のラッキーアイテムは傘
持っていると良いことがあるかもしれない
△△市では、雨が降る


「みょうじさん? みょうじさんはですねェ〜」
くるりとほんのり明るい栗色の髪の毛を巻いた女が、いかにもSNS映えがしそうなパフェをつつく。流行りだというグラデーションのかかった唇は、パフェの飾りの宝石みたいな果物のナパージュに似ていた。
唇を尖らせて彼女は耳にさげたスノードームを揺らした。
外は雨だ。さっきまで滝の中に居るのかと思うほどにざんざか降ってきた雨は小康状態で、今なら駅まで歩いて行けるだろう。
彼女ほど、みょうじなまえと同じ学校に通っているという事実がしっくりこない人物も居ないだろう。写真でみる限り、みょうじなまえはひどく真面目でストイックな面構えをしていた。唐沢は自分の人選を悔やみはじめている。いや、いかにも値が張りそうな店構えの、この店に入って「奢りっていいましたよね」と首を傾げた彼女を見た瞬間から悔やんでいる。
懐もそうだが、周りの目も気になる。いい年をした男と、女子大生。周りからはどう見えているのかとヒヤヒヤする。
「めちゃ頭良くてイケててやばいんですけどぉ、めちゃブアイソでぇ、でもすごいんですよ」
「そうかぁ」
唐沢は鍛え抜かれた表情筋を駆使した。
「あの人、超能力があるんです」
「はぁ」
「あ、信じてませんね? ほんとなんですから、笑わないでくださいよ」
「いや、唐突な話だから」
彼女の指摘とは真逆に、真剣な表情を押し隠すために作り笑いをつくりなおした。超能力、と言ったか。少し、面白い話だと唐沢は思う。
「みょうじさんはめちゃめちゃ当てるんですよ。向かいの生物研究室から逃げ出したおサルの居場所だって、当てちゃったんです」
これは、友だちの話なんですけど、と前置きをして彼女はみょうじなまえの超能力エピソードを追加しはじめた。
普通ならばくだらないと一蹴して、右から左へ流す話だが、唐沢は「超能力」が荒唐無稽な話ではないことを知っていた。
唐沢が思い当たる超能力とは、トリオンに由来する「サイドエフェクト」のことだ。トリオンのことは一般市民には知られていないため「サイドエフェクト」のことも、一般人は知らない。
――これは思わぬ拾い物かもしれない
唐沢はそう思った。
『この人物を引き抜きたい』と忍田本部長に資料を渡されたのは昨日のことだ。唐沢が△△市に出張する予定があると知って、ならばついでに、と渡された。
ボーダーの資金繰りを一手に担う唐沢は多忙だ。普通ならスカウトはスカウト専用の人材を派遣するのだが、唐沢はこれを引き受けた。理由はいくらかあった。
ひとつ。彼の採用が、資金繰りに有利であること。
ひとつ。忍田本部長が「欲しい」という人材が、稀であること。
みょうじなまえは、この街にある小さな大学に呼ばれて教鞭をとり、研究室を与えられている。学部の名前は新設されたばかりのカタカナの多い学部で、講義を取る学生も、今唐沢の目の前でパフェをつついているような風体の学生が多い。普通ならば、取るに足らないような人材だが、ボーダーにとっては違う。
彼の専門は、軍事評論だった。この国では軍事評論についての研究が進んでいないために、海外で勉強をしたらしい。忍田本部長が寄越した資料にはそう書いてあった。
学生たちに教えている内容は『広い意味での社会学』だそうだが。
前々から本部内でも指摘されていたことだが、ボーダーが相手にしている「侵略者」いわゆる、近界民は、ただの怪物、化物ではない。『人』が操る兵器だ。このことはボーダー内部でも下位の隊員には伏せられている事情だ。
そのため『人型近界民』が襲ってきたときに、ボーダーは情報の処理に腐心した。
相手がただ単純に湧き出すバケモノではなく、兵器を開発し、兵力を集め、侵攻する『人類(ホモ・サピエンス)』であると、公表されれば、さまざまな反応があるだろう。
いつか、戦う敵のことを広く世間に公表することもあるかもしれない。そのときに、彼のような人材がいれば便利だろう、と唐沢も踏んだ。
忍田本部長が彼を推した理由は、彼と忍田本部長が級友であった、などの理由が絡むそうだが、唐沢はそのあたりは詳しくきいていない。
だが、会いに来てみたは良いが、アポイントを事前に忍田本部長がとってあったというのに「不在です」と居留守を使われた。居留守だとはっきりとわかる。なにしろ、唐沢は窓から彼が学生に名前を呼ばれ、返事をする声をきいていたのだから。
帰ろうか、と思ったところで、唐沢はこの女子学生に声を掛けられた。
『みょうじせんせに御用ですか? わたし、今日アポ取ってるんで会えますよ。せんせ、学生のアポはキチンと守るんです』
外部の客のアポイントを守れよ、と唐沢は思ったが、ウッカリ、この女子学生の申し出を受けてしまった。パフェを奢る、と軽率に約束をした上で。
雨が降ってきたことも悪かった。この大学は立地が悪く、駅までが若干遠い。体育会系の唐沢にとってはタクシーに乗るには少し、近い。そんな微妙な距離にあった。
そんな予報はなかったというのに、傘をさしていても靴の中までずぶ濡れになりそうな激しい雨が降ってきた。偶然にも傘は持っていたのだけが、靴が使い物にならなくなることは困る。しかし、タクシーは滅多に通らず、乗るならば電話で呼ばなければならない。バスは滅多に通らない。
幸い、この後は本部に帰るだけだし、時間を潰して情報収集ができれば、と思ってしまったのだ。
予想より値が張ったパフェと早くも小ぶりになった雨に後悔をはじめていた唐沢だったが、「超能力」の話をきいて姿勢を正した。
忍田本部長は、もしかするとコレを知っていたのだろうか。
「あ、アポの時間だ」
喋りながらもちゃっかりとパフェを完食した女は、化粧直しに席を立つ。パフェにのった果物と一緒に唇のナパージュが消えていっていたのを唐沢はみていた。
その間に会計をと冷めた一口分のコーヒーを飲み干して、伝票を取る。その金額を見て、唐沢は大きくため息をはいた。




『太刀川慶をご存知ですか』
彼はそう言った。




でかい。
それが『界境防衛機関ボーダー』という耳になじまない名前の民間企業の本部をみたときのみょうじなまえの感想だった。
外部からは窓などが伺えず、ドーンとコンクリのような建物がそびえ立つ様子は、どこかの国の五角形の軍事施設に似ていた。
おそらく、共通点は「敵の直接攻撃に備えていること」だとみょうじは予想している。
みょうじは、この「界境防衛機関」のことにあまり詳しくない。数年前、突如「大災害」に見舞われた三門市に現れ、救った組織であること。なにか「近界民」という未知のものからこの三門市を守護していること。
三門市内ではそれなりに情報が開示されているらしいが、外部にはそれほど漏れ出てこない。漏れ出てくるニュースはあるものの、三門市に居ないだけで情報は精度を失っていく。みょうじにはどれもこれも、真実を覆い隠す薄っぺらな言葉であるように思えていた。恐怖のせいだろうか。何かに欠けている、とみょうじは思っていた。
この基地をみたときにみょうじは自分の勘が裏付けられたことを感じていた。
みょうじはしばらく海外に出ていた。帰ってきたのは最近で「大災害」についてのニュースなどは海外で聞いた。自分の住んだことのある街の名前を遠く離れた異国の地で聞くのはとても不思議な気分だった。でもそれ以上にみょうじにはニュースの内容が薄気味悪かった。
正直、みょうじはこの組織が世間にそれなりに受け入れられていることが、よくわからない。
だから、ここから「スカウト」が来たときにみょうじはまず、居留守をつかった。
良くないことだとはわかっているのだが、みょうじは人見知りだ。一応、学生には接客業として愛想は尽くしているが、高校時代の友人だからと引き受けた面会に、知らない男が来たら居留守も使いたくなる。
子供っぽい言い訳であることは重々承知だったが、相手は一枚上手で、レポートを見て欲しいと予定を取り付けていた女学生にくっついて『帰られておいででしたか。先程は留守だと言われまして』とニコニコと宣った。
たしかに、興味はあった。それなりに、出来る範囲で情報も集めていた。
同時に、不審感を抱いていた。
断るつもりでいた。
なのに。
「なーんで、来ちゃったかなァ」
みょうじは後頭部を掻いた。一度来てみて下さい、と唐沢という男に言われるまま、来てしまった。
薄気味悪いほどにスッキリとした応接室で人を待ちながらみょうじはため息を吐いた。
3Dモデルにテクスチャを張ったみたいな部屋だ、とみょうじは思う。
正直、三門市には一度来たいと思っていた。何しろ、高校生の頃まで住んでいた街だ。海外に行ったあとも、実家がよそへうつるまではしばしば帰って、この街ですごしていた。様変わりしてしまっていることは話に聞いていたが、知っている場所だって残っているかもしれない、と思っていた。
思ったよりも、変わってしまっていた街並みにいささかがっかりしながらも、みょうじは同時に自分の興味が刺激されていることを感じていた。




みょうじなまえという男は、昔から人見知りだ。
よくしらない人間に会うときはいつも「ツン」と澄まして他所を向いている。なまじ容姿が整っているものだから、ただの人見知りにも迫力が出て、話しかけづらい印象になる。
そこそこに打ち解けると、それなりに愉快な人間なのだけれど、そこまでの道のりが長い。忍田の場合は、半年かかった。高校生の半年だ。あと半年でクラスが変わってしまうかもしれない、折り返し地点になって彼はようやく忍田の顔を真正面から見た。
そのせいで、みょうじの友人と呼べる人間は本当に少ない。忍田の知る範囲では片手で足りる。頭は良かったが海外留学するという話にまさかと思った。
彼が海外から帰ってきて、大学で教えていると聞いて「うまくやったんだな」「人見知りを克服したのだろう」と忍田は思っていた。
「ひさしぶりだななまえ」
「ああ」
スイ、と視線を泳がせたみょうじに、忍田は天を仰ぎたくなった。
唐沢に彼の引き抜きを頼んだのはダメ元だった。本当は自分で行く気だったが、防衛の関係で動けず、他の人間が行ってどうにかなる問題には思えず、唐沢に頼んだ。組織の資金をどこからともなく調達してくる唐沢だから、多少、人格の改善されたみょうじならいけるのではないかと。
たしかに、唐沢はみょうじを引っ張り出すことには成功した。
それを聞いたとき、やはり海外に出て揉まれて、人見知りがマシになったのだろう、と忍田は思った。
しかし。
これはどうだろう。
みょうじはこの室内でコートを脱ぎもせずに「今すぐに帰れます」という風体で忍田の顔をちらりと見たきり視線をそらしてしまった。
友人と呼べる仲になる前のことを忍田は思い出した。
――まさか、会ってないと好感度がリセットされる……!?
どこかで誰かが話していた名前もしらないゲームの仕様を思わず思い出しながら忍田は顔を引き攣らせた。
一応、メールの返信内容からすれば、みょうじは忍田のことを覚えているはずだ。しかしながら、みょうじは忍田と目をあわせようとしない。
「……ま、待たせたな。少し打ち合わせが長引いてしまって」
「ああ」
「まさか来てくれるとは思わなかった。唐沢さんが行ったのに居留守を使ったって?」
「ああ」
「あいかわらずだな」
「ああ」
この「あ」と「あ」しか話せない不出来なロボットに壁打ちをしているかのような感覚は久しぶりだ。なにしろこんな起伏のとぼしい声で「ああ」しか返事をしない人間は、めったに居ない。忍田はみょうじしかしらない。
こうなると益々、彼が招待に応じた理由が謎だった。
「驚いただろう、この建物」
「……ああ」
少しだけ、間を置いた「ああ」だった。しかもちらりと視線がうつる。なるほど、組織への興味かと忍田は得心した。彼と高校時代に仲良くなったときもたしか、モノへの興味で釣ったことを忍田は思い出す。
この無愛想の塊みたいな男を当時の自分は何故そんなに気にかけていたのか、あんまりにも無愛想だからかまってみたくなったのか、今でも忍田はわからないままだ。
「……コート脱いだらどうだ。暑いだろう」
「……ああ」
こくり、と一つ頷いてみょうじはコートを脱ぐ。洒落たデザインの洒落たコートの下から、これまた洒落た服が出てきた。みょうじがこんな服を店で買えたのか、と忍田は妙なところに感動した。
ちょっと知らないところに連れてこられて緊張しているだけで、みょうじの人見知りは改善されているのかもしれない。
たとえ、応接室の一対一の空間の中で、なぜか明後日の方向を見て視線を合わせようとはしなくても、これでもみょうじは一応、立派な社会人だ。
コートを綺麗に脇に置いて、みょうじは「で」と切り出した。
「あ」の他に久し振りに聞いたみょうじの声に忍田は少しだけ感動した。「で」の一文字だったけれど。
何か後ろに続くのかと待ったが、続かない。訳すなら「本題があるのだろう、さっさと話せ」といったところか。高校生時代最後の頃のみょうじはそれくらいの音節は話していた。たしかそのような話し方だった、気がする。忍田は薄れた記憶を辿りながら、みょうじが望むだろう本題の切り口を探した。
「……うちで、研究をしないか。おまえの専門の『軍事』について、だ」
手っ取り早く忍田は切り出した。一般に公開されている近界民の情報は少ない。本当ならば詳細に話をしてから話すべきことだろう。しかし、それにはもしも、みょうじが断ったなら、というリスクが付いてくる。
でも、説明する必要は無い、と忍田は思った。
みょうじはおそらく、そこにある何かが、どんなものなのか、自分に求められていることが何か、知っているはずだ。
そういう確信があった。そうでなければこんな人見知りがわざわざ出張ってくるはずがない。
「おれに、軍師の真似事でもさせるつもりか」
毅然とした口調で、あまりにも平板な声が響いた。彼は口数も少ないし返事のレパートリーも驚くほどに少ないが、モゴモゴとは話さない。よく通る声と率直な物言いに、忍田は、ああ、これだ、と思い出した。
薄れていた記憶が刺激されて、鮮烈な思い出が浮かび上がる。
みょうじは、ひどくまっすぐで、ひどく遠回りな話し方をする。その話し方がとてもおもしろかったのだと、忍田は思い出した。
忍田が懐かしさに気を取られて返事に窮すると、みょうじは今度は少しトーンを落として、それでもあまりに響く声で言った。
「おれは学者だ。ガキどもの命など背負えない」
声に抑揚がない。だから、その声から、みょうじの感情が読み取れなかった。
他人は、そこにみょうじの持つべき感情を想像でのせる。
忍田はそこに軽蔑の色をのせた。吐き捨てるように言われたのだと思った。とっくに覚悟を決めた話だったのだけれど、それをみょうじに弁明しなければならないと思うと、なぜかひどく後ろめたかった。
何かを弁明しないといけないと感じて、口を開いて、口を閉じて。みょうじの目を見た。
目があった。
「なまえに指揮をとってほしいわけではないよ」
「……自覚はあるようだな」
真っ直ぐな瞳が忍田の方を向いている。どうやら、好感度はリセットされていなかったみたいだ。少し、安堵して、それから、彼が気遣っていることを知った。
勝手に想像して押し付けたみょうじの感情が間違いだったと気づいた。
何年、会っていなかっただろうか。
その間にあった年月が彼を少しも変えていなくて、それでいて、彼を成長させていることを忍田は感じた。
「安心した。きみらにガキを使って戦争ごっこをしている自覚がないとは思っていなかったけれども、無ければどうしてやろうかと思っていた」
そう言いながらみょうじは脚を組んで膝を抱えるように白い指を組み合わせた。落ち着いて話を聞こう、というポーズだった。
「これから話す話を、口外しないと約束できるか」
忍田はすべてを話そうと思った。もし彼が、協力しないのであっても、迂闊なことをべらべらと話しまわる人間ではないことを知っていたし、記憶の操作という手段もある。
「……怪しいな。おれはここから生きて帰れるのか」
「そう、構えなくてもいい」
みょうじは敏い。用心深い。
みょうじが、知識欲は人一倍にあったけれど、なにか、納得のいかないことがあったら、さらりと帰ってしまう人間であることを、忍田は思い出していた。
「なまえが信用できることはよく知っている」
怪しい、とみょうじの顔に書いてある。「ああ」という定番の返事すらない。
これは、失敗した。と忍田は思った。
「……話せ」
コートを掴んでさっさと「さようなら」ときれいな声で断りを入れて帰ると思っていたみょうじは応接室の白いソファーに腰掛けたまま、不機嫌そうに忍田を見ていた。
みょうじは立ち去るときにかならず「さようなら」という。目を合わせなかったときも「さようなら」だけはキチンと発話していた。前にマナーがどうとか叱られて面倒だったという話を聞いたことがある。いつも叱られているのに「こんにちは」を発話しているのは聞いたことがなかったので、不思議に思ったことも思い出した。
よく通るアルトの「さようなら」に、みょうじに思いを寄せていた女生徒が拒絶の感情をのせて、泣いていたことまで思い出した。




「……頭が痛いな」
説明の最中、みょうじはほとんど口を挟まなかった。ひとつふたつ疑問を投げかけることはあったが、忍田の話の腰を折るようなことはしなかった。
だいたいこれが話せるすべて、というところまで話し終わったところでみょうじは額を押さえて大きなため息を吐いた。
「想像はしていたのだろう」
「……ああ」
何かを考えながらみょうじは視線を落とす。
しばらくそうしたのち、ぽつり、と疑問を吐いた。
「真史、きみは、なぜこの三門市に彼らが攻めてくるのか、知っているのか」
「他の地域でも、近界民のものと思われる拉致被害は確認されている」
「それでも、ここほどに大規模なものはなかっただろう。ここは備えてあるとわかっているにもかかわらず、彼らは三門市に来る」
「ゲートの誘導装置があると説明したと思うが」
「そっちじゃない。わかっているだろう。誘導装置の電波とやらが届く範囲のことじゃない」
忍田は動揺が顔に出ないように気をつけながら、表情をつくる。
「近界と地球は物理的につながっているわけではない。物理的では無い面で、近界と近い場所が『三門市』なのだろう」
みょうじは少し唇を笑みの形に歪めて「なるほど」と吐いた。
なにか。何かを掴んでいるような顔でみょうじは嘯いた。
「おれは、ここに『なにか』があるか、『誰か』がつくった航海図にここが載っているのだと思ったが。そちらのほうが、それらしいな」
一応、みょうじと忍田は高校時代に友人になった。みょうじのほうもみょうじのほうで体育祭の「借り物競走」で「ともだち」を引いて忍田を連れに来たから、おそらく友人だと認識しているだろう。
本人は「近かったから」と言っていたが、他に連れていける人間が居たかは甚だ疑問だ。
しかし。忍田はこういうときにみょうじが何を考えているか、想像できない。納得したのか、納得していないのか、彼が友人に対してなにをどこまで許しているのか、まったく知らなかった。
だから。
「引き受けよう」
彼がそう言った理由が、何一つわからなかった。






『傘、ありがとう。お陰でずぶ濡れにならずにすんだよ』
『そりゃ良かった』
唐沢は畳まれた傘を差し出した。A級1位部隊を率いる隊長、太刀川慶は傘を受け取ってニコニコ笑う。
あの日、△△市に行く前に、朝に資料を取るため本部に来た唐沢は、太刀川慶にばったりと出会った。
そこで、珍しくひとつふたつ、世間話をして、何故か彼が手にしていた傘の話をした。
『ラッキーアイテムなんだそうで』と太刀川慶は藍色の傘を振りながら言う。トリオン体で弧月を振り回している彼が長いものをもつと、なぜだか武器に見えてしまう。そんなことを思いながら、今日はどこへ、と聞かれて『△△市へ』と答えた。
すこし驚いたあと、太刀川慶は『△△市は今日、雨が降るそうですよ』と言って、ラッキーアイテムだという傘を唐沢に差し出した。
その日、天気予報は何も言っていなかったのに、△△市では雨が降った。
『太刀川くん、みょうじなまえって人、知ってるか?』
唐沢の問いに太刀川は目を見開いて、『なまえ?』と嬉しそうに、親しげに、その名前を呼んだ。




みょうじは広い食堂のフロアをコートのポケットに手を突っ込んだまま見上げていた。基地内は適温になっているはずなので、コートを着る必要はないのだけれどみょうじはコートを着なおした。
みょうじなまえという男に、正義漢の気質はない。
公平で、冷静で、冷徹と呼べるほどに周囲に無関心だった。
悪い男ではない。
しかし、道端で重い荷物を持っている老婦人を見かけても基本的に素通りする。倒れている人がいれば第一発見者であれば通報くらいはするらしいが、救急救命をする義務意識は感じないらしい。
自分に類の及ばないところに対してですら、基本的に無関心だが、多少、人間らしさは心得ているようで、義務だ、などと言ってたまに迷子の子供を交番に引っ張って行ったりはしていたようだった。
だが、自分に対してのリスクは絶対にとらない。
迷子の子供は引率しても、ひったくり犯の検挙には絶対に協力しない。怪我をする可能性があるから、と言っていたのを、忍田は聞いたことがある。
実物の彼を目にするまで忍田もすっかり忘れていたのだが、みょうじは元来、そういう男だった。
だから、目にしたとき、思い出したとき、忍田は唐沢さんに無駄なことをさせてしまったと思った。彼がボーダーのしていることに若干の興味があっても、協力はしない、と思ったのだ。
協力をしないと決めたのであれば、自分の興味をさらりと捨てて、去るだろう、と思った。彼は自分の職を持っている。何がどこがどう変わったのかわからないままだったけれど、高校時代に一番苦労するだろう、と周囲に言われていた就職を一応、みょうじは終えていた。それを捨てて、新しい職場にうつるようなことをみょうじがするとは忍田には思えなかったのだ。
『協力する。手続きや時期の話もした方がいいか』
みょうじがそう言ったとき、呆然とした。
『少し、この施設内を見回っていくか』と、話し合いを終えて、声を掛けたとき、まさか『見ていこう』とみょうじが答えるとは思わなかった。
城戸司令には既に話は通してある。扱いやポジションは未定だが、本部長である忍田に一任すると、城戸司令は言った。
唐沢さんが言った『超能力』についても城戸司令の興味を引いたようだった。
みょうじには昔から、なにか、不思議な力がある。
本人は『少し鼻がいいだけだ』と言っていたが、多少嗅覚がいいだけでは説明がつかないことがたまにあった。忍田も後々「ひょっとすると」と思ったものの、あまり自信がなかった。
そのことについて調べていたデータを忍田は沢村から受け取った。
「本部長の予想通りですよ」
データが表示された端末を手渡しながら、沢村が忍田に耳打ちする。本来なら本部長である忍田には他の仕事がある。しかし、極度に人見知りなみょうじを他の誰かに預けるのは心配だった。
みょうじが心配なわけではない。この社会不適合で不遜な男を誰かに任せるのが心苦しいというのが正直なところだ。
本部長の仕事を束の間肩代わりしてくれている沢村が見せたのは、応接室でのみょうじのトリオンに関するデータだ。簡易なことしかわからないが、みょうじのトリオン保有量がかなり多い、とそこには書いてあった。
この量なら、サイドエフェクトを持っている可能性は十分にある。
「忍田本部長のご友人、カッコイイですね」
そうぽろりと零した沢村に忍田が「みてくれだけだぞ」というと「興味があるとかそういう意味では」と慌てて仕事に戻っていった。
確かに、みょうじの容姿は良い。こうやって連れて歩いているだけで目を引く。が、みょうじが来客の札を下げていて、本部長である忍田が案内をしている関係で話しかけてくる人は居なかった。
正直、ありがたいと忍田は思う。
彼の社会性が少し更生されていると思って、呼んだのだ。まさかそのままだとは忍田は予想していなかった。大学でどうやって学生に対応しているのか、とても気になる。
「安いな」
メニューを見上げながらみょうじが言う。彼の好物はなんだっただろうか。極度に人見知りなみょうじだけれど、偏食の卦はなかったと、回想する。
「食べていくか」
「必要ない」
次だ、という風にメニューから視線をそらした。
それに従い忍田は次に見るべき場所へみょうじを案内する。一応、民間の組織であるボーダーには支援が必要で、外部の人間に案内すべき場所というのは決まっていた。
途中、みょうじが不自然に動きを止めた。
何かを見ているのかと思ったが、みょうじの視線の先には何もない。
なにか気になることがあったか、と聞こうと口を開いた瞬間だった。
「やめろ」
鋭い声がして、みょうじが振り返った。その動きに、忍田は思わず身構える。自分に「やめろ」と言っているのか、それとも、他の何かか。トリガーを起動すべきか、逡巡して、みょうじの視線の先を追った。
その先には、何もない。
振り返ったみょうじが不思議そうに目を見開いて、忍田もぽかんと口を開けた一拍後、虚空から腕が出現した。
「なまえ!」
うわッとみょうじが悲鳴をあげた。みょうじの悲鳴を、はじめて聞いた気がする、と、ドスン、と鈍い音を聞きながら忍田は思った。
突然、誰かが現れて、みょうじが押し倒された。一瞬、呆気にとられたあと忍田は「カメレオン」が使われたのだと認識した。そして、わざわざカメレオンを使いみょうじの背後に忍び寄って、みょうじを押し倒したのは忍田の弟子、太刀川慶だ。
「……みょうじ、大丈夫か。慶、何をしている」
状況を認識した忍田は慌ててみょうじの上に覆いかぶさった大きな男を引っ張り上げた。黒いコートのトリオン体に換装した太刀川はひょいと顔を上げて、だいじょうぶだいじょうぶ、と言った。
「おまえに聞いているわけじゃない、慶。みょうじ、」
「……真史」
廊下に仰向けに倒れたみょうじが、パチリと目を開いた。
「いまのは何だ。……トリガー、というやつか」
「……そうだ。『カメレオン』というトリガーだ」
「なるほど」
太刀川のホルダーには、カメレオンは入っていなかったはずだ。太刀川は忍田の弟子だ。彼の戦闘方法と密接に関係するトリガーの中身を忍田は知っている。
みょうじを助け起こしながら忍田は太刀川をちらりと見た。
「そこに座れ」
なんと説教すれば良いか、何から説明させるべきか口を開こうとした忍田を遮るように、冷たい声がした。
「正座だ」
みょうじが白い地面を指差しながら太刀川に言う。太刀川は「言うと思った」と笑いながら廊下に正座した。
「そこでしばらく待ってろ」
「いくらでもいいぞ。これ、戦闘体だから足は痺れないからな」
「なら、解け」
「えー」
「解け。あと、おれを気安く呼ぶな。先生をつけろ」
「もうなまえは先生じゃないだろ」
「は?」
「あ、はい」
太刀川がみょうじの迫力に気圧されて、換装を解いた上で忍田に「手早くお願いします」と言った。みょうじの声には、いつも、起伏がなかった。だから、何を考えているのかわからなかった。
今の声はなんだ?
本当に、みょうじが話したのか。
「……おまえたちは、知り合いなのか」
みょうじは高校を卒業してすぐこの三門市を離れた。当時、太刀川はまだ幼かったはずだ。どういう接点があったのか、わからない。
「おれがこっちに休暇で帰っているときに、家庭教師を頼まれた」
彼の声は、聞き覚えのある抑揚のないものに変わっていた。簡易な説明に、忍田はみょうじが三門市に高校を卒業してから帰ってきていたこと、人見知りのくせに、家庭教師なんて引き受けていたこと。しかもその相手が太刀川慶であったことを知った。
「……おまえが? 慶の?」
「慶のご両親とおれの両親が知り合いでな」
「……蛮勇だな」
「どういう意味だ」
みょうじはかなり、頭がいい。全国模試の上位に名前が載るほどに良い。しかし、極度の人見知りだ。そのみょうじに、お世辞にも頭が良いと思えない太刀川の家庭教師をさせるなんて、蛮勇以外の言葉がない。太刀川の両親は神頼みのような気持ちだったのかもしれない。
「それはそうと、おまえ、カメレオンを入れたのか」
太刀川の戦闘スタイルは完成されている。二刀流の弧月に、戦闘に必要なトリガーを目一杯いれてあったはずだ。そこに変更を加えたことが気にかかって忍田は先に太刀川に質問した。
「あ、これは隠れんぼ……いや、テスト用の借り物です」
「……後で聞こう」
忘れてくださいという太刀川に忍田はそう言ってからみょうじに向き直った。
「知り合いだったとは知らなかった。教え子か」
社会性が皆無なみょうじだが、この様子をみると、キチンと家庭教師の任を全うできたのだろう、と忍田は思った。
「慶は今、A級1位の部隊で隊長をしているんだ」
教え子の今の様子を聞きたいだろう、と思って忍田は説明する。それに、みょうじは目を剥いた。
「……コレが?! ここは大丈夫なのか!? コレはめちゃくちゃアホだぞ!?」
聞いたことのない、みょうじの声だと忍田は思った。
失礼な、という太刀川の声を聞きながら再会してから、ずっと引っかかっていた違和感が、スルスルと解けていく。欠けていたピースを、忍田は見つけた。
「いいか、真史。こいつは、勉強がイヤで二階の窓から抜け出してあろうことか真夏の灼熱の屋根の上で昼寝して熱中症で救急車で運ばれるようなアホだぞ?!」
「なまえせんせ、その時俺を助けるために屋根に登って落ちて骨折したんだよな」
ははは、と太刀川が笑う。笑い事じゃない、とみょうじが怒る。みょうじが、怒っているところを、忍田ははじめてみた。
「……戦闘については、申し分がないからな」
コメントに困るエピソードを披露されて、忍田は曖昧に笑った。
「で、なまえセンセはボーダーに来るのか?」
こっそりと足を崩しながら太刀川が訊く。目敏く見つけたみょうじが、キチンと座り直すように指導していた。
「一応、そういう話だ」
「やった」
みょうじが答えて、嬉しそうに太刀川が笑う。
それを見ながら、忍田はこの後の施設の案内は太刀川に任せられる、と思った。




「迅」
太刀川は、本部で見かけるのは少し珍しい背中に呼びかけた。最近までは珍しかったのに、ここ最近侵攻があって、頻繁に見かけるようになった。個人戦にも復帰することから、これからはもっと、増えるかもしれない。
迅悠一は振り返ると、太刀川さん、と片手を上げた。
「メール、さんきゅな」
「うまくいったみたいだな」
迅悠一には、未来をみるサイドエフェクトがある。
何を、どう見たのかわからなかったけれど、たしかに、うまくいった。
「なあ、おまえ、どこまで知ってるんだ?」
太刀川は訊ねた。
太刀川は、なまえに再会できて嬉しかった。唐沢さんに話をきくまで、太刀川はなまえがこの国に帰ってきていることすら知らなかった。
唐沢さんは『傘』がなまえを呼んだと言った。
なまえには、サイドエフェクトがあった。嗅覚が良いのだという。その嗅覚で、傘が太刀川のものだと見抜いたのだと、そう言っていた。
それで、わざわざ居留守なんて使って唐沢さんを遠ざけたのに、ボーダー本部までノコノコとやってきて、こちらに住居をうつす相談なんてしている。
それって、と太刀川は思う。
なまえが、太刀川に会いに来たみたいだ。
忍田は、なまえが侵攻があったばかりで危険な三門市に近寄るなんて思えない、と言っていた。
太刀川が知るなまえは、そんな人じゃない。
危険な屋根の上に、太刀川を助けに登ってくれるし、太刀川が凶暴な鶏小屋に忍び込んで、髪の毛をむしられているときに、鳥小屋なんて臭い場所が大嫌いなのに飛び込んで来て一緒に鶏に突かれながら回収してくれる。
自分の身を顧みないで助けてくれる人だった。
それって。
なまえにとって、太刀川は特別なんだろうか。
そう、期待してしまう。
「……さぁ?」
迅悠一は肩を竦めた。なんとなく、それが、肯定しているようにみえた。



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