部誌10 | ナノ


哀歌



 東の空が濃紺の天空に橙のふちを彩るころ、俺は玉狛支部に帰ってきた。支部の周辺は冬の朝の、清水で現れたような静謐さを湛え、あちこちから轟音が響き、光が明滅していた昨日の昼間の騒ぎが嘘のようだ。背中から首の筋肉が寝不足と緊張で凝り固まって、大層な荷物でも背負っているかのごとく肩が重い。
 昨日の午後に起きた近界民による大規模侵攻。必死の防衛と、その後の対応に追われた体は、疲れきっていた。幸いみなの働きで近界民の侵略を食い止め、彼らを撤退させることに成功したが、俺たちエンジニアの仕事は防衛戦の後が本番である。玉狛支部所属である俺も本部に駆けつけて調査にあたり、一晩経ってようやく休息を許された。とは言っても、俺が半日の休息を与えられたのは、俺の事情を配慮した鬼怒田さんの計らいによってで、同僚たちの多くは未だ本部のラボに詰めているのだが。
 明け方の玉狛支部には、珍しく人気が無かった。リビングはまだ夜の暗さが満ち、しんと静まり返っている。雷神丸の姿も見当たらない。
 玉狛支部の面々は、重傷を負い意識不明となった三雲くんを心配して、本部に泊まり込んでいるようだ。林藤支部長は捕虜の扱いがどうとかで幹部会議。迅は……林藤さんのところに同席しているのだろうか。
 俺は電気を点けて、キッチンに立つ。水を入れたやかんをIHのコンロにかけ、自分用のマグカップを用意した。そして、冷蔵庫からラップで包まれた半分のレモンを取り出した。すっかり習慣になった、いつもの手順。
 包丁を取り出しながら、俺の頭は突きつけられた現実と、それについての感情を処理しようと躍起になっていた。
 やかんの中で、水が気体へと変わっていく音がする。――そういえば、本部に侵入した近界民のトリガーは、自らのトリオン体を液体にも気体にも変えられる能力を持っていたな。気体化して本部に侵入し、通信室を破壊した、あの。レモンを包むラップを剥がす手が、一瞬止まった。
 温かいものでも口にして気を紛らわそうと紅茶を淹れるのに、なにをしていても思考は結局そこに辿り着く。破壊された通信室、不運にも瓦礫の下敷きとなり、不運にも当たり所の悪かった、俺と将来を誓ってくれた女性。本部の医務室に運ばれたが、そこで息を引き取ったという彼女。白いベッドに寝かされて、顔を布で隠されていた。
 頭の芯が痛むようだ。俺はかぶりを振って、薄い刃をはっきりと黄色いレモンの皮にぷつりと食いこませた。死のにおいを抱えたその場に爽やかな香りが広がる。
「トパァズいろの、香気が立つ……」
 彼女が好きだと言っていた詩の一節を、気付けば諳んじていた。中学二年生のときに教科書で出会ってからずっと好きなのだと、屈託ない笑顔でレモンティーを飲んでいた。コーヒー党とエナジードリンク党が幅をきかせるエンジニア界隈で、俺がレモンティーを好むのは完全に彼女の影響だった。
 俺は、愛する女の死を歌ったその詩が、好きではなかった。
 けたたましく騒ぐやかんが、沸騰を告げている。輪切りにされた澄んだ黄金の果肉は、先ほど目にした埃っぽく力のない肢体と違って瑞々しく、その残酷な差異に、俺は空っぽの胃がぎゅうと縮むような心地を覚えた。



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