傘、パクられました
しかも、目の前で。
ざあざあと降りしきる雨を背景に、話したことのない、クラスで人気者の男の子が私の傘をパクって行った。
仲よさそうに隣の男友達の肩をどつきながら、私のワンタッチのビニール傘を差して歩いていく。
「おめーの傘ちっせえな!女モンかよ!」
私が数ヶ月前に出先で降られた時に買ったコンビニの傘は私が持つぶんには鞄も濡れないで済む安心設計で、だけどあの背の高い彼が持つとリュックが半分くらい飛び出てしまうようだ。
「間違えて妹の持ってきちまった」と平気で嘘をついたその横顔に、心底嫌気がさした。
昨日の夜から雨の予報が出ていたのに、傘を持たないままに下校ラッシュに混ざる気にもなれなくて、図書室へと続く静かな廊下を少し背中を丸めて歩いていった。
こっそりカバンの中のケータイをいじって、「部活終わるの待ってるから、一緒に帰って」とだけ文章を打ってメールを送る。
上手くすれば部活前に気づいてくれるかな、と図書室の椅子に腰かけた時、「図書室で待ってて」とだけ連絡が来た。すでに言われた通りにしていたので、「分かってる」とだけ返事をする。
ちょっとだけ、さっきより気分がよくなった。
それからどれくらい経っただろうか。天気は変わらず悪いままで、時計を見なきゃ正確な時間が分からない。
すでに授業で出された宿題は終わらせてしまっていて、ぼんやりとアリスを読みながら時間を潰していると、ガラガラと後ろのドアが開く音がした。
「お待たせ。なに、傘忘れたの」
振り向くと、きっちり制服を着込んだ赤葦が声をかけてきた。右手には大きめのビニール傘がしっかりと握られている。
さっきまでスポーツをしていたという名残は、少し湿った黒髪にしか見えなかった。
「忘れたんじゃないんだけど、でも入れてほしい」
「…パクられた?」
赤葦はとても聡い。
無表情のまま首をすっと傾げられて、仕方なく頷くと、しばらく無言で私を見つめたあと、背中を向けて歩き出した。
「俺はみょうじと一緒に帰れるからラッキーだけど。でもちゃんと返してもらいなよ、傘」
アリスをカバンにしまって隣に並ぶと、「タダじゃないんだからさ」と言いながらさっと右手を攫われる。
さっきまで冷たかった指先がじんわりと体温を共有してあたたかくなった。
「うん。ありがとう」
そうやって背中を押してくれる人がいるから、私はきっと明日あの盗人に堂々と声をかけられるだろうし、あの傘が妹のじゃなくてクラスメイトの私の物だと教えることができるだろう。
「ならお礼に今度の試合、応援しにきて」
「…お礼になるかなあ」
「なるよ。絶対」
彼の心地いい声を聞きながら、背筋を伸ばしてさっき歩いて来た道を戻った。
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