部誌11 | ナノ


傘、パクられました



雨の日の傘の中は、シェルターのようだ。
降り注ぐ雨粒が傘を叩いて、まわりの雑音を遠くしてしまう。傘の中の音だけが、クリアに響く。車のエンジン音。車輪が水溜りを裂いていく音。広葉樹の葉を雨粒が叩く音。風景のノイズと傘の中の世界の間に、青くて大きな傘が膜をつくってしまう。隣で歩く男の呼吸の音が聞こえる気がした。
スニーカーが水溜りを大股で飛び越していくのを横目に、二宮は歩調を合わせた。スニーカーの男は安定して二宮に大きな傘を差し掛けた。二宮の足元には水溜りは無い。さっきから、水溜りの上を歩くのは二宮の革靴ではなく、隣の白色のスニーカーだった。
真っ白だろうスニーカーは泥水の色が少しついてしまった。隣の男はそれを気にしていないようだった。
わざとだろうな、と二宮は思う。
二宮が水溜りの上を歩かないでいいように、誘導しているのだ。視線を少し上げて、二宮は隣の男を伺った。
二宮の動きに気付いて、男は首を傾げる。

「どうした? 肩、濡れてない?」
「いや、大丈夫だ」

二宮のこたえに、「そう」と言いながら男は傘を二宮の方に寄せた。二宮も、彼も、身長180センチを超えている。大柄な男が二人ならんで同じ傘に入っている。いわゆる相合傘状態だ。客観的に見なくてもこれはかなり、おかしな状態なのではないか、と二宮は思う。
おまけに、二宮はフォーマル寄りな服を着ているのに対して、隣の男はかなり派手なスカジャンだ。派手なスカジャンに合わせられているのは、普通のズボンにシャツで、奇抜なのはスカジャンだけだったが、髪の毛の色は軽薄で、耳にはピアスがずらりと並んでいる。
はっきり言って、二人の服装は釣り合っていない。
まったく知らない土地ならば、ちょっとは気にならないかもしれない。でもここは、二宮が通う大学の近くで、いつも使う通学路だ。知った顔とすれ違うこともあるだろう。救いは雨の日で、傘が目隠しになって、雨で視界が悪くなることだろうか。いや、雨でなければそもそも、この男と相合傘をする必要はなかったのだ。
なんでこんなことになったのか、と二宮は眉間にシワを寄せた。
わかっている、すべての発端は、二宮が今日持ってきた傘を傘立てに建てたことだ。講義があった教室に入ったとき、差してきた傘が濡れていたために、二宮は傘立てに傘を立てたのだ。
そして、帰ってきたらその傘が盗まれていた。
よくあることだ。あってはならないことなのだが、よくあることなのは仕方ない。だから、傘を持ってきたときは常に持ち運ぶようにしていたはずなのに、今日に限ってうっかり傘立てに立ててしまった。
それから、今日は濡らしたくない荷物を持っていた。鞄は布製で、中に入っている書類や電子機器を濡らしたくなかった。だから、雨がやまないかと、それとも誰のものかわからない傘をさして変えるべきか、遠くはてまで続くグレーの雨雲をにらみながら考えていた。
購買に行けば傘があったかもしれない、と今になって気付いたが、後の祭りだ。それに気づく前に、この男が通りかかったのだ。

『あ、二宮、だよな? おれ、同じ講義とってる××科のみょうじ。もしかして、傘パクられた?』

髪の毛の色とよく似た軽薄さで、男は声をかけてきた。みょうじ、という名前をどこかで聞いたような気がした。同じ講義をとっているなら、そこで見たのかもしれない。二宮はそんなことを考えながら「ああ、」と曖昧に返事をした。あまり、赤の他人と話をするのは気が進まなかったが、受け答えを何一つしないのも印象が悪いだろう。

『バス停までだろ? よかったら入ってく?』

俺の傘、でかいし、と青い傘を指しながら、そう、提案した彼の言葉に、なぜ素直に頷いたのか、二宮はわからなかった。

「ちょっと、意外だったな。断られるかと思った」
「何が?」

思い起こしていたことに近いことを言われて、二宮は思わずに問う。突慳貪なそれにみょうじは動じることなく小さく笑った

「傘、入ってくって言ったこと」
「ああ」

確かに彼の持っていた傘は大きかった。それでも大柄な男が二人で入れば、狭い。身長が離れていない分、差しやすそうではあるが、と男が掴んでいる傘の柄を見た。骨ばった手には、銀色の指輪が嵌められている。
しばらくそうして傘を持っているが、傘が安定して差し掛けられているのは彼の体力のせいだろう。それから、傘は二宮の方に寄せられていて、二宮があまり濡れていないのに対して、彼の方は濡れていた。それを指摘するとみょうじは「撥水性だから」と言って笑った。
何かと、エスコートされているようで気に食わない。
二宮が女であれば、惹かれるシチュエーションなのかもしれなかったが、生憎と二宮は女ではないし、そもそもこういうことをするなら女にしてやれ、と思う。

「なぁ、二宮はボーダーに就職すんのか?」
「……は? ………まぁ」
「そっか。すげぇなぁ」

みょうじの話はさっきから、脈絡がひとつもない。一番最初の話は近所のローストビーフ屋のローストビーフ丼の話だった。丼の上に積み上げられている肉を想像しながら、彼のせいで余計なものが食べたくなってしまったと二宮は思う。

「……おい」
「ん?」

不意に、二宮の目指す場所と男の足を向ける先が合わなくなって、足を止める。慣性の法則にしたがって、雨水が不規則にはねた。男も足を止めた。
ごう、と車が走っていく。見えている目的地の停留所には大学生らしき人間が並んでいる。差し掛けのある部分は人でいっぱいで列の後ろの方は傘を差したまま立っている。あれに、相合傘のまま並ぶのかと思うと気が重い。

「……あれ? もしかしてあっちの停留所?」
「ああ」
「……あ、そっか、ゴメンゴメン」

彼はそう言いながら向きを変える。相合傘のまま並ぶのだと思ったが、彼は向かいの停留所を使うのかもしれない。そうなると、傘がないままあそこに並ぶのか、と二宮は眉を寄せた。

「はい」

みょうじは当然というように傘を差し出した。晴れの日の空のような青い傘。差していると雨の日でも晴れてるみたいで気持ちいいでしょ、とみょうじはこの傘の色をさして言っていた。

「……これは?」
「おれ、濡れても平気だから持っていて」

男はそう言って、二宮に傘を押し付ける。

「今度の講義のときに返してくれればいいからさ」
「いや、」
「いいから」

濡れるのも困る。購買で傘を買えなかったのはかれのせいでもある。二宮は軽く責任転嫁をしながら、傘を受け取った。

「……助かった」
「ん。じゃ、また」

ありがとう、と感謝を述べるべきか迷ううちに、みょうじはシェルターの外へ飛び出していった。派手で奇抜な模様の背中を見送りながら、二宮は彼の身体の半分の色が違うことに気がついて、顔をしかめた。
かれの服は、しっかりと半分だけ濡れて、色が変わっていた。

ろくな日じゃない。二宮はそう思いながら、傘を握る。彼が握っていた部分が、妙にあたたかいのが、妙に腹立たしかった。



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