部誌11 | ナノ


彼岸の果てより



彼は、不幸だった。
名取周一も持って生まれた能力のせいで、幸福な人間であるとは言い難かった。しかし、その名取から見ても、彼は不幸だった。

『立てる?』

そう言いながら、少年が手を差し伸べた。妖怪に追われて、転んで、気を失っていたらしい。気を失っている間に、ぱくりと食われてしまわなくて良かったと思いながら、名取は今何時だろう、と少年の手を握った。
ランドセルを背負っている。名取と同じ年頃の少年だった。そういえば、見覚えがある。同じ学校に通っているかもしれない。

『名取くんさ、今日、学校来なかったでしょう。少し騒ぎになっていたよ』

ああ、もう放課後なのか。そう、名取は思いながら、なんて言い訳しようか考えていた。家の人には、妖怪に追われて、と言えば良いのだろうか。……また、厄介だと、思われてしまうだろうな。そう思って、気持ちが暗くなる。

『痛いとこない?』

彼が首を傾げた。自分の身体を、ぺたぺたとさわって、無い、という。それから、彼の名前が思い出せなくて、困った。

『ぼくは、なまえだよ。この間転校して来たばっかり』

名取の心を読んだみたいに、なまえは自己紹介した。それに、ああ、ゴメン、と名取は言う。ゴメンと謝りながら、転校生なら覚えていなくても仕方ないか、と安堵した。

『慣れてるよ。目立つタイプじゃないしね』

彼はそう言って笑う。目立つタイプじゃない? そんなはずはない、と言おうとして、言葉をのんだ。学校で会った彼は、たしかに目立つタイプじゃなかった。そう、転校生として紹介されても、すぐに忘れてしまうほどに。

――彼は、人だろうか。

疑念が沸く。この薄べったい記憶が、後から妖怪に加えられたものかもしれない。そんなことを出来る妖怪も居る、と聞いたことがあった。
そうして、観察しているうちに、彼の腕に何か痣のようなものがあるのが見えた。

『それ、何?』

名取が指で示すと、彼は、ああ、これ?と言って、名取にちらりとそれを見せた。縁が黄色くなった、紫に滲む痣だった。微かに腫れた、打撲。一瞬だけ、それを名取に見せて彼は『ぶつけちゃって』と、笑った。

それが、彼がぶつけた痣でないと気づいたのは、彼と、友人と呼べる仲になった、後のことで、それまでそんなに時間はかからなかった。
学校に登校しクラスで名前を呼ばれる彼は確かに、人間だったし、それに、学校での彼は、誰よりも目立たない、地味な生徒だった。
不幸を比べるのは、おかしなことかもしれない。それでもやっぱり、名取は彼が、自分よりも不幸だと思う。彼の身体には、いつでも痣があった。それは服に隠れて見えない場所に、巧妙に。彼が、痛がるように、いつでも付けられていた。

彼には、母親が居なかった。残された彼の父は、彼を殴っていた。

彼に名取のトカゲの形をした痣は見えなかったし、彼は見えない人間だったけれど、境遇の符号が、二人を近づけた。


『父さんについて、ここに来るの嫌だったんだ。……でも名取に会えてよかった。ついてきて良かった』

彼はそう言って笑った。


「……良くなかった、よ」

ポカリと目を開けた。殺風景な部屋だった。セキュリティのついたマンションの一室。ここが、俳優名取周一の住処だと、遠い昔の夢をみたせいで、うまく認識できなくなっている。
もう一度、目を閉じて、ひとつ、ふたつ、今日のスケジュールを思い出す。
今日は確かバラエティの収録があったと思う。映画の番宣の仕事だ。拘束時間はあまり長くなくて、ロケ地の近くに祓い屋の用もあって、ちょうどよかった。

現実に戻ってきたと思えたところで、目を開ける。
殺風景な部屋だ。式の存在も感じる。

懐かしい夢をみた。夢を見た理由はわかっている。最近会った、力の強い男の子。夏目。彼のせいだ。彼と、彼の友人を見てしまったから、こんな夢を見たのだ。

らしくもない、アドバイスをしてしまった。

『ねえ知ってる? 転校生のなまえくん』

最近、姿を見ないと思っていた彼の名前を親戚の口から聞かされて、ドクン、と心臓が跳ねた。

――おれ、妖怪が見えるんだ。

打ち明けた、その次の日から、彼は、名取の前から姿を消した。

『死んだ人も、見える?』そう、興味深げに聞いて『だから、時々変なところを見てるんだね』そう、笑ったのに。彼が、受け入れてくれたんだと、思っていたのに。

『彼ね、行方不明なんだって。彼のお父さんがずっと虐待してたらしいよ。死体が、出てこないんだって。どこかに隠したんじゃないかって、警察の人が訪ねてきたんだけど、アンタは知らないよね?』

面倒事はいやだと、知らないと言えと、そう、押し付ける言葉に、名取は小さく俯いた。



晴天だった。晴れた青い空の下を、カメラに笑顔を振りまきながら歩く。近所の美味しい甘味屋でぜんざいを食レポして、映画の宣伝をする。
いつも通り、慣れた仕事だ。
ロケの進行はアナウンサーに任せて置けばいい。行く先々ですれ違う一般人に、笑顔を振りまいて、さり気なく、映画を見て欲しいとお願いする。
そんなに、繁盛していない商店街で、シャッターが多いここもカメラが上手く切り取れば、活気のある街になる。自分に見惚れる主婦に握手をして、そろそろお店の予約の時間が、と、声を掛けられて振り向いたところに、少年が居た。

「なとり」

少年が笑った。

「どうしましたか?」
「え、」

小声で、いつも、通行人の言葉も上手くひろうアナウンサーが、声をかけて、名取は戸惑う。それから、彼が、人ならざるものだと悟って、見えないふりをして取り繕おうとして、

「ぼくのこと、わすれた?」

目眩がした。

「……なまえ、」
「名取さん?」

トントン、と肩を叩かれて、名取はハッと我に帰った。小声で、柊を呼ぶ。柊には彼の姿が見えているようで、柊は名取がその少年を見ていて欲しい、ということを、それだけで察したようだった。


「なまえ、なのか?」
「さあ、どうだろう」

仕事を終えた名取は、その少年の前に居た。少年は首を傾げながら、名取がロケのあった店で買ってきた抹茶を溶かし込んだ甘い飲み物を飲んでいた。

彼が、抹茶が好きだったかどうかは、名取には思い出せなかった。好きなものは、なんだっけ。記憶を探る。
『え? くれるの?』
彼が笑う。名取が持っていた、チョコ菓子をひとつぶ。たったひとつぶ手にとって、嬉しそうに笑っていた。

「驚いちゃった。だって、名取にぼくが見えると思ってなかったから。……おまえ、幽霊は見えないって言ってたし……、ってことはぼく、幽霊じゃないのかな」

少年のときのままの彼を見ながら、彼が、名取の、友のままであったのだと、名取は思った。それから、なぜ、何が、と疑問が湧き出していく。

「……死んだのか」
「たぶんね。あの日、……うん、すごく、痛いことをされて、そのまま、森に逃げたんだ」

『お父さんは、森に逃げていって、自分が隠したんじゃないって言ってるけど、どうだか』親戚の言葉が思い出される、彼は嘘をついていなかったのだ。

「気がついたら、こうなってた」

ひらひら、と彼は手を振る。身体にはなにか、痣のようなものが無数に刻まれている。それは、彼の父が彼に与えたものの色に、酷似していた。

「……ああ、でも、会えて良かったな」

それが、心残りだったから。そう言って、彼は笑った。



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