部誌11 | ナノ


雨夜



喧嘩をした日も雨だった。

気象予報で雨と知って、有栖川に「雨降るらしいから、そこの折り畳み傘持って来てて」と言ったのに、出先で降られた時に「傘なんて私は持って来ていないよ」と返ってきたのが始まりだった。

それから一週間、有栖川はうんともすんとも言ってこない。個展が開かれるとあの時笑って言っていたから、たぶんそれの準備で忙しいんだろう。
一人暮らしをしているアパートメントの部屋には、ちゃぶ台の上にぽつんと飾られた赤い棘のついたサボテンや、それから俺が読まなさそうなタイトルの本がコミックスに挟まれて居心地悪そうにしている。どれもあいつの私物からつまみ出された物たちだ。
「きっとお前のことなんて忘れちまってるだろうよ」と言って、霧吹きでサボテンに水をやる。それは俺から俺に向けた言葉だった。

どうも雨は俺をナイーブにさせる。どうかあいつも同じ目にあっていてくれと思いながら、だがあの能天気な天才は歯牙にもかけていないだろうという予感が付いて回ってきた。

喧嘩をしてから一度もかけていないドアチェーンを飛ばして鍵を二つかけ、電気を消して布団に潜り込む。

あの日と同じ雨夜に、待ち侘びた相手はやはり訪れない。
あの騒がしさの足りない耳に雨音は余計染み込んで、自分ではどうしようもない寂しさが心を蝕んだ。

たとえこんな時に隣にアレが居たとして、「寂しい」と訴えようともドラマの主人公のような無言の抱擁も、恋人間に行われる熱い触れ合いも無いということは分かっているけれど。
事あるごとに詩興が湧き、所構わず詩を披露するくせに、そのくせ、心音だけは心地よくいつも同じ拍をとっているあいつが隣に居れば、口さえ塞げばこの鬱陶しい雨音から逃げられたのにと思わずにはいられない。

「せめてぬいぐるみやクッション置いてけよ有栖川ァ」

泣き言を聴いて、サボテンはまた成長する。

そうして寝入った俺を覚醒させたのは、インターホンのチャイムだった。
枕元に置いてあるケータイは深夜の四時を示していて、隣に住むお婆ちゃんでもあと一時間は寝ている頃合いだ。

インターホンを鳴らす相手をいろいろと想像して、じっと息を潜めていると三回チャイムが鳴った後にガチャリと鍵が開く音がした。

ピッキングだとするなら凄まじい早業だ。傍らにあるちゃぶ台の上のサボテンを鉢ごと鷲掴んで、いつでも布団から飛び出せる準備をする。

合鍵を渡した相手は一人しかいない。

そいつでなければ、俺はこのサボテンを侵入者の顔面にぶち当てた後ベランダから脱出して交番に駆け込む。それだけだ。

「おや、開いてしまうとは」

しかし間抜けた声が玄関から響いてきて、それも杞憂に終わった。

「ドアチェーンをかけていないとは、不用心な。後でしっかり言ってやらねばな」

うるさいお前が来たらいいなって思って開けてたんだ。
一週間も音信不通をかましたくせに悪びれてもいない声をきいて、頭の中で返事をする。靴を脱ぐ音がコツコツときこえて、それから廊下を歩くびちゃびちゃという音が徐々にきこえてきた。
ん?びちゃびちゃ?

「ハハッ、やはり布団は風情がないね、いやはやお似合いではあるが。では失礼して」

ぺらりと布団を捲られ、潜り込んできた水の塊にぎゃっと悲鳴をあげた。

「冷たい!なんだお前濡れてるのか!?」
「おや?アッハッハ、なんだいけたたましいほど元気だね。うん、いい反応だ」
「いい反応だ、じゃねえよ!ああもう、髪から服からびっちょびちょじゃねえか、傘さしてこなかったのか!」

布団から這い出て部屋の電気をつける。洗面所からタオルを取ってくると、神妙な顔で寝転ぶ有栖川がいた。

「傘はあの日からずっと忘れているよ。忘れられなくてね」
「なんだそれ、謎かけか?どうでもいいから座れ、拭くぞ。いや先に風呂に入るか?くそ、床も濡れてる…」
「傘を見ると君が怒った顔を思い出してしまってね。今日の昼間は特にひどかった。周りを歩く人がみな傘をさしているから、ずっと君が離れてくれなかったんだ」
「お前…いいから拭かせろよ…風邪引くぞ…」

どうしても贖罪をしたい有栖川は尚も布団から起き上がろうとしないので、仕方ないので子供にするように脇に腕を回して抱き起こし、項垂れる頭をわしわしとタオルで拭いた。

「もういいよ、お前が傘見て俺のこと思い出しては嫌な気持ちになったんなら、もうそれだけで俺は充分だよ」
「別に嫌な気持ちになどなっていない」
「じゃあどんな気持ちだよ、ポエムで表現してみな」
「詩か…そうだ、詩だ…私はここ一週間まともな詩が書けなかったのだ」
「おお、そりゃ重症だな」

力なく肩に添えられていた手のひらが、きゅっとパジャマを握る。
もぞもぞと居住まいを正して、下を向いていた頭が胸に預けられた。

「傘…君…瞳…一週間…そぞろ…ああ、閃いた!」
「そうかそうか、閃いたか、よかったな」
「ふむ、ここ一週間詩を披露することのなかった私の溜めに溜めたパッションを君の為に披露しよう。君は実に幸運だ、なにせフェニックスのごとく蘇った私の新作を、いや処女作を捧げられるのだから!」

実に不届き者が聞けばオッケーサインにも捉えられかねない発言を声高に叫ぶ有栖川に、しかしその花開いたような笑みは邪気は微塵も感じられず、どうか下半身を悟られないようにと思いながら「じゃあ是非きかせてくれ」と返事をした。



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