わたくしごと
時々、同じ夢を見る。
忍ちゃんを見送った日の夢。
「テレビで見ない日は無いぐらい有名になるまで帰ってくるなよ」
空港で最後に掛けた言葉は本心だった。
喉の奥がすうすうしてなんだかひどく痛んだけれど、行かないでほしいとは思わなかった。忍ちゃんが夢を語る時のきらきら輝く瞳が、ぼくは何よりも好きだったから。期待と緊張に胸を膨らませて、忍ちゃんは旅立っていった。
夢の中のぼくは多分何か違うことを言っているのだが、ぼく自身は何と言っているのか分からない。ただ、この夢の忍ちゃんは、ぼくの言葉を聞いた後になんだか悲しそうな顔をする。それがどんな意味を持つのか、あまり知りたくはない。唯一分かっているのは、この夢を見た日は気分が優れない。それだけ。
「――フリルドスクエアってかわいいよなァ」
食後の気怠い空気が漂う昼休み。
その言葉はいやにはっきりとぼくの耳に飛び込んできた。二つほど後ろの席で、何人か集まって雑誌を覗き込んでいる。別に悪いことをしているのでもないのに、思わず息を潜めて様子を窺ってしまう。
『フリルドスクエア』。
最近、人気急上昇中の4人組アイドルユニット。
その中のひとり・工藤忍は、ぼくの幼馴染だった。
「オレ、綾瀬さん推し」
「えー!? 一番かわいいのはやっぱ柚ぽんだべ!」
「分かってねえなお前ら……あずきの可能性は無限大だぞ」
「あずきチビッコだからなぁ。忍の方がよくね?」
呼び捨てにするなよ。
手に持っていた紙パックの紅茶を強く握り締めて、危うく制服に溢すところだった。その後すぐ話題は別のアイドルグループに移ったらしく、彼らの声は教室の喧騒に消えていった。
東京で頑張っているのだな、と思う。
忍ちゃんは集中力が高く意志が強い。プロダクションの雰囲気も良さそうだし、メンバーとの仲の良さはTV画面や雑誌を通して伝わってくる。念願のアイドルになって、認知度もどんどん上がっていて。
なのにどうして、ぼくは素直に喜べないのだろう。
けして嬉しくない訳じゃない。
忍ちゃんが上京すると言い出したとき、彼女の両親は高校を卒業してからでも遅くないと反対した。常識的に考えて正しいのはどちらかなんて分かりきっている。それでもぼくは忍ちゃんを応援した。ラジオから聞こえてくる標準語を真似して、訛りが出ないように何度も自己PRの練習する彼女に付き合った。ぼくの母さんから料理を教わって、一緒に具体的な一人暮らしのプランも考えた。寮完備で大手の美城プロを薦めたのはぼく……というよりうちの両親だけど。
上京してすぐの頃は「今日はこんなレッスンをした」「あんなことがあった」「憧れの先輩アイドルに会えた」と細々した報告のメールが来ていた。だが、ぼくがあまり筆まめでないこともあって、ゆっくりと間隔が空いていった。ぼくの知らない人の名前がどんどんと増えていった。狭かった彼女の世界が急速に広がっていくのが小さな携帯の画面越しにも感じることができた。同時に、ひどく狭いぼくの世界と重なったままの部分が、ほんの小さな割合になっていくことも。きっとぼくは思い上がっていたのだ。今までずっと一緒だったのだから、遠く離れてもぼくたちの繋がりは消えない、と。
惨めにひしゃげた紙パックを教室の隅のゴミ箱に捨てると同時に予鈴が鳴った。今日はこれ以上、忍ちゃんのことを考えるのはやめよう。辛くなるだけだ。それでも明日になれば、きっとまた彼女に思いを馳せてしまうのだろうけれど。聞き慣れた無機質なメロディが、今だけは救いの言葉のように聞こえる。五限目の数学はあまり得意ではないけれど、忍ちゃんのことを頭から追い出すにはうってつけだった。
***
フリルドスクエア初の全国ツアー大特集!
メンバーインタビューB 工藤忍
『
Q. 青森公演は工藤さんにとって初の凱旋公演となるわけですが、なにか思い入れなどはありますか?
A. はい、最初両親はアイドルになることを反対していたのですが、今度の公演は二人とも見に来てくれると言っていました!それから、ずっと夢を応援してくれていた幼馴染に、サプライズでファンクラブ会員番号1番の会員証をあげようと思っています。最初は、個人的な知り合いを特別扱いするのはどうなんだろう……と悩んでいたんです。でもプロデューサーや他のスタッフの皆さんから「忍のファン一号なんだから大切にしなさい」と言われて、決心がつきました。その人が居なかったらアイドルとして工藤忍は存在しなかったかもしれないって。私事で恐縮なのですが、他のファンの皆様には大目に見ていただけると嬉しいです。
』
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