夏が終わるね
―自分がまだ、スタイリストとして活躍していた頃の事を思い出す。
もう何年も経つのになぁ、と心の中で思っていても、やり切れなかった情熱と悔しさだけが胸の中で燻っていて、それが消化されずに延々と残り続けているせいだ。
「なまえさん」
「お、来たか。待ちくたびれたっての」
待ち人である山田とは、スタイリストとして仕事をしていた頃に出会った男だ。
一回りも年下な彼は希望を抱いて夢に向かっていた真っ最中で、顔を輝かせて周りを明るくさせていた。
そんななまえも山田の魅力に捕らわれた一人だったし、だからこそ一緒に仕事をしたいと思ったわけなのだが、詳しい詳細は省くことにする。
結局、山田はいろんな事が重なって表立った仕事を辞めてしまったし、なまえもスタイリストとしての仕事を辞めている。
今でも綺麗な服を見るのは好きだし、自分でお洒落をすること、相手を着飾る事も好きなのだが、あの頃のような情熱は到底持てそうになく、今は違う仕事を手にして日々を暮している。
お互いが関わっていた仕事を辞めたというのに、なまえと山田がこうして時間を作っては二人で会っているのは近況報告が主だった。
昔とは違い、電話一本、メール一通、アプリを通して連絡だなんて今では当たり前のこのご時世に、わざわざ会う時間を作る必要は、本当の所はない。
強いていうなら顔が見れる位のものだが、好き好んで男に会いたい訳でもなかったし、何より女性に不自由はしていないうえに一回り年下の同性に何かを思うような、そんな残念な大人になり下がった覚えもない。
それでも、わざわざ世界を飛び回っているなまえが帰国してまで会いに来る理由は、山田が唯一我儘を言える大人なのだと気付いてしまったからだ。
スタイリスト時代からのお気に入りで、歳の離れた弟のような存在の我儘なんて、なまえにとっては可愛らしいものだった。
「それで、今年の夏はどうだった?」
美味しい御飯を食べながら、いつものように、山田に問いかける。
お互い酒と煙草に苦い思い出があるせいか、大人二人の夕食だというのに、テーブルに並ぶのは食べ物ばかりだし、飲み物に至ってはジュースだ。
苦い思い出さえなければ、山田が成人した年にでも酒をご馳走して、楽しい食事会にしたというのに、それが出来なかったのを今でも残念に思っている。
「海になら行きましたよ。寮生の皆と」
運ばれてきた皿を一つずつ丁寧に、かつペロリと食べきってしまうあたり、お腹は空いていたのだろう。
年々上手になるナイフとフォークの使い方に小さく笑いながら、なまえはこのひと夏の出来事を振り返った。
「……羨ましい。俺なんか仕事ばっかりで夏らしいこと何にもしてないっての」
「じゃあ、します? 夏らしいこと」
悪戯っ子のような笑みを浮かべる山田は、今となっては見慣れたものだ。
もともと人をからかうのがどこか好きそうな感じではあったが、仕事のイメージ上、それを出すことはなく、なまえがこの顔を見るようになったのは随分と親しくなった頃からだ。
酒も煙草もしないなまえと山田の食事は甘いデザートで終わりを迎え、来た時と同様に車に乗り込んで少し走った先で、山田がある建物を指差した。
はいはいと、言われるがままに立ち寄ったコンビニエンスストアには、夜遅くとあってか、店員の他に客が一人か二人いる程度だ。
コンビニに入って早々に、「はい、なまえさん」と言って山田から渡されたものは、この時期では珍しくない花火セットだった。
存外に、買ってこいと言っている辺り、そしてそれを買うとわかっている辺り、こういう所で山田はなまえに甘えてくる。
傍から見ればただの横暴にしか見えないが、それが許されるのだと知っているからこその振る舞いであり、山田にとって恩人であり、なまえにとって知人でもある聖の前では口にすることも、行動する事もないだろう。
会計横にあるライターを一本買い足しておく。なまえは早々に会計を済ませると、山田はいそいそと袋を開けた。
水対策にと海まで来たなまえと山田は、子どもみたいに火のついた状態で走り回ったり、片手で二本も三本も持つ山田を怒りながら、なかなかに量が多い花火をやり終える。
「ちょっとは夏を満喫できました?」
「おーおー、お陰様で。花火とか最後にやったのいつだったかな」
仕事を始めてからは一度もした覚えがなく、遠い過去の事になるのに気付いてなまえはすぐに振り返るのをやめた。
「今年のプリズムキングカップに、なまえさんも来るんですか」
山田が口にしたのはお互い避けていた話題だ。
動きを止めて山田に目を向けたものの、すぐに視線をそらし、ゴミとなった使い終わった花火を袋に詰めていく。
「行かない。俺は誰がキングになるかなんて、どうでもいい」
人気のプリズムスタァがいることはもちろん知っている。
興味がないわけではなく、今回のプリズムキングカップに誰が出るかなんて、もちろん確認済みではあるし、それがなまえの仕事にも繋がってくるのだから、無関心、という訳ではないのだ。
ただ、そう思ってしまった切っ掛けは。
「俺にとってのキングは、お前だけだから」
昔も、今も。
そう付け足すと山田は目を丸くした。
なまえが山田と出会ったのは、四年前のプリズムキングカップより少し前の時期だったが、今でも初めて会った時の事を覚えている。
なまえより随分と年下のくせに、一瞬にして目を奪われた。
スタイリストとして何人もの人間を見てきたなまえだが、こんな人間がいたのかと、忘れたくても、忘れられない衝撃を与えたのが山田だ。
その時から、なまえにとって、山田が全てだった。
世間に認められなくなっても、それは変わらない。
スタイリストとしての仕事を辞めたのも、山田が切っ掛けだったと言えば流石に重荷になるので口にしたことはないが、なまえが着飾りたいと思う人間は、今でも山田ただ一人だ。
「あ、これ忘れてたな。ほら」
締めとばかりに残しておいた線香花火の二本のうち一本を山田に手渡し、先端部分に火をつける。
動かさず、出来るだけ長い時間、その明かりが灯るようになまえも山田も手を動かさないようにしていたが、なまえの腕が少し動いた事を切っ掛けになまえの花火が静かになった。
「……なまえさんって、バカだよね」
「うるせー。自覚はしてるよ」
追いかけるように山田の花火も明るさを失くし、煙の臭いと花火の余韻に浸りながら辺りが暗くなったのを良い事に、なまえは山田の顔が少し泣きそうになっていた事に、気付かないふりをした。
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