部誌10 | ナノ


幾億の星の中で



初任給の使い道、という古く昔からある、人生でたったひとつのイベントがある。
親への恩返しにしたり、貯金をしたり、はたまたぱぱっと食費に消えたり、借金返済にあてられたり、それはまぁ、個性が出るものだ。
みょうじの目の前にいる男、黒騎猛は、非常に彼らしい使い方をしたと、みょうじは思う。平時の彼を知っている人なら、計画性なく、パーッとくだらないことに使ってしまいそうだ、と思うかもしれない。その上、彼もそれを言われて、否定しないかもしれない。けれども、みょうじは彼が、恩師への感謝の品を送っただとか、二回目の給料の一部は、両親への感謝とした、とか、結構、義理堅いことを知っている。というのも、黒騎が贈り物をするときに、相談に乗るのはみょうじなのだ。敏いところが有りながら、根が大雑把なもので、絶対に使われないだろう妙な形をしたライターを恩師に贈ろうとするのをとめて、それなりのネクタイにするように勧めた、とか、そういう事情で、みょうじは黒騎の初任給の使いみちを知ることになった。
警察官になって、あまりまとまった休暇も取れない黒騎と、働き始めてすぐで、同じく決まった日に決まった時間に休みのとれないみょうじで、大騒ぎをしながら休みの時間をあわせて、やっと選んだ贈り物だった。
そんな彼だから、三回目の給料は、周りがよく知る彼らしく、自分のために使ったりするんじゃないかと、そんな風に思っていた。
「……お前、ほんとに良いの?」
「それ何度目だ?」
肩を震わせて笑う黒騎は、三杯目のビールに手を伸ばした。たかだかビール、でも、一度目と二度目の給料をちょっとゴージャスに使った今の黒騎には贅沢品だったりする。かくいうみょうじも、二杯目のビールを半ばまで飲んでいる。皿にもられた焼き鳥も、このビールも、黒騎のおごり、だそうだ。
予定を四苦八苦しながらあわせて、外食したいというから財布に飲み代を入れてきたみょうじに、黒騎は「今日は俺の奢りだから」と言った。
「本当は、もっと良い店にしたかったんだけどなァ…」
何度目かわからないぼやきに、ガヤガヤと周囲の酔っぱらいのノイズが交じる。それに不満げに眉を寄せて黒騎は砂肝を頬張った。
程よく焼けた砂肝の苦味は、ビールに合うだろう、と黒騎が許せば次に頼むのは砂肝だとみょうじは考えながら、手元にあるねぎまの、ネギと鶏肉を同時に口の中に入れる。ほろりと甘いネギが、鶏肉の淡白なあぶらの香りによく合う。甘いタレの味が、よく合う。
「ああ、良いなぁ、それ、半分交換しねぇ?」
黒騎は少し赤くなった顔でみょうじの食べかけの串を指した。それから、みょうじの顔を見ると、すいっと視線をそらして、唇を尖らせた。
「いや、新しいの頼めばいいよ、な……」
そう言って黒騎はちょっと考えるようにメニューを取ろうとする手を止める。彼の寒い懐状況が伺えてみょうじは忍び笑った。
「いいよ。交換しよう。んで、新しいのも頼もう。その分は俺が出すから」
「くっ、そういうわけには」
「じゃあ、貸しといてやるよ。いつか返してくれりゃいい」
みょうじがそう笑うと、黒騎はガクッと肩を落としながらため息を吐いた。
「……こんなはずじゃなかったんだけどな」
「どういうつもりだったのさ」
ああ、と大きな落胆のため息を吐く黒騎の肩を、テーブル越しに手を伸ばして、みょうじは軽く叩いた。
赤っぽいライトのせいもあるか、と思っていたけれど、黒騎はちょっと飲み過ぎかもしれない。みょうじはそんなことを思いながら、追加注文をしようと、店員を呼び止めた。


「くっそー!」
黒騎が吠える。それにはいはい、と合いの手を入れながら、みょうじは彼のぐにゃぐにゃした身体を支えた。非番と言えど、警察官、こんなに飲んでよかったっけ、とみょうじは考えながら、彼の住む寮に向かって歩いて行く。彼が給料を使い込んでもなんとかなるのは、寮住まいだから、以外に答えはないのではないか、と割りと堅実に、つまらない「貯金」という初任給の使いみちをしたみょうじは思う。
黒騎が選んだ居酒屋は、ちょっとだけ都心から離れた、流砂現象の復興が進む場所にあった。そしてその近くに、黒騎が住む寮がある。
都心と違って、この場所では星がよく見える、とみょうじは空を見上げながら思った。満点の、それこそ天の川が自宅の窓から見えてしまうようなところで育ったみょうじには、それでも少なく感じるのだけれど。
前に、それを黒騎に言ったことがある。星がなくて寂しい夜空だと。そしたら黒騎は、次の日に光源を絞れる照度の高いハンドライトを借りてきて、夜空に向かって指しながら「あそこにあるのが、ベテルギウス」と、解説をし始めた。見えていない星にハンドライトを向けて、黒騎が夜空に星座を描き出す。見えないだけで、そこに星はあるのだという黒騎のそれを横で聞きながら、みょうじはただ、変わった男だと、黒騎に対して印象を抱いた。
黒騎のことを、初めて友人だと認識したのがその時だったな、とみょうじは思う。それまでは、黒騎はみょうじにとってグループのうちの一人でしかなかったのだ。
「なぁ、黒騎」
「……あ?」
酩酊がかなり進んでいる様子の黒騎がふっと顔を上げた。アルコールの代謝速度はほどほどらしい黒騎は、そろそろ、受け答えができ始める頃だろうか。
「お前さ、まだベテルギウスの位置、覚えてるか?」
みょうじの言葉を受けて、黒騎は空を見上げると視線を彷徨わせて、指を空に向けて伸ばした。
「アレだ」
黒騎が指した場所を見ようとして、みょうじは黒騎の顔に頬を寄せる。彼の視線の位置から、彼の指の先をみた。ぽんっとひとつ、寂しく浮かんだ明るい星を、黒騎は指していた。
「そっか」
吐息のような息を飲む音が真横でして、黒騎の身体がぐらりと傾ぐ。それを支えながらみょうじは危ないな、と言った。
「ワリィ」
黒騎が謝る。それに謝るならきちんと立って下さいと笑いながら言って、みょうじは足を先にすすめた。
「黒騎って、あの星に何か思い入れがあったりするのか?俺に星空教室を開いてくれたとき、真っ先に教えてくれたのがベテルギウスだっただろう」
場所は覚えて無くてもみょうじはその星の名前を覚えていた。最初に説明するなら、北極星だったりするんじゃないか、と思っていたみょうじにはそれが不思議なことのように思えていた。
「……偶然だろ、覚えてない」
黒騎はそんな風にいう。それが本当に偶然なのか、どうなのか、底が浅いようであんまり自分のことを語りたがらない彼の心中をそれ以上深く探る術を、みょうじは持っていない。
「じゃあ、黒騎が一番好きな星ってどれさ?」
みょうじはそう言いながら空を見上げた。二等星くらいまでなら見えるだろうか。黒騎とあの日見上げた空には、一等星すらも暗くて、よく目を凝らさなければ見ることができなかった。
「……、」
歯切れ悪く、答えた黒騎に、みょうじは「え?」と問うた。
「どれ? どっち?」
みょうじは黒騎と視線を合わそうと、顔を寄せる。それを黒騎は「近いって、」と言いながら。自分で歩けるとみょうじから少し距離を取った。フラフラしていてやっぱり、心配になるみょうじに、大丈夫だから、と言うかわりに、黒騎は言った。
「地球、だ」
地球は恒星じゃないな、なんて思いながら、みょうじは彼らしいか、と思いつつも、一応「なぜ」と聞いた。
「……だって、他の星には、お前は居ない、だろ」
何処かで聞いたような陳腐な言い回しが彼らしいようで、彼らしくない。みょうじはそんな風に思いながら、ポカン、と口を開けた。まるで、彼女にいうみたいな言い回しだ、とみょうじはそう思いながら、ふらつく黒騎の肩を捕まえようとして、失敗した。
するりと逃げた黒騎が、あああ、と出来たての住宅街に響くのではないか、という声で唸った。
「……こんなはずじゃ、なかったのに」
黒騎がいう。酔いが収まってきていたはずの耳が、熟れすぎたトマトのように赤い。
「……黒騎が無計画なのは、今にはじまったわけじゃないけど」
みょうじは転がった黒騎の肩越しに、今度はわざと、顔を寄せてみた。
「それって、告白ってことでいいわけ?」
自分の下から、カエルが潰れたような声が聞こえてきて、みょうじは笑った。



prev / next

[ back to top ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -