部誌10 | ナノ


砂糖塗れ蜂蜜漬け



これから先、こんな稀有な体験をすることは二度とないだろう。そう、なまえは思う。
絶海の孤島、という言葉がある。陸地から遠く離れた、ひとつだけ浮かんだ島のこと。絶海の孤島に置き去りにされたと言えば、孤立無援の意味になる。
それでも、孤島のまわりには海がある。海には、生き物が居て、その何処か先に遠くに大陸がある。人がいる。世界中に自分以外の人が居なくなるような孤立を指す言葉ではない。
昔、SF映画で宇宙の中に唯一人投げ出される話があった。宇宙ならば、周りは真空だ。なにもない。それでも、宇宙を駆ければ、どこかの星につく。きっとだれか、どこかに人がいる。宇宙は無ではない。
なまえの現在地である「人理保障機関カルデア」は孤立無援だった。
孤立無縁の中でも、最悪に近い。6千メートル級の雪山の地下に作られた、巨大施設。魔術と科学、人類が持つ叡智を用い、過去未来の人理を観測する。
雪山にあれば、まだましだった。連絡をとれば、物資も、人材も、地球上に存在するものならなんだって届く。それほど重要な使命をカルデアは帯びていた。
その日まで。
あの日、世界中から集められたレイシフト適正のあるマスター候補たちの前で、所長オルガマリー・アムニスフィアによって演説が行われた。その後のレイシフト実験の場にも、なまえは居合わせなかった。使命を負うものとして、第一歩となるその実験に居合わせないことは本来不幸なのだろう。オルガマリー・アムニスフィアは選民主義で、苛烈な性格だった。それゆえに、特に後ろ盾もなく血脈に基づいた有能を持たないなまえは彼女のお眼鏡にはかなわなかった。結果として、それはラッキーだった。
なにしろ、あの場所に居合わせて無事でいられた人間は居ないのだから。47人のマスター候補は瀕死の重傷を負い凍結された。
オルガマリー・アムニスフィアのもとプロジェクトをすすめていた職員の多くも死んだ。問題はそれだけではない。同じ時間、同じ時刻。カルデアをのこして、地球上すべての人類は燃えつくされた。
それがどんな状況なのか説明は難しい。誰も、そんな状況に遭遇したことはなかったから。それでもあの日、あの時を堺に、雪山だった窓の外は雪山ではなくなった。
カルデアが残った理由を、なまえは知らない。ただ、残されたミッションは明確だった。人理を焼却したなにものかを突き止めて、そして、人理を修復する。そのために、ただ一人残されたマスター候補をサポートする。手法も、何もかも、明確だ。ただ、そのためのタスクは途方もない。あのとき爆破によって死んだスタッフたちがいれば、楽だっただろう。
でも居ない。

スーパーヒーロー願望は人並みだとおもう。

他の誰かが自分より相応しい人が居るなら、世界の救済なんておもすぎる使命は誰かに譲るだろう。
でも自分にできることがあるなら、自分の命と星の数ほどの生命を、世界のすべてを引き換えにできるのなら、この命を差し出しても構わない。
多分きっとほとんどの人がそう思うのと同じように。

人類最後のマスターはかなり、特別な人間だ。最後のマスターだというだけでも特別だが、そもそも出自自体がかなり特別だ。

レイシフト適正100%なんて聞いたこともなかったが、出自は可能性はほぼないと言われていた極東の出身、魔術に全く関係のない素人だ。

この素人が成したことは、奇跡としか言いようがない。
次々と触媒もないのに召喚されるサーヴァント。特異点へのレイシフト。人理の修復。

サーヴァントとは過去に名を成した英雄たちの、そのデータ。データと言っても表層だけのものではない。人格を伴った、一個の人間と遜色ないような、通常とは比べるべくもない力を持った使い魔。それがサーヴァント。

お伽噺だと、あったとしても触れられない見ることのないものだと思ったそれを、なまえははじめて目にした。

人理を修復するためだけに、サーヴァントたちが集まったとは思えない。きっと、彼らは人類最後のマスター、彼のもとだから召喚されたのだろう、となまえは思っている。

長くなった前置きはさて置こう。

あの日以来、事故でレイシフトに巻き込まれたマスターと、デミサーヴァントが帰還して以来、カルデアの施設内では英霊たちが闊歩するようになった。
使い魔とはいえ、その枠に収まりきらない彼らは自由だ。とても自由。

廊下を馬で走るし、好奇心旺盛で勝手に設備を触る。人理修復のために集まった者たちだし、元々は好意的なのもあり、その上、施設の管理をあの天才の英霊レオナルド・ダ・ヴィンチがしていることもあり、滅多なことは起こらない。
……その滅多なこと、の中にチョコレートがサーヴァントのふりをして走り出す、なんてことが含まれなくなっていっているのが、どことなく常識との乖離が進んでいる気がしなくもない。

たまたまちょっと出世したとか、たまたま似た分野で研究をしていた、とか、たまたまたまたまが重なって、なまえはここに辿り着いた。

本来では、絶対に会うことの出来ない、遠い過去に死んだ英霊。召喚された彼の真名を聞いたとき、なまえは言葉では言い表せないほどの興奮を覚えた。表紙が擦り切れるほど、何度も何度も読み返した本。その中の登場人物。

「ロビン・フッド」

緑の服を着た義賊。細かく言うなら、本当はロビンフッドではないのかもしれない。それでも、なまえにとっては、彼は、なまえが読んだあの本、憧れたロビン・フッドそのものに思えた。

はじめて、偶然に顔を合わせたとき、胸に抱いていた興奮とは別種の感情が、生まれたのを感じた。

なまえは今まで、自分がしてきたことを後悔したことはない。誠実に積み上げてきたこと、結果がどうであれ、それを否定することは、自分の根幹を揺るがすことだと思っていた。ささやかなミスを反省はすれど、後悔はしない。そう、決めていた。

でも、なまえはこのとき初めて、後悔した。

金に近い茶髪は、光に透けると蜂蜜みたいな色だ。深い森林のような、緑の目。こんなきれいな目を、見たことがない。
少し垂れた目が、優しい。アウトローの義賊だというにはあまりに端正だった。
彼が、自分の憧れた英霊だと、すぐにわかった。
心を奪われた。

「……アンタ、顔色が悪いんでないの?」

ホイホイと英霊に声をかけられて、なまえは飛び上がらんばかりに驚いた。そりゃ、英霊と言えど、この施設の中で共同生活をしているのだ。話しかけてきたり、交流を持つのが好きなものもいる。それには慣れてきた。だけれども、彼は別だった。あれだけ憧れた英雄だ。その上に、惚れてしまった。
そう、惚れてしまったのだ。他人の使い魔に。こんな大事な任務の最中に。

「……い、いえ、なんでもありません」
「そう? 頑張るのは良いけど、無理は良くないと思うぜ?」

そう言いながら、こっち、としばらく前に召喚され、この施設に馴染んだ英霊はなまえを案内するように指差した。彼の指す方向にあるのは、食堂だ。

「お茶を入れるから、飲んでいきな。なーに、オレの分のオマケですよ」
「えっと、」
「遠慮しなさんなって」

ニコニコと笑って、しまいに手を引き始める。結局、断れないままに食堂について、ディスペンサーではなく、彼の入れる紅茶をいただいてしまうことになった。

華やかな香りのする茶葉は、他の英霊から譲られたものに、薬草に詳しい彼が手を加えたものだという。

夢のようだ。夢で終わってしまうかもしれない。

「砂糖をたっぷり入れたけど、お口にあうと良いんですが」

あいかわらずとろけるような笑みを浮かべて、彼が微笑む。何かの、何かの間違いかもしれない。それでも、かまわないとさえ思った。

「……いただきます」

ひどく深い味がした。彼の目のような、森林の匂いのする、お茶だった。そして、とても甘い。甘いものがちょうどほしかったのだ。偶然だと思うけれど、とても、とても、幸せだった。

「……あの、」
「ん?」

同じお茶を飲む彼が笑う。

「……どうして、わたしに、気をかけてくださったのですか?」

その質問が来ることをわかっていたという風に彼は微笑んだ。とろけるような甘い笑みだった。

「そりゃ、あんな顔を見て、誘わないほうがどうかしてると、オレは思うけど?」

彼は、そう言った。

カルデアの中で、サーヴァントはとても自由に過ごしている。その自由の中に自由恋愛が含まれるのかもしれない。



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