部誌11 | ナノ


夏が終わるね



シャクリ、小気味いい音と共に、冷たくて甘い氷が口の中に落ちてきて、消える。水分となったそれを飲み干して、もう一口。
何本目かもしれないアイスキャンディーは、冷凍庫にあったものだ。誰かの為に買い置きされたものがこの家にあるのが不快で、食べつくしてやるつもりだったのだが、段々それも飽きてきた。夏の終わりが近づいてきた最近の夜は暑さもなりを潜め、アイスの食べすぎで体も腹も冷えてきたので、頃合だったのだろう。

三人ほどは座れそうなソファに足を延ばして横になっていた出水は、チラリとリビングから見えるベランダに目を向けた。独り暮らしの癖に、2LDKの部屋に住んでいるこの部屋の主は、広いベランダの隅に置かれた収納庫を整理していた。一番日照りの強い昼時は避け、夕方に近い時間から始めたとはいえ、もう3時間ほどはベランダにいる。折に触れて水分補給させていたとはいえ、いい加減客人を放り出しすぎではないだろうか。せっかく今日は誰もこの部屋を訪ねておらず、独り占めできると思っていたのに。

八つ当たりのようにアイスを貪っていたが、それももう限界だ。出水公平は重い腰をあげ、ベランダへ足を運ぶ。大きなガラス戸の向こうは美しい夕闇。夕日が落ちかけ、夜の闇が空を覆い尽くそうとしている。そのグラデーションがとても綺麗だ。こんなに美しいものも見ずに収納庫の整理に精を出しているなんて、なんて勿体ないことをしているのだろう。

「なまえさん」

「んん〜?」

名前を呼びかけても、返ってくるのは生返事だ。水分補給をさせて時もこうだったな、なんて今日のことを振り返りながら、ベランダに出て、ガラス戸に背中を預ける。扇風機で空気を撹拌されていた日陰の部屋の中とは違い、外は暑く、湿気も肌に纏わりつくようで不快だった。

「もう夜だぜ? 明日にすれば」

「そうだなあ、でもあともうちょっとなんだよ。なんだかんだで物も増えたから」

そりゃあ増えもするだろうよ、と出水は内心で悪態を吐いた。ここに来るやつらがなんでも持ってきては置いて行くのだから当然だ。その事実が業腹で、舌打ちが漏れそうになる。

この部屋の家主であるみょうじなまえという人間は、出水と同じボーダーに所属する人間だ。今はかつての戦闘でトリオン器官が破壊され、実戦には出れなくなってしまった。よって本部のオペレーターの統括とともに、C級隊員たちの世話係のようなものも行っているのだ。人気の嵐山隊のオリエンテーションのあと、戦闘に不慣れな子供たちがそれぞれの師匠を見つけるまでの間訓練をみてやっている。所謂一番初めの先生といってもいい。
狙撃手に東春秋という大師匠がいるように、射手にはみょうじなまえがいる。実戦には参戦できないが、ボーダー本部の訓練室でなら戦闘は可能だ。鬼怒田さんに無理をいって、訓練室でのみょうじの換装は隊服もトリオン量も、現役当時のみょうじの限界値がそのまま設定されている。己のトリオン量を把握し、どれだけうまく運用できるかが大事なのだと、みょうじは口酸っぱく後輩に言い聞かせている。出水もそうした指導を受けた一人だった。

みょうじはその人当たりの良さから、訓練や戦闘の悩みからくだらないことまで誰でも何でも話を聞いてやる。そして騒がしいのが好きなので、よく部屋に誘って馬鹿騒ぎをするのだ。同い年らしい諏訪や風間たちは勿論、出水も、米屋や緑川、様々な人間がこの部屋を訪れる。鍵の隠し場所を教えているので、みょうじの留守中にだって勝手に上り込んでいる人間がいるくらいだ。
出水だってこの部屋の鍵の隠し場所を知っているし、勝手に使って上り込んだこともある。今日みたいに勝手にアイスを食べることもあれば、大学のレポートやらなんやかんやで買い物に行けていないみょうじの冷蔵庫の中身を勝手に増やすこともあった。ありがとう、と情けない顔で謝るみょうじに、しょうがねえひとだな、なんて呆れたことは数知れない。

いつからだろう。この部屋に、自分やみょうじ以外の気配があることを不快に思うようになったのは。

師匠を持たない出水だ。みょうじに戦闘のあれやこれやを密に教わったことはなく、たまの戦闘訓練でかち合っては勝ったり負けたりしていた、それだけの関係だったのに。その勝ち負けの内容に意味を見出すようになってから、出水は頻繁にみょうじを戦闘訓練に誘った。すでに現役を引退し指導に精を出すみょうじは、いい刺激になると自らモニター前で闘いを見守る弟子たちに解説しながら出水と戦ってくれた。それは出水にも、いい勉強になった。
それからは師匠とまでは行かないまでも、先輩と慕うようになり、部屋に招かれて大勢で馬鹿騒ぎをしたり、遊びに誘ったり誘ってもらったりして、今に至っている。お泊りなんかも頻繁にしていて、クローゼットの一角には出水の下着や寝間着を置くスペースもある。

でもそれは、出水だけじゃない。風間や、諏訪や、米屋のだってある。この部屋に荷物を置くスペースを与えられた人間は少ないけれど、出水だけでは、ないのだ。
その事実がどれほど悔しいか、みょうじは知らない。出水だって少し前までは知らなかった。知ったのは最近で、思い知ってからは、胸中に醜い感情がとめどなく生まれて仕方がない。この感情が嫉妬なのだと、知らなければよかった。嫉妬の根っこにある感情に名前をつけなければ、少しは違ったのだろうか。

「出水、見てみろ。花火が出てきたぞ」

埃まみれの顔を上げて、みょうじがへにゃりと微笑む。たったそれだけのことで、出水の心がどれだけ揺り動かされるかなんて、みょうじはきっと知らないのだろう。

「花火って言ったって、線香花火じゃん」

「まあでかいのは米屋とか派手好きの奴がやりつくしたしなあ」

楽しかったよな、と少し前を振り返るみょうじに、出水は素直に頷いた。確かに楽しかった。みょうじが借りたワゴンに乗って、三門市の隅にある川沿いのキャンプ場で馬鹿騒ぎをした。蚊に血を吸われただの蛇がいただの米を炊いたが焦げただの、最高にくだらなくて、楽しかった。まだ出水が想いを自覚する前の話だ。

米屋や緑川が花火を振り回してはしゃぐのを、出水はみょうじの隣で見ていた。はじめは同じようにはしゃいでいた出水だったが、ある程度すると飽きてきたし、暑いし疲れたし、はしゃぎすぎた事実が少しばかり恥ずかしかった。たかが花火にいつまでもはしゃげる米屋たちに呆れた視線を向けていた出水だったが、飲み物をとろうと不意にみょうじを振り返り、その笑顔に思考が一時停止したのだ。

「綺麗だな」

そう微笑んだみょうじに、咄嗟に言葉を返すことができなかった。俺も行こう、と米屋たちの方に向かうみょうじの背中を見送ることしかできなかった。米屋から花火を受け取り、同じように振り回す、みょうじの姿を目に焼き付けることしか、できなかった。

「公平もおいで」

そう、みょうじに誘われても。みょうじに誘われたからこそ、出水はその場から動きだすことができなかった。

一時停止から抜け出した頃には米屋や小寺に何やら悟られていたが、己の感情に振り回されている出水にはどうしようもなかった。無言でみょうじから距離をとって落ち着こうとする出水を不思議がるみょうじに、「思春期なんで」と誤魔化してくれたことは感謝しなくもないが、そのあとみょうじがいないところで盛大にからかわれたことは許さない。
それから、想いを自覚して、少しでもみょうじのことを深く知りたくて、ゆっくりとみょうじとの距離を詰めていった。その過程で思い知ったのは、邪魔者が多すぎるということだ。
みょうじは滅多に一人になることがない。誰かしらいつも隣にいて、何やら楽しげに会話している。その場に乗り込むこともあれば、頭を下げて通り過ぎるだけのこともあった。会話の相手が出水より年下の場合であれば乗り込めそうなものだが、諏訪や風間といった大人組だとそうはいかない。現役を引退しても作戦立案に参加しているみょうじは、東や忍田といった年上や上層部の人間たちとも親しいし、よく喋りこんでいる。その内容は難解で、戦術を学んだ出水をもってしても理解しきれない内容ばかりなのだ。勉強は苦手ではないが得意でもない出水にとって、頭が痛くなる会話はできれば遠慮したい。

だからこそ、今日みたいに二人だけの休日は、滅多にないことだったのに。

(なんで掃除してるかなあ……)

ふてくされた気持ちを抱きながら、出水はみょうじの首にかかっているタオルに手を伸ばした。その端を手に取り、埃で汚れたみょうじの頬を拭ってやる。

「ん」

はじめは伸びてきた出水の手にきょとんとしていたみょうじだったが、抵抗もせず、なされるがままに出水の行動を受けいれた。みょうじは稀に、出水が己を害することがないのだと知っているとばかりに、無防備な姿を晒す。なかなかとれない汚れに何度かタオルで擦られるのを、目を閉じて受け入れている、今のように。

(――――くそったれ)

ここでおれがキスしたら、びっくりするんだろうか。どんな反応をくれるんだろうか。予想もつかないから迂闊なことはできなくて、でもその唇に触れたいと、思う心は常にあって。
信頼を裏切りたくない。でも心のままにみょうじを求めたい。その二つの感情は、たまに寄り添ったり、相反したりする。ままならない己の感情に振り回される。

みょうじが、好きだ。
今のつかず離れずの関係も、嫌いじゃない。
でも本当は、恋人同士に、なりたいんだ。

「……とれた。もういいよ」

このままだと心のままに行動してしまいそうで、ぱっと出水はタオルから手を離した。乾いたタオルで擦ったからか、みょうじの頬は少し赤くなっていた。

「サンキュ。あ、出水に汚れ移ったりしてない? 大丈夫?」

「平気だよ。でもちょっと拭いたくらいじゃ埃とりきれそうにないし、風呂入ってくれば? さっき入れといたから」

「おおー、嬉しい! 重ね重ねありがとう!」

にっこり笑ったみょうじは、出水に線香花火だけが残った花火の袋を押し付けると、その横をすり抜けて部屋に入っていった。あらかた片付いたらしい収納庫の戸が開きっぱなしだったので、ふう、と息を吐きつつその戸を閉めようとした出水の背中に声がかかる。

「俺が風呂からあがったら、花火しような、公平」

その声が思った以上に近く聞こえて、背中に一瞬、熱を感じた。触れた指先が、甘く響いた声が何を意味するのか分からず混乱する出水をよそに、ぱたぱたと軽い足音が浴室の方に向かっていく。

「――大人ってずっりぃの………」

ずるずるとその場にしゃがみこんだ出水の顔は熱い。どうしようもなく熱を持ってしまう顔を隠すように、出水は膝の上で腕を組んで、そのうえで顔を伏せた。


ジーワァ、ジーワァと遠くで蝉が鳴いている。あれだけうるさかった蝉の声もすでに数も少なくなってきていて、夏の終わりを感じる。
けれども出水の恋は、終わりを見せるどころか、始まったばかりのようだった。



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