部誌10 | ナノ


紅茶とケーキと笑い猫



銃弾がコンクリートの壁に当たって破片が飛ぶ。当たれば死ぬ、殺意の雨の中を走り抜ける。
ヴァンサン・ロメールは考えた。

『あんたが殺されることはない』

スクリーングラスをかけた、美貌の男。銀河連邦宇宙軍の英雄、ルシファード・オスカーシュタインはそう言った。
ヴァンサンが周囲に渦巻く陰謀に気付いたのは同僚の連続した不審死がきっかけだった。都市警察が事故だと断定した死を不審に感じたヴァンサンは、同僚がヴァンサンに託したディスクをルシファードに渡した。
自分ではこわくて調査も出来ないが、彼らならそれを請け負ってくれるのではないか、という保身ゆえのことだった。
その後、災厄を呼ぶルシファードのせいで、都市警察をめぐるあれこれに巻き込まれたりしたのだが、それはそれ、これはこれ、だ。
この件はその陰謀には関係がないと、ヴァンサンはわかっていた。

相手は戸籍のない、イエロータウン出身のゴロツキだ。裕福そうな身なりをしているヴァンサンを狙って襲ってきた、ただの強盗だろう。ただの強盗が大掛かりな武器を持っていることに疑問は感じたが、それを考えるのは後回しにすることにする。
「走って!」
そう言ってヴァンサンの背中を押す男は、何が楽しいのか、笑みを浮かべたままだ。それがヴァンサンにはとても不愉快だったが、今それを指摘する時間はない。
トレンチコートに、黒のスーツ、ラベンター色の髪の毛を後ろに撫で付けた男。大きな黒のアタッシュケースを下げている。彼はヴァンサンの「ボディー・ガード」だった。
バーミリオン惑星政府の官僚であるヴァンサン・ロメールは、ロメール財閥の御曹司でもある。一代で財をなした祖父の望みである、政界への進出を背負ったヴァンサン・ロメールは何かと、自分で言うのもなんだが重要な人物だ。
そのヴァンサンがスラム街同然のイエロータウンに来た理由はちょっと入り組んでいる。何事にも慎重に生きてきたヴァンサンだが、色恋に関する瑕疵というものは存在する。それが、たとえば学生時代のもので、ちょっといい思い出だった女性からのメッセージに、当時の記録映像が付いていた。
放っておいても良いのだが、もし、ルシファードに会う前のヴァンサンであったなら、放置しただろうが、ヴァンサンはそうしなかった。困っているという女性に支援を申し出たのだ。
金銭的なものならば、女性関係をクリーンにしておきたいヴァンサンは手を出さなかったが、彼女に必要なのは人脈とか、そういったものだった。
元カレによる暴力から逃れるために、少しの調査と少しの力添えをする。ただ、プライベートな問題なので、おおっぴらに人に頼むわけにも行かず、こうしてあっちこっちに出向くことになったのだ。
ルシファードたちの苦労など、自分の置かれている立場の危険性も重々承知だったが、彼女が困っているのは今なのだと、ヴァンサンは思う。
角から様子を伺い、ボディー・ガードに急かされて走りながら、ヴァンサンはその男を振り返った。
「おい、応戦しないのか!?」
「銃は持ってませんからね」
「はぁ!?」
「大丈夫大丈夫。お守りしますって」
男はいう。ラベンダー色の髪の毛が印象的な男はニヤリと笑う。唇を釣り上げるような笑い方は、契約を結んだときから今まで、変わらない。
その笑い方はなんとかならないのか、と言ったヴァンサンに、これが駄目なら契約しません、と帰ろうとした男を捕まえて、契約した。
ヴァンサンには他に選択肢はなかった。ちょっと表情に問題があろうと、祖父や政敵の息が「確実に」かかっていないとわかる、腕がある程度保証できて口のかたいボディー・ガードなんて、そう簡単に見つかるものではない。
追手は3人だ。それぞれが何らかの飛び道具を持っている。普通なら、銃弾があたりそうなものだったが、不思議なことに、この男と一緒に走っていると今のところ無傷なのだ。
ヴァンサンは、彼が通行人や障害物をうまく利用していることに気付いていた。
確かに、凄腕のボディー・ガードかもしれない。ニヤニヤ笑っているし、契約書の名前もおかしな名前だったが。「Cheshire Cat」地球がルーツの古い童話に出てくる猫の名前だ
契約書に書かれていた名前だったが、確実に偽名だろう。本当の名前を問い詰めたが、結局のところ、わからないままだ。ヴァンサンがこんな名前で呼べるか、と言うと、「好きに呼べよ」と彼は笑った。
……考えれば考えるほど、なんで契約したのかわからなくなってくる。
彼が、どうして「信頼できる」のかも、今思いだすと曖昧だ。
息を切らせたヴァンサンがもう走れないだろうと踏んだのか、追手を撒けたのか、男は路地に身を隠して周囲を伺っている。座り込んでその様子を見ながら、ヴァンサンは次々と浮かぶ懸念を喉元に感じていた。
「……っと、」
そのヴァンサンの前で、彼は懐中時計を取り出して眺めた。
「な、んだ?」
「お茶の時間だ」
彼はそう言って、アタッシュケースを地面に置く。
「……は?!」
「だから、お茶の時間だよ」
アタッシュケースが開く。中から、机のようなものがせり出してくる。折りたたまれていたものが自動で開いていく。それを手助けしながら、男は展開されたテーブルの上にのった箱から、ティーカップとティーポット、ソーサーを取り出した。
「……お、おい、まさか」
「契約書にも書いてあったでしょ。お茶の時間を取るって」
「そんなまさか」
そんなこと、書いてあった覚えがない。契約書はきっちりと読むヴァンサンが、見落とすはずがない。
「そんなはずはないと思うよ」
男は笑う。その顔を見ていると、記憶が蘇ってきた。たしかに、書いてあった。ヴァンサンはそれを飲んだのだ。
「ほらね」
こんなのは、おかしい。

ヴァンサンの思いをよそに、彼はアタッシュケースの中で沸いていたらしいお湯を、ポットに注いだ。金持ちの御曹司であるヴァンサンにはそのお茶が高級なものであることがわかる。
「お、おい、こんなことをしている場合なのか?!」
「大丈夫大丈夫。あっちもおやすみの時間だし」
「何を、言って」
「ほら」
ヴァンサンは、振り返る。そこには銃を構えてたった、追手の姿があった。悲鳴をあげようになったヴァンサンは妙なことに気付いた。
追手は立ち尽くしたままで、一歩たりとも動かない。
「……な、なんだ、これは」
「ちょっと、待ってて貰ってるんだ」
ボディー・ガードは笑う。そういえば、彼の経歴の中に「テレパシスト」という項目があった、気がした。
「いや、待て、そんなのはおかしい、」
だって、テレパシストというのは他人の心を読んだりするだけで、こんな、動きを止めてしまうほどの能力者が居るなんて、知らない。
ケーキまで出してくつろぎはじめた男を見ながら、ヴァンサンは戦慄した。
「君も、どうかな? 紅茶はね、二人分淹れるほうが美味しいんだ」
薄っぺらな金属で出来たテーブルと椅子は、十分な硬度があるようだった。こんなもの、どこで手に入れたのだろうか。
「これはね、知り合いに頼んで作ってもらったんだ。どこでもお茶ができるセットだよ」
笑ったままの男は、ヴァンサンの心の中の疑問に応える。
「……ま、まさか、お前、俺の記憶を、」
「そんなことしないよ」
男はわらう。ずっと、笑ったまま。
不思議の国に、迷い込んだようだ、とヴァンサンは思った。



prev / next

[ back to top ]



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -