部誌11 | ナノ


例えば枝豆とビール



「ビアガーデンに行きたい」

真剣な顔でそう告げたのは、メディア対策室所属のみょうじなまえだ。忍田と同期のこの年下の男は、驚くべき童顔とその美貌でもって、広報活動をこなす嵐山隊直属の上司として、同様に顔を出している。現場の指揮をとれるほどには戦闘経験豊富なみょうじではあるが、メディア対策室に移動になったのは最近のことで、実際はペーペーの新人である。嵐山のフォローされることもある情けない大人だ。

ボーダーがいかに特殊な組織とはいえ、未成年に命を預けることに拒否感を覚える人間もいる。みょうじが嵐山隊の上司としてメディアに顔を出すようになったのは、「背後に信頼できる大人がいる」というメッセージをそうした人間たちに伝えるためである。マネージャーよろしく広報活動中カメラに映らない場所で嵐山隊を見守っているだけがほとんどの仕事だが、稀にみょうじ自身もテレビに出演する。
ペーペーのみょうじが選ばれたのは、戦闘経験があるために急な戦闘になっても嵐山たちに加勢できたり、彼らの邪魔にならないように避難誘導できるからであり、またその端正な顔のせいでもあった。聴衆は、醜男よりも美青年をより好むものである。テレビの前の主婦勢の意見を決して軽視しない室長の根付は、メディア対策室内で一番顔のつくりがいいのを選んだ。それがみょうじなまえなのである。己の顔面においてあまりいい思い出のないみょうじは、げっそりしながらも上司の指令に応えて、今に至るのである。

「ビアガーデン、か」

そういえば何年も行ってないな、と忍田はぼんやり考えた。勤務時間はとうに過ぎ、残業中である。どこかのA級一位の隊長の尻拭いをさせられたために残業を余儀なくされたのは何度目だろうか。遠い目になりながら、久しく飲んでいないジョッキに注がれたビールのことを思う。いいな、うまそうだ。キンキンに冷えたグラスに注がれたビールの喉ごしたるや。思い出すだけで喉が鳴りそうだ。
残業する忍田を冷やかしにきたのか、はじめはへらりと笑っていたはずのみょうじだが、応接用のソファに寝そべり、ぐずっていた。メディア対策用にとしつらえられたスーツが皺になるがいいのだろうか。結構上等な生地を使用しているはずだが。

「はー、熱気むんむんの夜空のしたでキンキンに冷えた生ビール飲みてえ〜」

「いいな、それ」

「だろ……行きてえ……」

はああ、と大きな溜息と共に、みょうじは切なげに呟いた。ということは、行けない事情でもあるのだろうか。
忍田のそんな疑問に気付いたのか、みょうじは顔を両腕で隠したまま少し嗄れた声で続けた。

「根付さんに駄目って言われた……」

あと、城戸さんにも。
直属の上司と、ボーダートップからの禁止令である。これは何かあったに違いない。くすん、と哀れっぽく泣いた振りをしているが、何をどう考えても、みょうじの自業自得であ
るとしか思えない。そう言われるだけのことを、この男はやらかしたに違いないのだ。

「ビアガーデンだけが禁止なのか?」

「基本的に外飲みは禁止って言われた……」

ビアガーデンだけならまあ、開放的な空間であるし、何より不特定多数の人間に見られてしまう可能性がある。それを阻止するためと、思えないこともなかったのだが。外飲み自体が禁止だとなると、何かとんでもない理由があるのだろう。

「お前、一体何をしたんだ……?」

「おれ、何したんだろうな……」

「記憶がなくなるほど飲んだのか」

「みたい」

ぶるりと震えたみょうじは、起き上がって自分の肩を抱いていた。スーツの背中はやはり皺くちゃになっていて、クリーニングが必要そうだ。どうせみょうじの家にアイロンはない。
それなりに長い付き合いではあるが、みょうじが前後不覚になるほど酔っぱらった姿を見たことはない。ほとんどが真面目な話をしながらの飲みだったので、酔う隙間がなかったのだ。俗に言う酒がなければやってられない状態で、最終的には仲良く寝落ちしたものだった。

そわり、と忍田の中の好奇心の虫が騒ぎだした。長い付き合いである忍田が知らないことを、城戸や根付だけが知っているのも面白くない気持ちもあった。何よりもう、これ以上残業したくない。

「俺の家で飲むか」

「はえ?」

思わずといった風情で顔をあげてこちらを向いたみょうじの表情は間抜けそのもので、なんだか愉快な心地になる。

「ベランダで飲めば、ビアガーデンと変わらないだろう」

「えー。全然違う……綺麗なお姉さんとか愉快な酔っ払いのおじさんとかいねえ……」

「お前は一体何をしにビアガーデンに行ってるんだ」

そんなものを求められても応えることはできない。呆れた視線を向けると、拗ねるように唇を尖らせていたみょうじだったが、やれやれと首を振り、立ち上がった。

「残業はもう飽きたのかい、真史クン?」

「どこかの誰かがビールの話題を口にしたせいだ」

「へーへー、責任はとらせてもらいますよ」

伸びをしながら部屋を出ようとするみょうじの背中を追うように、忍田もまた椅子の背に掛けてあったスーツの上着を片手に歩き出した。簡単な戸締りをして、みょうじと並んで歩く。
残業の原因の仕事は、明日太刀川に手伝わせよう。なんなら隣のこの男に手伝わせてもいい。どうしても、と忍田が言えば、根付も一日くらいみょうじを貸してくれるかもしれない。嵐山隊や他の広報活動担当の隊がメディアに出ない限り、みょうじは本部待機なのだ。嵐山隊のマネージャーもどき以外にも仕事はあるだろうが、一日だけなら構うまい。
そう考えたらなんだか変にわくわくしてきた。補佐の沢村には申し訳ないが、許容してもらうしかあるまい。みょうじは戦術的な知識も豊富で、忍田の仕事の助けになることはあれど、邪魔になることはないはずだ。

「忍田ん家、キンキンに冷えたグラスないよなあ」

「飲んでる間に冷やしておけばいいだろう」

「まーそうなんだけど。この時間どの店も開いてなくねえ? コンビニくらいじゃん」

「コンビニのつまみもなかなかいいぞ」

「まじ? 枝豆ある? 枝豆」

「ある。コーンもあるし餃子もある」

「いいねえ〜ワクワクしてきた」

ポンポン弾む会話が楽しい。そういえば、本部長なんて役職に就く前はこうして二人でわちゃわちゃやっていたものだった。時間が過ぎ、過ごす時間が減ってしまっても、変わらない関係が嬉しい。二人の間に役職というものは必要なくて、相変わらず忍田真史という人間とみょうじなまえという人間のままなのが、嬉しい。

「あー、早く飲みてえ。お前ん家に向かう道すがら飲んでもいいかな?」

「城戸さんに見つかったら怒られるどころの話じゃなくなるぞ」

「やっぱり?」

足取りは軽く、交わす言葉はよどみがない。
変わらず頭の悪い発言をするみょうじに、忍田は久しぶりに声をあげて笑った。




その日、酔っぱらったみょうじがキス魔になることも、みょうじに負けず劣らず酔った忍田がみょうじからのキスに応え、勢いで危うく体の関係を持ちかけたのも、酔いが過ぎて二人して寝坊する羽目になるのも、この時の忍田真史は知る由もないのであった。



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