部誌11 | ナノ


てのひらのおんど



いつものようにシャワーを浴びて、髪の毛をタオルで拭きながら下着一枚でリビングに出た。たしか冷蔵庫にオレンジジュースが残っていたはずだ。一杯飲もう。真夏の風呂は暑いのだ。そんなことを考えながら、ふう、と息を吐いた。
「お風呂、入ってる?」
想定外の声を聞いてなまえは目を見開いた。ラフなTシャツ一枚の女性が、なまえが飲もうとしていたオレンジジュースをコップにすべて注いで飲み干してる最中だった。
「……いや、シャワー浴びたから、ってか、母さん帰ってたんだ」
「あら残念。今日はこの時間だって昨日言ったでしょ? ほら、晩御飯作るから手伝って」
「言ってたっけ?」
昨日は顔を合わせていない気がする、けど、ひょっとして聞いたかもしれない。なまえの母の仕事は不規則で、そのシフトをなまえは中々把握できない。できれば、母が居る日は一緒に過ごしたいから、せめて前日にはわかっていると良いのだけれど、母の生活リズムの不規則さに反して極めて規則正しい生活を送る中学生であるため、すれ違うことが多い。
それに母は結構がさつだ。だから、伝えたつもりで実は伝えていないなんてことがザラにある。
多分昨日のこともそうだろうと思いながらなまえはそれを指摘しなかった。オレンジジュースのことも、飲みたかったとは口に出さずに、コップに水を汲んで、飲み干してから母の隣に立った。
「もしかしてオレンジジュース飲みたかった?」
「別に。それより、今日は何作るの?」
「遠慮しなくていいのに。ええっと、野菜炒めかな」
「じゃ、これ切ればいい?」
「うん」
母は、結構なまえのことをよく見ていると思う。親としては当然なのかもしれないけれど、料理はあまり得意でないけれど、彼女は女手ひとつで、なまえのことをよく育ててくれていると思っていた。
なまえには父親がいない。生まれたときから居なかった。なまえの母は未婚のままなまえを産んで、育てた。母から、父親が今どこに居て、どんな人なのか、一度も聞いたことがなかった。聞くつもりもなかった。それで良いと思っていた。
だから、母の口からいきなり父親の話題が出てなまえはとても驚いたのだ。

「……ねえ、父さんに会ってみたい?」
炒めすぎてしなしなになった野菜炒めを口に突っ込みながらなまえは首を傾げた。
「……は?」
「いや、アンタいつになったら父親のこと聞いてくるのかと思ってたけど、聞いてこないし」
「……べつに、知りたくないし」
母は口をツンと尖らせて子供っぽい顔をした。苦労人なはずなの母は若く見える。それはこんな表情のせいかもしれない、となまえは思う。
「……アンタが知りたくないなら、いいけど」
かと思えば、すぐに親の顔をする。優しく笑って、いつものように遠慮しなくていいのに、と小さく言った。
「……父さんがほしいって思ったこと無いし。……兄弟はほしいって思ったことあるけど」
「居るわよ」
「は?」
和ませるための冗談に、予想の斜め上の回答がきて、なまえは箸を取り落とした。米粒が飛んで、勿体無い、と思いながらも、なまえはことの真相が気になって目の前でニヤニヤと笑う母から目が離せなくなっていた。
「居るわよ、アンタの弟」
母は、そう言った。


女手一つでなまえを育ててくれた母は、とても強がりな人だった。多分、なまえもそれに似たのだろう。家の外ではそれなりにそれなりのちょっとヤンチャな中学生をしていたなまえだったが、家の中では、母のために良い子でいようと努力した。
母はなまえの背伸びを見透かしていて、手のかからない子は嬉しいなんて言いながら、少し、心配していると思う。
母の手を煩わせたくない一心で、一度も聞いたことはなかったが、本当は父親のことも知ってみたかったし、本当は知りたくなかった。それは2つともなまえの中にある感情だった。

それが、いきなり弟だなんて。

母にみせられた如何にも盗撮っぽい写真に映っている子供の顔をなまえは思い出す。なまえもまだ子供だけれど、弟、と言われた子供はもっとずっと小さかった。
写真を見ても忘れてしまえば良いのだけれど、なんというか非常に運が悪いのだろうか。
「おい、おまえ、せんせいにいっただろ」
「とうぜんだ。わるいことをしたんだから」
一回り大きい小学生にくってかかる、いかにもヒヨコみたいな印象の眼鏡の小学生にの姿に、なまえは顔を引き攣らせた。見覚えのある眼鏡の小学生は、手のひらより大きい水風船を握りしめて、ひとまわり大きい小学生を睨みつけている。せっかく夏祭りに来たっていうのに、友だちはしれっと幼馴染と出会ったとかでどこかに行ってしまうし、ヤケクソで買った屋台のおみくじで、今日の祭りの分の予算は尽きてしまったし、ろくなことが無いと思っていたところにこれだ。
おみくじでは、ヨーヨーを当てたがそれで遊ぶのはもう飽きてしまった。
物陰にとっさに隠れたなまえの目の前で、状況はみるみる変わっていく。
「いたい! なにをするんだ!」
「おれはなにもしてないよ。おまえがかってにころんだんだろ」
眼鏡の少年が、あ、と小さな声を出した。暗がりに目を凝らすと、水風船が割れて、少年のの手には萎びたゴムが握られていた。
「どんくさいな、おまえ」
ニヤニヤしながら、言う上級生に、少年はきゅっと口を引き絞った。

「……何してんだ、お前ら」
「え?! なにも、してませんよ」
思わず、飛び出してしまったなまえを、少年も、上級生の子も、ぽかんと口を開けた。そりゃ、そうだろう。小学生同士の喧嘩に、乱入してくる中学生は滅多に居ないはずだ。
自分が悪いことをしたという自覚があるのか、上級生の子はさっと屋台の灯りの中に戻っていった。
一人で屋台を歩くには幼すぎる眼鏡の少年を見下ろしながら、なまえはどうしたものか、と顔を顰める。もう一人の子は、やんちゃそうだったから親の監視をわざとすり抜けて来たのかもしれないが、この子はどうにも、はぐれてしまっただけ、のような気がする。
「親御さんは?」
万が一、親と鉢合わせたら嫌だな、と思いながらなまえが声をかけると、少年は顔をくしゃっと歪めた。
「……われ、ちゃっ……」
握りしめた青い水風船の残骸と、泥だらけ手足を見ながら、なまえは本当に今日は運が悪い、と内心逃げ出したくなった。ここで逃げるのはどうにも良心が咎めて、なまえは自分の弟かもしれない子供に、もう少し付き合うことを決めた。
「転んだんだな。怪我は?」
しゃがんで目線を合わせてから、少年の膝と手を、確かめる。怪我はなさそうだ、と思いながら本格的に泣き始めた子供になまえはため息を吐いた。
「あー……これ、やるよ」
おみくじで当たったヨーヨーをなまえは少年の手に握らせた。
「……なに、」
「こうやって遊ぶんだよ」
軽く糸を操って見せると、本体がピカピカと点灯する。よく出来たおもちゃだ、と思いながらちらりと少年を見る。目を輝かせた少年と目があった。
「……すごい!」
「ほら、やるよ」
「いいんですか?!」
「もう飽きたから」
「おにいさん、ありがとう!」
ニコニコ笑う少年の、「おにいさん」という言葉に戸惑って、なまえは曖昧に笑った。
「そら、お父さんかお母さん探しに行こう」
「あ、はい、おかあさんとはぐれてしまったんです」
「お母さんきっと探してるだろな」
そう言いながら無意識になまえは手を差し出した。自分が手を差し出していたことを、なまえはその手を握られてはじめて気づいた。

やわらかくて、あたたかい、てのひらだった。



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