部誌11 | ナノ


彼岸の果てより

※ぐだおの名前が藤丸固定







「――あ」

こんなとこにあったんだ。
思わず呟いたのは、手にしたそれの存在をすっかり忘れていたからだ。

携帯電話に触れたのは、久しぶりだった。
雪で閉ざされたカルデアの外界がなくなって久しい。ただの一般人だった自分がマスター適性があるとかなんとか言われて、いつのまにか人類唯一のマスターになってしまった。人理修復への道はまだ遠く、目の前のことで精一杯で、ここカルデアに来たばかりの時に取り上げられた携帯電話を返却されても、それどころじゃないと部屋に放り出してあったのだ。

カバーも何もないそっけないスマホの電源ボタンを長押しすると、見覚えのある企業ロゴが明滅し、ロック画面に移行する。待ち受け画面には親友と馬鹿笑いしている写真が設定されていて、そういえばこの写真を撮った日は親友の誕生日で、他の奴らと共謀して誕生日プレゼントを用意したんだっけ、と思い出した。相当くだらないプレゼントで、嫌がらせのようなものだったはずだが、それが何だったのか、もう思い出せない。

「こいつの名前、なんだったっけ」

とても、大切な友人だったはずだ。恥ずかしげもなく親友だなんて言い合えるような、そんな、大切なひと、で。

画面をスライドして待ち受け画面へ。いつもの癖でやりこんでいたゲームアプリを起動してログインボーナスを得ようとして、アプリが正常に起動できませんでした、というエラー表示が出る。長い間スマホからは離れていたのに、この癖だけは抜けないんだなと、自嘲した。
胸の内で何かが濁るような感覚を覚えつつ、アルバムアプリを起動すると、自分がまだ平凡な学生だった頃の写真が出てくる。

外界と隔たれ、時間という概念を持たないカルデアは、常に冬だ。自分の感覚では何年も経過している気がしているが、実際の暦がどうなっているのか、考えても答えは出ない。
アルバムアプリ内の最新の画像を見ると季節は春で、雨の中でずぶ濡れの親友が、花の頭に桜の花びらを張り付けている写真が出てきて笑みが零れた。

(――藤丸)

そう呼ぶ声が特別だったことを覚えている。見かけによらず少し低い声が、少し甘さを添えて、己の名前を呼ぶ。それがどんな風に特別だったのか、あと少しで思い出せそうで、そこで思考を停止させる。思い出してしまえば、折れてしまうと、そう思ったから。
無意識に動いた指が、アルバムアプリを終了させていた。ほっと安堵の息が漏れて、不意に見た日付は日本でいうところの盆の時期だった。スマホの時間設定がどうなっているのかはわからない。このカルデアに来たとき、夏ではなかったはずだ。時間に置き去りにされた今、スマホが示す時間が自分の時間認識と一致しているのかもわからない。けれど確かにスマホの中では一定の時間が経過しているようだった。

「盆か……」

毎年、墓参りに連れ出されたなあ。父方と母方、どちらの祖父母にも会いに行くため、夏休みは一週間ほど家に帰らないこともあった。幼い頃は両親と里帰りしていたものだが、そのうち親友と二人でお互いの祖父母の家に出かけたりして。何もない田舎だから、小学生が体験するような遊びしかない。それだけでも十分楽しかった。蝉取りもカブトムシ探しも、花火も町内の盆踊り大会も。クーラーのきかない蒸し暑い部屋で、苦手分野を教え合って宿題もした。
思い出は鮮明なのに、どうしてか名前だけが思い出せない。どんな風に笑って、どんな風に怒って、どんな風に泣いて、どんな風に名前を呼んでくれるのか、思い出せるのに。

大切な、親友だった。
今はもうどこにもいない。人理が修復されるまでは、どこにも。

一般人枠の公募だなんだって、自分で応募した訳じゃない。親友が参加する催し物について行っただけだ。お互いの祖父母の家に行ったことがあるけれど、どうしてか彼の父方の祖父母のところには連れて行ってもらったことはなかった。生きてはいるけれど、積極的に会いたい人物ではないことは、親友の態度でしれたから、深追いはしなかった。今思えば、父方の祖父辺りが魔術師だった可能性はあった。

行きたくないけど、行かなきゃいけない。不快気にそう語るその顔を見たくなくて、藤丸は何も知らない振りでついて行くことにした。帰りにどっか飯食って遊びに行こうぜ、なんていって。
結局親友にはマスター適性などなく、なんの因果か藤丸が選ばれ、誘拐かと疑う勢いでこのカルデアまで連れてこられた。親友の両親に頭を下げられたことと、親友の泣き顔を覚えている。どうして、と泣く彼に、すぐに帰ってくるからと笑って別れたのが最後だ。

それが、最期だ。

「………盆、かぁ」

人類は、滅亡した。
カルデアは外界と切り離されていて、だからこそ藤丸も、ここで働く二十数名も生きていて、人類滅亡を阻むために今まで必死になって走り抜けてきた。人理修復さえやりとげれば、多分、人類は滅亡しない。それが真実なのか誰にもわからなくて、でもわずかな希望に縋るしかなくて。がむしゃらだった。魔術の魔の字も知らなかった自分が、マシュや、ドクター・ロマンや、色んな人々に支えられて、ここまでやってきた。
それでもまだ、先は見えない。今の状態が終わりに近いのかどうかすら判らない。足を止めることは許されなくて、歯を食いしばって進むしかなくて。

喉に何かせり上がってくるものがありそうで、唇を噛みしめた。眉をぎゅっと寄せ、深く深呼吸をして、食堂に向かう。その道程で誰かに会うこともなく、食堂に人気が少ないのも、幸運なのだろう。

「エミヤ」

赤い弓兵に声をかければ、彼は訝しげな顔を心配そうなものに変えた。それに苦笑を返し、欲しいものを告げればすぐにそれらは用意された。そのことに感謝し、ふらりとそのまま食堂をあとにする。すれ違った緑の弓兵に強請ったものは、日本では藤丸には許可されていないもので、それを知っている彼には渋られた。

「頼むよ。な、ロビン」

そう笑えば、苛立たしげに頭を掻いた彼に一本、恵んでもらうことができた。
火はどうしようかな、教わった魔術のうちのひとつで代用できるだろうか。それでいいかな。いいか。そうしよう。自問自答し、火を熾せる場所を探せば、ロビンが喫煙室をしばらく人避けしてくれるという。その言葉に甘え、数度しか訪れたことのないその場所を目指す。

たどり着いたそこには誰もおらず、ロビンは仕事が早いなあ、なんて感想を抱きながら戦利品を灰皿と一体化している机の上に広げる。
エミヤから貰ったのは、茄子ときゅうり、割り箸に爪楊枝。ロビンから貰ったものは煙草。ひとまず煙草は置いておいて、茄子ときゅうりに手を伸ばす。精霊馬を作るのだ。祖父母の家で作ったことがあるから、できるはずだ。
割り箸を二つに割って、さらにそれを追って。茄子ときゅうりに差し込む。自立するように刺さねばならないから、バランスが大切だ。小学生の頃の工作の宿題を思い出しながら、もくもくと創作する。余計なことは考えないように、ただそれだけに集中する。

迎え火だとか送り火だとか、詳しいことは覚えていない。けれど茄子ときゅうりで馬を作るのを、火で彼方のひとたちを迎えたり送ったりすることくらいは思い出せる。

不格好なりにできた馬を満足げに見下ろすと、次に手を取ったのは煙草だ。燃えるもので思い当たるもののうち、一番安全そうだったのがこれだ。はじめは吸い口とは逆端に火を魔術で灯した指先の火を近づけているだけだったが、一向に火がつかない。そこでようやく、吸いながらでないとうまく火がつかないことを思いだした。未成年の身で煙草を口にするのに抵抗はあったが、常習するつもりはないし、この煙草は送り火だか迎え火の代わりで、今回だけ許して欲しいと誰にでもなく願い出て、煙草を口にくわえ、火をつける。

「! ゲェッ……ホ、ぅ」

思いきり吸い込みすぎたらしく、一気に煙が肺か気管に入る。なんどか咳き込み、落ち着いた頃には目の端に涙が滲んでいた。

「あーあ……締まらないなあ」

ケホ、と喉を押さえながら煙草をつまみ、一面ガラス張りの大窓に近づく。雪山の上に立つこのカルデアで、夜空を見上げられる場所は少ない。今日は幸い雪も降らず、無窮の星空を見ることができた。

窓辺に精霊馬を置き、煙草を指先で抓んだまま、果てなんてなさそうな夜空を見上げる。子供の頃は死ねば星になる、なんて本気で思っていたものだった。だとしたら、今見上げている星々は、それぞれに全人類の魂が宿っているのだろうか。

人類が滅亡して、それを阻止するために、なかったことにするために、英霊なんていう死んだ人間の力を借りて戦っている。果たしてこの戦いに意味があるのかなんて誰にもわからなくて、終わらせてからでないと結果なんて出ない。この行く末は未来視できる英霊の力を以てしても予想できないことなのだろう。

なかなか滑稽だな、と今更ながら思う。死んだ英雄の力を借りて、滅亡した人類を蘇らそうとしている。実際にはあるべき形に戻すということらしが、難しいことはよく分からない。

オルガマリー所長の、最期の悲しみを、嘆きを覚えている。人類滅亡を阻止したとして、彼女が生き返る保障なんてどこにもない。カルデアの中で死んでいったマスター候補生や職員のみんなもそうだ。
特異点で生きている人たちをたくさん見てきた。あの中には、あの特異点だからこそ生まれた命もあっただろう。定礎復元したことで、生まれることなく終わった命も、あっただろう。

人類唯一のマスターだとカルデアの職員やサーヴァントたちに言われていても、藤丸はここに来る前までは、ただの学生でしかなかった。魔術なんてゲームや漫画の中だけのものだと思っていたし、人の生死を身近に感じることもなかった。同級生の親が亡くなったときも、その同級生が葬儀で泣くのを我慢しているのを見た時も、他人事でしかなかった。どこか遠いどこかの国の話のように、現実味がなかった。

けれど、今はどうだ。一介の男子学生の双肩に、人類の存亡がかかっている。それはとてもとても重くて、堪えがたくて、自分が人類唯一なんて冗談みたいな話を信じたくなかった。
他にやれる人間がいないからやっている、その程度の意識で、藤丸はここまでやってきた。マシュという華奢で可憐な女の子が隣に歯を食いしばって立っているから、情けない姿は見せられないと、ここまで来た。目の前のことに対処するのに精一杯で、難しいことはドクター・ロマンやダ・ヴィンチちゃんに任せきりだ。でないと、目の前の現実に打ちのめされそうだったから。

自分が大層な人間でないことなんて、自分が一番分かっている。大げさな肩書を笑い飛ばし、冗談で誤魔化すことで、自分の目を、耳を塞いだ。優しいみんなは、それを許してくれた。
どうして俺だったんだろう。そう考えたことは一度や二度じゃなかった。すべてを投げ捨て、逃げ出したいと思ったことは両手じゃ足りない。現代日本で生きてきた学生には、過去を旅するレイシフトはなかなか辛い。衛生面を考えても嫌なことばかりだったけど、おんなのこのマシュが何も言わないから、口を噤むしかなかった。

駄々をこねてもどうにもならないことは知っている。泣いても、物事は進まないし解決しない。それなら歯を食いしばって先に進むしかないと、頭ではわかっている。

でも――それでも。
どうしようもなく泣きわめきたいときがあるのは、事実だった。

(――ふじまる)

目を閉じて瞼の裏に思い描くのは、親友の姿で。
名前も忘れてしまった情けない親友だけど、彼に逢いたいと、思った。そして、いつもみたいに笑い飛ばして欲しい、馬鹿だなあって。何を独りで抱え込んでるんだよ、って。そうして乱雑に頭を撫でて、肩を抱いて、一緒に解決していこう、って。

「なんで今ここにいないんだよ、ばかやろう……っ」

今こそ、隣にいて欲しいのに。
親友のくせに、どうして。

迎え火だとか送り火だとか、精霊馬とか、そんなものは全部、お前のためだよ。お前にここにいて欲しいって、それだけなんだよ。
誰とでも仲良くなれるつもりだったけど、やっぱり心を許せるのは、お前だけなんだ。

誰でもない、お前だけなんだよ、親友。

隣にいるだけで無敵の気分になれる相手なんて、ひとりしか思い当たらない。一緒にいれば、怖いものなんて何もなかった。離れることがあるなんて思いもしなかった。彼が傍にいないなんて、考えたこともなかった。

どれだけ辛くて死にたくなるような思いをしても、藤丸がここまでやってこれたのは、ひとえにもう一度彼に逢うためだった。もう一度、名前を呼んで、呼ばれて、肩を組んで笑い合って。そのためだけに、ここまで来た。そのためだけに、この先を往く。

人類最後のマスターとか、そんなものはどうでもいい。
彼を取り戻す手段がこの手にあるのなら、それだけで充分で。
親友を取り戻す、そのためだけに、自分のせいで喪われていく命を無視することに躊躇いはなかった。

後悔はするだろう。自己嫌悪で死にたくなることだってあるかもしれない。けれどそんなもの、親友を喪うことに比べればなんでもないことだ。
どうでもいい、ことなのだ。

煙が舞い上がる。短くなってしまった煙草を灰皿に押しつけ、藤丸は目の端に滲んだ滴を袖で拭った。

「大丈夫、これは煙が目に染みただけだから――俺は、まだ大丈夫」

だって、まだ取り戻せていない。
まだ、終わってない。

他の誰を犠牲にしたって、取り戻したい存在がある。
彼を諦めるつもりなんて、毛頭なかった。

見知らぬ誰かが、藤丸の目的のために死んだとして。
ごめんな、って謝って、それで終わりだ。そういう風に、今日からなる。
彼を喪う以上の後悔なんて、どこにもないから、だから。

どれだけ恨んでくれてもいい。
どれだけ憎んでくれてもいい。
恨みつらみは全部、死んであの世で聞いてやる。
人類滅亡阻止なんてとんでもないものを背負ってるんだから、これぐらいは許して欲しいって気持ちもあるにはあるけど。
恨むなら恨めばいい。憎むなら憎めばいい。

目的のためには、手段なんか選んでられないのだ。

握り拳で、精霊馬を叩き潰す。
今日は、決意の日だ。なりふり構わないと、決めた日だ。
くよくよするのも、後悔するのも、もうこれが最後だ。そんなものは全部終わってからする。取り戻してからでも遅くはない。

だから――だから。

「俺は、大丈夫。やり遂げられる。ぜったいに、おれたりしない」

全部全部終わったら、いつもみたいに笑って迎えてくれ、――。

思い出せない名前を胸の内で呟く。いつかその名も、取り戻して見せる。

星空を見上げるその海色の瞳に、恐れも後悔も、何もありはしなかった。




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