部誌10 | ナノ


紅茶とケーキと笑い猫



 ことりと目の前に置かれた皿。
 シフォンケーキに生クリームを添えた至ってシンプル。だが、そのシンプルさが味への自信を物語らせていた。フォークを手にとってケーキを切り分けて口へと運ぶ。放り込んですぐに歯を立てれば柔らかな生地はたやすく千切れ、噛むたびに舌の上で広がるミルクの優しい味。鼻呼吸をするたびに、生地に練り込んだというアールグレイの茶葉が咥内で香り放つ。
 と、コメンテーターみたいに食レポをしてみたが、面倒になったので簡潔にいおう。美味しい、その一言に尽きる。
「味どうですか?」
 堪能していると横からティーカップが出てきた。香りからしてアールグレイ、シフォンケーキに使った紅茶だろう。
 夢中で食べてるところを見られた気恥ずかしさから目を逸らしてしまう。
「・・・・・・美味い」
「それならよかった、初めて作ってみたんで気に入って貰えるか心配だったんです」
 貴方の舌に合ったみたいでよかった、と爽やかな風を感じさせる笑顔を向けられる。あまりの眩しさに薄目になってしまう。やめてくれ、おっさんにはお前の笑顔は毒だ。
「意外だな、伏見にこんな特技があったなんて」
「男家族で家事担当だったから自然と身に付いたんです」
「へぇ」
 家事担当だからといってここまで美味しいケーキを焼けるのだからすごいものだ。純粋に感心をしながら紅茶にも手を伸ばす。こちらもこちらで美味しい、シフォンケーキととても合っている。紅茶とケーキを交互で楽しんでいれば、いつの間にか向かいの席に座っていた相手から話しかけられる。
「こっちこそ意外でした、まさか教授が甘いものが好きだなんて」
 ぴたりとフォークを持つ手が止まる。キリキリと馴染みのある胃痛に襲われ、フォークをテーブルに置いてしまう。
「・・・・・・気持ち悪いだろ、こんなおっさんが甘いものを好きだなんて」
「え、そうですか? 俺の知り合いにもそういうやついるから特になんとも思いませんけど」
 逆にどうしてそんなことをいうのか分からないといった顔でまじまじと見られてしまえばもうなにもいえなくなる。どう反応をするべきか悩んだ末にそうかとそっけなく返すことしかできなかった。
 それでも、人間とは現金なもので、いまさっきまで苦しめられていた胃痛が嘘のようにスッと引いた。特に気にしていないのであればと安心感から再びフォークを手に取って食べることを再開させる。
 元々強面な顔もあったのと、中年と呼ばれる年齢を迎えてからというもの、甘いものを公言することは滅多にない。ましてや学生に知られたら笑われるのは目に見えていた。まさか、自分が顧問をしている写真部の学生にばれるだなんて、そのうえケーキを作ってもらう日が来るとは誰が思うだろうか。自分だって未だに信じられずにいる。だが、このシフォンケーキの美味さが現実だと嫌でも教えられている。
(いや、それ以前になぜ伏見のケーキを食べてるのだろう・・・・・・)
 甘党だとバレたのまではいい。そこで終わるはずが、伏見は何を思ったのかケーキを作ると言い出していまに至る。しかも紅茶まで淹れてくれる始末、いまいる場所が教授室のはずなのに、カフェにでもいる気分だ。
 伏見の真意が全く分からず、盗み見しようと目配せしてみればばっちりと目が合ってしまって慌てて顔を伏せた。大げさに外してしまったものだから伏見が不思議そうに首を傾げる。
「教授どうしたんですか? もしかして口に合わなかったとか」
「そんなことはない、伏見のケーキは美味しいぞ。店に出せるくらいのレベルだ」
「本当ですか? ・・・・・・教授にそういわれると、とても嬉しいです」
 ぽりぽりと顎の傷を指でかきながら照れくさそうに笑う。他の同学年に比べ、どこか余裕のある態度を見せる伏見だが、その笑い方は普段よりも幼く、年相応に見えた。気のせいか、犬耳と尻尾が揺れている気がする。犬種でいえばシェパードだろうか、想像したらとても似合っていた。
「もし教授がよかったらまた作ってきましょうか」
「え、いいのか?」
「教授がよければですけど」
「いや、また食べさせてくれるなら嬉しいが・・・・・・先に釘を差しておくが、単位目的ならお断りだぞ」
 以前にも単位欲しさに食べ物などといった賄賂を送ってくる学生は少なからずいた。伏見の性格上、そういう輩ではないとは理解しているが、もしもという場合も兼ねて牽制しておかねばならない。
 だが、その牽制は無駄だったようだ。一瞬ぽかんと間抜け面を晒したかと思いきや、またあの爽やかな笑顔に切り替わる。
「そんなんじゃないですよ、俺はただ教授が喜ぶ姿が見たかっただけです」
「?」
「あとは」
 がたりと伏見が突然椅子から立ち上がる。一体なにをするのかと様子見していたら、テーブルに手をつき前のめりになって手を伸ばしてきた。いきなり手を伸ばされて戸惑う。しかし、反応するよりも先に伏見の指が自分の口元に触れてきた。唇に、荒れた指の感触が当たる。まるで石にでもなったかのように固まってしまった。
「教授の食べる姿がとてもそそる、っていったらどうします?」
「・・・・・・は?」
「なんてね、冗談です」
 驚きました?なんていたずらに成功した子供、だなんて可愛いものではない。爽やかな笑顔でありながらも、相手の反応を楽しみながら窺ういやらしさを滲んでいた。まるで、どこかの童話に出てきた笑い猫を彷彿とさせる。
いや、そんな可愛いものだったらまだよかった。爛々と輝く琥珀色の瞳はこんな中年の男に向けるものではない。本能的な恐怖からゾクリと悪寒が走ったが、捕食者に狙われた獲物の如く、その場から逃げることはいまの自分には許されなかった。




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