部誌11 | ナノ


雨夜



ざあざあと降り注ぐ雨は、まるで誰かを責めるよう。
初夏の今、夜風が涼しいからと開けていた窓から湿った空気を感じ取ったとき、ああ雨が降るのだと、そう思った。
できれば降らないでほしい。そんな願いは、つゆに消えた。

湿気のせいで蒸し暑ささえ感じるが、クーラーをつける気にはならなかった。それでもカビや窓から吹き込む雨露が嫌で、窓を閉めるしかない。
涼しさを求めていないので、除湿のスイッチを入れて、しばらく。
不意に呼ばれた気がして、マンションの扉を開ければ、彼はいた。

「やあ、いらっしゃい」

ぽたりぽたりと雫が落ちる。ご自慢のリーゼントは雨で崩れてしまっていて、普段の彼の見る影もない。ずぶ濡れで服から靴から髪から落ちる雫が玄関を濡らしてしまっても、みょうじなまえは気にすることなく客人を部屋に招き入れた。いつしか玄関には、大きな厚手のバスタオルが用意されるようになって、今日も今日とて、彼を包み込む。

雨の日は、いつもこうだ。
雨の日だけは。

顔を見られたくないだろうからと頭からすっぽりタオルで包み、黙り込んだままの客人の手を引き、風呂場まで連れて行く。初夏とはいえ濡れたままだと冷えて風邪を引いてしまいそうだが、こうなった状態の彼が素直にシャワーを浴びたことはなかった。

「できるだけ水気を吸い取っておくんだぞ」

期待できないと思いつつもそう念押しし、着替えを取りに1人脱衣所を後にしようとすると、腕を引かれた。俯いて顔さえ見せようとしないくせに、独りにされるのは嫌らしい。毎度我がままなことだと思いつつも、それでもなまえは、甘やかしてしまう。

「着替えを取りに行くだけだよ。いいこだから、ここにいて」

俯く顔を覗かないように、タオルの影で隠れた頬を撫でる。彼は相変わらず一言も喋らず、こちらを見ようともしない。それでもこちらの声は届いているのだと、握られた手の痛みから分かる。

「勇」

普段は決して呼ばない呼び方で声をかけると、びくりと体が震える。大丈夫だとまた頬を撫で、安心させるように微笑む。

「ひとりにはしないから、大丈夫だよ」

自分よりも背の高い少年を抱きしめるのは骨が折れる。それでも、些細は苦労など厭わず、なまえは彼を――当真勇を、抱きしめた。こくりと幼さを残す頷きでもう離れても大丈夫だと理解できたけれど、なまえはしばらく、当真を抱きしめたままでいた。



A級2位の冬島隊に所属する当真と、早い段階から自らの才能に見切りをつけ、後方支援に回ったなまえとの関係性は薄い。ボーダーの人間は、なまえと当真が知り合いであることすら知らないはずだ。実際に本部勤務のなまえではあるが、当真と本部ですれ違うことは稀だった。なまえはボーダーの物流部に勤務していて、パソコンの前から離れないので仕方のないことではあるのだろう。たまにすれ違っても他人の振りをしてばかりで、その様子は我ながら徹底していた。

そんななまえと当真の出会いと言えば簡単だ。ずぶ濡れの当真を、なまえが無理矢理家に連れてきただけだ。何かを惜しむように空を仰ぐ濡れ鼠の状態の当真をそのままになんてできず、思わず連れ帰ってしまったのだ。案の定その日当真は熱を出し、なまえが面倒を見た。誰かに知らせることは、できなかった。熱にうなされた状態でも、彼は外部に連絡を取られるのを嫌がったから。
当真は有名人だ。早々に戦線離脱したなまえでも、彼の存在を認知していた。飄々とした彼が未成年であることも、勿論知っていた。さすがのなまえも誘拐犯にはなりたくなかったので、自分で連絡を取ってやり過ごすように告げ、ずぶ濡れの状態でも脱字だった携帯電話を返して部屋を出た。危険区域近くのなまえのアパートはボーダー職員であることを含めて安く借りられた1LDKで、プライベートを守るためにリビングに戻った。

場所が毎回違うとはいえ、何故か当真はなまえの行動範囲内で似たようなことを繰り返すので、その度になまえは当真を回収し、体を拭かせて温めた。冷えきっているのに頑なにシャワーを浴びもせず、着替えを借りて部屋の隅で丸くなって、何かを想っている。何を想っているのか訊けるほど野暮ではなく、彼との交流が1年なりそうな今でも訊けないままだ。
何度も何度も繰り返していくうち、当真は自然と、雨の日はみょうじの部屋を訪れるようになった。ずぶ濡れなのは相変わらずだが、どこぞの公園でぼうっと空を見上げて夜を明かそうとしていたかつてより、随分進歩しているとなまえは思う。

同じ区域で、決まって雨の日に、当真は傘も差さず空を見上げていた。その顔にはなんも表情も浮かんでいなかったけれど、なまえのアパート付近で何かあったのだと、幾分か鈍いと言われたことがあるなまえにも理解できた。理解できたからといって、それを追及するつもりはなかった。自分の能力に早々に見切りをつけたなまえが戦闘に関わった回数は驚くほど少ない。そんななまえに、歴戦の猛者だろう当真の過去など想像もつかない。それでいいのだと、なまえは思っている。想像もつかないなまえだからこそ、変な同情の言葉を吐いて当真を傷つけずにすんでいるのだから。

ベッドの上で丸くなり、タオルケットで頭のてっぺんから足の先まで覆ったまま寝入る当真を見下ろす。普段は大人ぶってひょうきんを演じている彼の助けになればいいのにと、願いながら。



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