部誌11 | ナノ


夏が終わるね



俺がまだ中学生だった時、2つ上の先輩が俺のことをよく可愛がってくれた。最初はただの部活の先輩と後輩という関係だったけど、気が合ったのかいつの間にか学年を越えて仲良くなっていて。家が近所だったのもあって、先輩が高校に進学してからも交流は続いていた。週末や長期休みになるとよくお互いの家を行き来してたと思う。お盆の時期になれば、友達はみんな親戚の家に帰省するとかで留守にしていたから、毎日のようにあの人の家に入り浸っていた。

家族からは兄弟みたい、なんてからかわれたし、自分自身、兄のように慕っていた。本当に兄弟だったら良かったのにと思ったことも数知れず。
でも、そんな関係が変わったのは中学2年の夏休みだった。


ーーーーー


その日は、俺の家に遊びに来ていた先輩とテレビゲームをしていた。いつも同じ遊びじゃ飽きるからと、盛り上げるために『負けた方が勝った方の願いを1つ叶える』というありがちなルールで始めたレースゲーム。宿題もせずにやり込んでいた俺は、アイテムを駆使して難なくゴールテープを切ってみせた。勝ち誇った顔でガッツポーズをしてみせれば、隣で悔しそうにコントローラーを握りしめる先輩。その顔を見るだけで、優越感が腹の底から湧き上がってきてかなり気分が良かった。「なにをしてほしいんだよ…」先輩は拗ねたように唇をへの字に曲げていて、それがまたおかしくて、なんにしようかなぁ、なんてわざとらしく勿体を付けてみる。

「じゃあ1週間、俺と付き合ってください」

少し考えて、語尾に星でもついてそうなノリでそんな事を言った。どうせなら無茶振りしてやろうと俺が口にした『お願い』に先輩はビシリと固まっていたのを覚えている。まさかそんな事を言われるだなんて露ほども思ってなかったんだろう。「なんでも言うこと聞いてくれるんでしょ?」とニッコリと笑いかければ、先輩は青くなっていた顔をさっと赤らめて睨んでくる。
世間一般に思春期と呼ばれる時期に入って、カノジョなんてまだできたこともないけど、恋愛というものには憧れがあった。深い意味なんてないただの思いつきだった。しばらく憮然とした表情で抗議していた先輩は、俺が引く気がないとわかると渋々といった様子で頷いてくれた。

その日から1週間、先輩は俺の恋人になった。

せっかくやるならちゃんとなりきろうと提案して、お互いを名前で呼び合って、俺の先輩への敬語をタメ口にすることにした。
それ以外では、特に何か変わった事をしたわけでもない。強いて言うなら二人でいる時間が増えた程度だった。
お互い恋愛経験ゼロだから、もし恋人ができたらこんなことをするかも、みたいな意見を出し合って、まず最初に映画を借りてきた。最近流行りの恋愛モノをソファに並んで座って観ていたけど正直あんまり面白くない。先輩はどうなんだろうと隣を見てみたら、座面に置かれた先輩の手が視界に入った。テレビとかである映画館で鑑賞中に手を繋ぐ恋人を思い出して、軽く握ってみたら無言で払われた。
そのまま内容に集中する先輩をみて、流石にもう一度チャレンジする勇気は湧かない。これが噂のツンデレかと思ったけど、デレがないし、これってただのツンじゃね?肘おきに頬杖をついて、画面を見るふりをして先輩の方に視線を向けてみたら、そこそこ整った顔に朱が差していた。
画面の中の主人公とヒロインは手繋ぐどころかキスまでしてるのになあ。いや、こっちはマジの恋人じゃないんだけど、ごっこ遊びなんだけど。キスするほどなりきるつもりはないしなあ。でも先輩となら…うーん、アリかも、なんて。節操なさすぎか。
そんな取り留めもないことを考えて眠気に呑まれそうになる意識を引き止める。
物語が佳境に入ってもイマイチ雰囲気に乗り切れず、かといって先輩の邪魔をするわけにもいかず、あくびが出そうになるような甘ったるいラブストーリーを眺めるしかなかった。自分で選んで借りてきた作品だったけど、恋愛モノは向いてないかもしれない。先輩が楽しんでくれたならそれでいいとしよう。


映画が終わった後で、もっとちゃんと恋人らしいことがしたいと言えば、なら水族館に行こうと誘われた。
家が近いのに、わざわざ待ち合わせ場所を水族館の最寄り駅にしたのは「待った?」「今来たとこ」みたいなやりとりをしてみたかったからだ。そのために早めに集合場所に向かおうと思っていたのに、待ち合わせ時間に起きるという大失態。
慌てて電車に飛び乗って待ち合わせ場所に行けば、待ちぼうけた先輩が澄ました顔で立っている。

「…待った、よな」

「まあ、それなりにな」

人目も憚らず、直角にお辞儀して謝ったらジュース1本で許してもらえた。かっこ悪い。こんなはずじゃなかったのに。
8月下旬とはいえ、まだまだ夏休み真っ最中なので、館内は家族連れや恋人で混雑している。先輩が人前では恥ずかしいと言うので、特に何かすることもなく、悠々と泳ぐアザラシや飼育員から餌を貰うラッコなどを見て回っている。デートというより、もはやただ遊びに来ただけになってしまってるような。それでも、水槽を眺める先輩の目がいつもより楽しそうに輝いているから、まあいいかと思い直した。大きな水槽の前で立ち止まった先輩の前に、丁度イルカがやってくるタイミングでフレームに収まるようカメラのシャッターを押す。写真を撮る客がたくさんいるからか、先輩は俺が隠し撮りしたことに気付かなかった。
思い出にと、帰りに土産物売り場でお揃いのストラップを買った。よほどイルカが気に入ったんだろうか。小さなイルカを模ったソレを、早速携帯カバーに付けた彼はご満悦だった。兄のように思っていた人の新たな一面を知って、何故か胸がざわついた。悪い意味ではなく。鼓動が早くなるような妙な感覚だった。あの人がかわいく見えるなんてそんな。まさかな。ごっこ遊びに入り込みすぎだろ。


―――――――


恋人ごっこ最終日は、地元の河原で催された花火大会に参加した。せっかくなら浴衣で、と提案きたのは珍しくも先輩の方で。親に着付けてもらった浴衣を着て、いつもはカチューシャで上げている前髪を降ろしてみた。先に待ち合わせ場所にいた先輩は、スマホから顔を上げると見慣れない俺の格好に少し目を見開いて、顔をほころばせた。

「そっちのほうが似合うじゃん」

「マジすか、逆ナンされちゃったりして」

「調子に乗るなし」

照れ臭さを誤魔化すために悪ノリしたら一蹴された。「でもかっこいいのは本当」と小さな声で囁かれたら、すぐ気分が良くなるから我ながら単純だと思う。
浴衣姿の先輩はカッコ良かった。髪もセットしたのか、いつもより雰囲気が大人びて見える。
水族館に行ってから、先輩を前にすると少し気が張ってしまうようになった。ドキドキと早鐘を打つ鼓動に気づかないふりをして、いつも通りを心がけた。

ラッシュ時の電車のようにぎゅうぎゅうと混みあった河川敷。蒸し暑い人の群れの中で、花火が打ち上がるのを待っていた。
隣の人に押されて偶然先輩の指と当たってしまった。触れ合った指を離したくなくて、小指をそろそろと絡めてみる。映画の時みたいに、また振り払われるだろうなと思っていたら、すらりとした先輩の指が撫でるように指を絡めてくれた。まさか握り返してくれると思ってなかったから息が詰まる。それとほぼ同時にドン、と体に響くような破裂音が鼓膜を震わせた。観客のさざめきと、夜空を彩る光の華。引っ掛かけたように繋いだ小指から伝わる彼の体温に、自分からしたことなのに顔がじわじわと熱くなって。それでも、意識していることを悟られたくなかったから、花火を観ることに集中するフリをした。多分、あの人にはお見通しだったと思う。


大会の最後を飾る演目のアナウンスと共に、夜空にたくさんの花が咲いては散っていく。
ああ今日で終わってしまうのか。明日からは、ただの先輩と後輩に戻ってしまう。そう自覚すると、先程まで体の中から湧き上がっていた熱がスッと下がる思いがした。
恋人ごっこというより、友達の延長みたいなぬるいごっこ遊びだったけど、この人の隣を歩くのは楽しかった。このままこの関係が続いていけば、心の隅で芽生え始めた気持ちに名前をつけることもできるかもしれない。なにより、今日でこの人と対等であれる日が終わってしまうのが嫌だと思った。


会場から帰路につく人波に流されるようにゆっくりと歩く。カラコロと鳴る下駄の音が寂しげに聴こえる。住宅街まで戻ってくると、互いの家がある十字路までもうすぐだ。

「なあなまえ、俺たちほんとに付き合わない?」思わず、そう言いかけたところで、あの人は言葉を遮るように立ち止まった。

「だめだよ陽介」

そう言ってこちらを制するように真っ直ぐ見つめたあの人は、泣いてるように見えた。涙なんて流れちゃいなかったけど、見たことのないような切なげな表情でこちらを見ているから、それ以上みっともなく縋るような言葉は続けられなかった。

「1週間ありがとうございました」

分かれ道に差し掛かり、そう言って頭を下げればみょうじさんは穏やかに笑った。

「最初はどうなるかと思ったけど、結構楽しかった。それじゃ、またな米屋」

軽く手を上げて、まるで何もなかったかのようにみょうじさんは自分の家に帰っていくのを見送った。



それから、なんとなくお互い足が遠のいて、少しずつ疎遠になっていった。夏休みが明けてしまえば、学校もあるしクラスの友達と遊ぶ事が多くなって、気付けば先輩と会うことはなくなっていた。少し前までは毎日のように連絡を取り合っていたのに、あの花火大会を最後に、もう声も聴いていない。

今でもあの人の事を考えると胸のあたりに火が点ったような、ふわふわとした気持ちになる。
先輩はどうなんだろう。あの夜、指を絡めてくれたのは、どんな意味があったんだろう。俺がもっと恋人らしくしてほしいとごねたから、仕方なくそれらしい事をしてくれたんだろうか。それとも、少しでも俺と同じ気持ちを持ってくれたのか。
考え始めると確かめたくなって、いっそのこと玉砕覚悟で電話をしてみようかと思い悩んでいた矢先、先輩の家から電話がかかってきた。

訃報だった。



今からちょうど4年前、季節が秋に変わり始める時期に、先輩は事故であっさりいなくなってしまった。

先輩と同じ高校に進学してからは、制服を着て前髪を降ろして墓参りするのが恒例になった。
年に一度は必ず花を活けて手を合わせているが、もうあの人の声も思い出せない。

「みょうじさん、もうアンタより歳上になっちゃったよ。ね、俺のことどう思ってたの」

勿論、返事なんてあるわけもなく。結局、この気持ちには今でも名前を付けられないまま、胸の内でいつまでも燻り続けている。



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