部誌11 | ナノ


郷愁



最近通る道に、ブサイクな猫がいる。隊員の間でちょっとした話題になっている猫だ。太刀川も、昨日やっとその猫の実物に会うことが出来た。写真で見るよりもブサイクなのに、良い首輪を付けていて、なんだ、どっかの飼い猫なのか、と愉快になった。
それで、その猫の夢を見た。多分記憶力の問題だろう。猫はブサイクな顔だけがやたらと強調された結果、頭が異常に大きな姿になって、ポンポンと毬のように跳ね、太刀川が焼いたばかりの餅を狙って飛んできた。
グラスホッパーを使ったみたいな斜線を避けようとして、トリガーを使っていないせいで避けきれず、毛玉に追いつかれた。胸の上でポンポン跳ねるブサイクな猫が、重くて重くて仕方なくて、それで、目が覚めた。
暗闇に目がなれるまで、数秒。それがどこなのか把握出来るまで、数秒。悪夢から覚めても胸の上が重い理由に気づくまで、数秒。
合計……何秒だろう? 太刀川は足し算を諦めた。
「……なにしてんだ?」
とりあえず、悪夢の元凶である人物に太刀川は話しかけた。そもそも、この部屋はなまえの部屋だ。なまえはボーダー基地に住んでいる。住民票の住所がここにあるわけじゃなくて、仮眠室に住み着いている。その部屋は便利で、諏訪隊のところで麻雀をやった日にちょっと借りたりしている。
仮眠室の主であるなまえが、この部屋に居ることに特別な理由は必要ない。でも、ソファーで寝ていた太刀川の胸の上に、なまえが乗っている理由は必要だ。
「慶、セックスしよう」
なまえがそう言った。なるほど、そういう提案もありかもしれない。太刀川は思う。彼と太刀川はしばらく前から、恋仲だった。なまえは男で、太刀川も男だったが、ふたりとも気にならなかったから、スピーディーにくっついた。電光石火とはこういうことを言うのかもしれない。太刀川が彼の仮眠室をよく利用する理由の半分くらいは、その辺にもある。
でも、今日は、なんだか違和感があった。流してはいけないような危機感に、太刀川は、シャツをめくる彼の手をそっと制した。仮眠室の明かりは落とされていて、スマホの充電を示すオレンジ色のランプと、スイッチの位置を示す緑色のランプが、ぼんやりと室内を照らしていた。入眠時には邪魔だと思うくらいに強いランプなのに、何かを見ようと思って目を凝らすと、足りない。
なまえの表情がよく見えなくて、太刀川は充電中のスマホに手を伸ばした。
ぽわ、と目が痛いくらいの明かりが灯る。待受が光っているだけなのに、暗闇に慣れた目には厳しい明かりだった。暗いとこで画面見てると目が悪くなりますよ、と母がよく言っていたが、あれは正しかったかもしれない。
液晶の明かりは、太刀川の腹の上に跨がるなまえの顔を照らした。
「しないの?」
眩しさに目を細めながら、なまえは唇を歪めた。なまえの笑顔はきれいだ。元々女性的な美人だけど、笑うと骨ばった頬骨が浮いて、男っぽくなる。でもそれが、なまえらしくて、太刀川は好きだった。
「なんで、そんな泣きそうな顔してるんだ?」
彼は、そんな顔で笑わない。悪い顔をして、太刀川をセックスに誘うときだって、きれいに笑う。魅力的だから『ラブホ代わりに仮眠室を使うな』という忍田さんの苦言をちょっと隅っこに追いやって、寝てしまう。
だけど、今の彼の表情にはその魅力がなかった。
「……っ、」
歯を食いしばる。瞳がゆらりと揺れた。涙が滲んでいるのだろう。
太刀川が人肌を求めるのはちょっといい気分になりたいときが多い。でも彼は違う。なまえは、自分の気持ちを紛らわせるために、人と寝るタイプだった。勿論、そうじゃないときもあることは知っている。
多分、太刀川と出来る前からの習慣だと、太刀川は思う。なまえは、はじめて抱いたときから、とても、慣れていた。そんな色気も嫌いじゃなかった。
寂しいときに、必死になって扇情的に振る舞う彼を、可愛いとも思っていた。
でも、太刀川は、彼が泣きそうなときに、そうやって忘れさせてやるだけの男にはなれなかった。彼が悲しい理由を知りたいと思う。出来るなら、力になりたいと思う。
それを鬱陶しいと思われる気はしていたけれど、自分に嘘は付けないことを太刀川は知っていた。無理をしてついた嘘で彼を騙しきれるとも、思っていなかった。
嘘は、なまえのほうがうまい。
なまえは、嘘ばかりだ。
彼の言葉を待っているうちに、スマホの待機時間が切れて、明かりが落ちた。スイッチのかすかな明かりも見えないくらいの暗闇が訪れる。
電気をつけに行くのも、もう一度スマホをつけるのも面倒だった。
「っ?!」
「っと、」
ブサイクな猫に突撃されたとき以上の衝撃だった。彼の身体を引き寄せて、抱きしめる。細身の身体が、腕の中にしっくりとおさまった。
「……帰りたい?」
「っ……!?」
ビクリと緊張するなまえの身体を抱きしめながら、太刀川は背中をゆっくりと、あやすように叩いた。合わさった肌の間がじんわりと熱を持つ。
彼の一番の願い事は知っていた。
彼は「気にしていない」と言っていたけれど、そんなはずが無いことを太刀川は知っていた。
なまえはこの基地に住んでいる。でも、ここに住民票の住所があるわけじゃない。そもそも、なまえには住民票も、戸籍もない。
はじめて遇ったのは、戦闘中で、モニタリングされた空間に、ぽんっといきなり現れた。近界から来たのではないかと、調査されたけれど、なまえが現れたときにはその兆候はなかったことは証明されていたし、なまえにはトリオンやトリガーに対する知識はなかった。
それでも戸籍も何もない彼を、そのまま野放しには出来なくて、監視という名目のもと、彼はこの基地に住んでいる。
別の世界から来たのだと、いつか、珍しく深酒をしていたときに、ぽろりと漏らした。
多分本当のことなのだと思う。近界民なら良かったのに、と太刀川は思う。もしなまえが近界民だったら、遠征艇に乗せて、彼を家に帰してあげられたのに。
「……いや、それはどうだろう」
太刀川の突然の独り言に、おとなしく慰められていたなまえが反応した。
「……何が?」
顔を見なくても、怪訝そうな顔をしているのだろうと想像出来る。身体をぴったりくっつけていると顔が見えなくても考えていることがわかる気がするのが不思議だった。
「……んー……、なんでもない」
太刀川は、笑って誤魔化した。
もし、帰してあげられると、わかっても、太刀川はなまえに帰ってほしくないと思う。できれば、このまま、ここで居てほしいと思う。
彼が居なくなるかもしれない、という想像が怖くて、太刀川は小さく身震いした。
「……なまえ、」
「……どうしたの」
優しい声が降ってくる。慈愛に満ちた声だと、太刀川は思う。女神のようだと、思うときがある。誰に対してもそんな顔をするものだから、ちょっと嫉妬したりもする。
「……ヤろうか」
「どういう風の吹き回し」
小さく笑いながら、なまえの声が艶を帯びる。こんな声を聞くのは、今、この世界では、自分だけだと太刀川は思う。きっとそうだ。そうであって欲しい。
「ちょっと、寂しくなって」
「……そう、めずらしい」
そう言って、彼は笑った。笑って、誤魔化した。
彼が気持ちを紛らせるために人肌を求める気持ちを、太刀川は少しだけ理解した。



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