部誌10 | ナノ


欠伸もでるほど



夢を見る。とっておきの悪夢だ。かつての忌まわしい過去、実際に起こってしまった、変えようがない現実の追体験。
あの日の叫びを、ライアン・ゴールドスミスは決して忘れない。


「ライアン?」

「――――っ!」

声をかけられてばちりと瞳をこじ開ける。生ぬるい感触は汗で、肌を伝う感触がとても不快だった。
ライアンを見つめるのは他の誰でもない、最愛のひとだ。凄惨な過去を経て、ライアンの隣にいることをよしとしてくれた、生涯ただひとりのひと。

「なまえ……」

「だいじょうぶ? 嫌な夢でも、みたの?」

心配そうな顔を浮かべ、指先をライアンの頬に滑らせる。優しい感触にすり寄るように頬を寄せ、ライアンはそっと息を吐いた。
今、ライアンはなまえと暮らすアパルトマンの一室にいて、居間のソファでうたた寝してしまっていたようで。久しぶりの休暇で、ゆっくりしようねとなまえと隣り合ってくっついて映画を観ていたところだった。寝るつもりなんてなかったのに、なまえには悪いことをしてしまった。

夢だ。あれは、夢なのだ。わかっているのに不快感と嫌悪感は止まらず、自然と眉間に皺が寄る。過去を悔やんでも仕方がない。今更あの出来事をなかったことになんてできない。解っていても、たら、ればを考えてしまう。あの時、NEXT能力が使えたら。第三者の助けがあれば。目の前の少年は、姉を亡くした絶望を抱えたまま、凌辱されるようなことにはならなかったのに。

ライアンとなまえ・みょうじが出会ったのは、ライアンがシュテルンビルドから活動場所を移動した場所で、だった。とある大富豪に雇われたライアンは、ヒーローとしてカジノとスラムが隣り合う土地で生きることになった。犯罪ひしめくその場所で、派手にマフィア共を検挙していたライアンは早々に目をつけられた。犯罪組織の幹部のひとりを知らずに捕まえていたらしいライアンは、その幹部と交換で解放する人質として捕えられた。そうしてそこで、なまえに出会ったのだ。
ライアンがこうして生きているのはなまえのおかげだ。なまえが警戒も露わなライアンに怯まず、危険も顧みず面倒を見てくれていたからこそ衰弱せずにすんだ。なまえのライアンのための行動は、組織とは反するもので、見つかったなまえは、殴打され、そして――

ポン、と柔らかく背中を叩かれる。宥めるようなリズムのそれは、ゆっくりとライアンの体をなまえの方に傾けさせていく。なまえの膝に頭を預けるかたちになったライアンは、覆いかぶさるように見下ろすなまえには、柔らかい笑みが浮かんでいる。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。夢だよ。ぜんぶ、夢。わるい夢だ」

なまえの顔が近づいて、ライアンの額に触れる。やさしいキスは、ライアンの不快感をあっさりと取り除いた。
そう、夢だ。かつて実際に起こってしまった過去だとしても、今じゃない。元凶は死んだか刑務所で死ぬのを待っているかのどちらかで、ライアンの救ってくれたひとは、こうしてライアンのそばにいてくれる。
今、ここにある幸福こそが夢だったらと、考えない訳ではなかった。あまりにも幸せで、目がくらみそう。

あの凄惨な出会いがなければ、ライアンとなまえが出会うことはきっとなかった。わかっていても、もしもを想像してしまうのは、なまえ以上にライアンこそが、彼の身に起こったことを悔いているからだ。ライアンのための行動が、あの悲劇を招いた。けれどもなまえはライアンを責めることは一度もなかった。それどころかライアンの愛に応え、こうして寄り添ってくれる。これが奇跡でなくて、なんと呼ぶのだろう。

「なまえ――好きだ。愛してる」

「なに、いきなり」

くすぐったそうになまえが笑う。彼の笑顔は、ライアンを幸せにする。
自分ばかりが幸福で、なまえを置きざりにしてやいないだろうか。ライアンのための自己犠牲を厭わないなまえだ。無理などしていないだろうか、ライアンはいつも気が気でなかった。ライアンとて、なまえのためならなんでもしてやれる自信がある。けれど控えめななまえはなにかを欲しがることもなく、何かを求めることもなかった。求めてほしいのに。欲しがってほしいのに。

「おれも、すき。ライアンがすきだよ」

ほら、こうしてライアンを幸せにしてばかり。

なまえの首裏に手のひらを乗せ、引き寄せる。唇が重なって、ふにふにと食みあう。それだけでは足りなくて、唇を重ねながら体を起こした。深くなる口づけに、なまえの息が上がってしまって、思わず笑みが零れた。
いよいよ息苦しそうななまえの様子に唇を離すと、二人の間に糸が伝う。なまえの口の端から零れた唾液を舐めとると、涙目のなまえが睨んできた。全く怖くなくて、逆にライアンの欲を煽るばかり。

「ねむいんじゃ、ないの」

「ああ……どうすっかな」

そういえば、と思ったところで、思わず欠伸が漏れた。あふ、と間抜けな声を出すライアンに、なまえは飽きれたような視線を寄越す。

「寝るならベッドで寝た方がいいよ。ソファは狭いし」

そう告げたなまえもまた、欠伸を漏らす。瞬きが多いのは、眠気を払おうとしているせいだろうか。
ライアンの欠伸が、なまえに移る。そんなささやかな事実ですら、ライアンは幸せを感じる。こんな風に穏やかな時間をなまえと重ねられることが、どうしようもなく、嬉しい。
なまえの頬にキスをして、ライアンは立ち上がった。その行動を見守るように見上げてくるなまえを抱き上げ、寝室に向かう。

「ライアン?」

「うん?」

「寝ないの?」

「寝るさ」

きょとんとした顔のなまえは、幾度となく肌を重ねても、無垢を失うことはない。どれだけの過去を背負っても、受け入れ微笑むことのできる彼は、ヒーローであるライアンより、きっとよっぽど強い。

なまえとの日々が、幸福に満ち溢れたのであることを、ライアンは願っている。そのための努力を怠るつもりも一切ない。
ふとした細やかな出来事が、どれほど愛おしいものか、もうライアンもなまえも、知っているから。
欠伸が出るほど退屈な時間も、なまえとならこれ以上ないくらい素晴らしいものになる。その根底にあるのは、愛だ。

なまえが好きだ。愛している。この想いを伝えるのにライアンは言葉を惜しむつもりはなかった。同じように、行動に移すことも。

「ねるの、いみが、ちがう……?」

首を傾げるなまえの鼻の頭にキスをして、ライアンはにっこりと微笑んだ。
そうして、すみれ色のベッドカバーの上に、なまえを優しく下ろしたのだった。



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