部誌10 | ナノ


寒い日のあたたまりかた



目の前に美しいヒップラインが提示されていて、見ない奴がいるだろうか。
いや、いない。

思わず心の中で反語を展開してしまうくらいには、迅悠一は動揺していた。
迅の現在位置は、恋人の部屋である。入ったことはあるものの、回数は片手で数えるほどしかない。そんな恋人の部屋の合鍵をつい先日渡されたのだ。使いたくなるというのが恋に目がくらんだ人間というもの。
恋人であるみょうじなまえが今日オフであることも、部屋を訪れていいというお許しも確認済みだ。冬の寒い日にも関わらず、ほっこりした気持ちで意気揚々と部屋を訪ねれば、みょうじはカウチに寝そべり、ファッション誌を読んでいて、迅を構うような気配は見せなかった。そこまではいい。たとえ寝そべっているせいでカウチに迅が座る余地はなく、カーペットの上にクッションを敷いて腰を下ろすしかなくても、そこまではいいのである。
ただ、その格好がよろしくなかった。いやよろしいのだが、けしからんのである。

開発班所属のみょうじなまえと言えば、いつもハイネックの黒のシャツに白衣というカッチリした格好が多かった。みょうじは迅から見ても美しい顔立ちをしているので、よく変態に言い寄られたりしているそうで、野暮ったい格好と長い前髪で自衛していたのである。眼鏡では開発の邪魔だというのでコンタクトにしていたが、それでも美しいその瞳は前髪に邪魔されて迅以外の人間が見ることは叶わなかった。
迅がみょうじを好きになったきっかけがみょうじの容姿が先に来るものではなかったからこそ、迅はみょうじと結ばれることになったのである。お陰様で、迅はみょうじに二度恋することになってしまった。自らの恋の顛末をサイドエフェクトで確認することを恐れた迅の、嬉しい誤算だった。

そのみょうじが、である。
コンタクトを外し、眼鏡にしているのは、まあいい。
長い前髪を耳にかけ、その美しい顔を晒しているのも、いいとしよう。
しかし、足の細さやヒップラインを鮮明に伝えるスキニーの白いパンツと、襟ぐりの広い黒のシャツはいただけない。しかも足は組まれていて、ヒップラインを強調している。暖房の効いた部屋で油断しているのか、みょうじの日頃隠された魅力をこれでもかと見せつけた格好だ。これで外出されたら変態待ったなしである。

もしかして誘惑されているのだろうか、と部屋に入ったばかりの迅も期待したのだが、みょうじは一向にファッション誌から目を離さず、迅にテレビのリモコンを渡してから何の言葉もない。これは来ない方がよかったのだろうかと不安になったものだが、迅が立ち上がる気配を見せる度に「何か飲み物欲しいの?」だの「トイレ? だったらそこだよ」だの、解りづらく帰さないように声をかけてくるのである。それを悟れない迅ではなく、みょうじの愛らしさにメロメロになってしまう。

迅とみょうじが恋人になって、そう時間が経っていない。みょうじに好きだとアピールするようになってから1年以上の月日は経過しているが、みょうじの警戒によりお付き合いするようになったのは、ここ最近のことだ。キスも数回しかしたことがなく、それも触れるだけの、子供がするようなもの。まだ深い関係になれてはいないものの、今までのみょうじの経験から焦るまいと決意していた迅にとって、みょうじから渡された合鍵は青天の霹靂だった。
もしかして、という想いは、確かにあった。けれどここで迅が暴走してしまって、ここまで築いてきた信頼が壊れてしまうのは忍びない。そうした怯えや遠慮が先に立って、みょうじから少し離れた場所に腰を下ろしたのは、もしかして失敗だったのかもしれないと思い始めている。

みょうじの部屋は、非常にしゃれていた。ものが少ない部屋に敷かれたカーペット、カウチソファに、低いテーブル。そこに置かれたマグカップにみょうじが身を乗り出して手を伸ばすたび、みょうじの胸元が迅の目に飛び込んでくるのである。
これはまずい。下半身に直撃な感じで、とてもまずい。迅だって性欲を備え持った男子なのである。常に見えている鎖骨だけでもギリギリなのに、広い襟ぐりのシャツの中、胸元の頂が見えてしまっては何も感じるなという方が無理だ。色、ピンクだったっぽい。黒いシャツの影でわかりにくいが、多分そう。

そこまで考えて頭を振った。邪な考えは危険だ。ここは自室ではないのだ。トイレに移動するにせよ、何の目的でトイレに向かうのか一目でばれてしまう。みょうじに幻滅されたくない迅としては、胡坐でなんとかみょうじの目を誤魔化しているものの、若干兆しを帯び始めた分身をこれ以上元気にさせないように頭の中で必死に城戸司令の顔を思い出した。萎えた。よかった。

しかし、できたばかりの恋人と二人っきりの空間で、意識するなという方が無理な話で。みょうじが身動きするたび、その衣擦れの音を迅の耳は拾ってしまう。その度に迅の目はみょうじに吸い寄せられていくのだ。体勢が悪いのか、何度か足を組み替えるみょうじの魅惑の尻を見ないという選択はない。あってほしいが、迅の本能がその選択肢を削除してしまう。とうの昔に、テレビへの関心はなくなってしまった。

みょうじの尻は、ほどよい肉付きで美しいラインを描いている。女性的でありながら、男性のものだと理解できる、とびきり美しいラインであると、迅は思う。それは決して、恋人の欲目だけではないはずだ。ユニセックスなヒップラインなんて意味の分からない感想が出てくるなんて、迅の今までの人生で想像もできなかった。ボーダー本部で女性の尻を撫でてセクハラしてきた迅だったが、どの女性のものよりもみょうじの尻が一番だと思っている。ちなみにみょうじにアピールするようになってから、セクハラをぴたりとやめた迅である。

思考がめぐるほど、迅の五感のすべてはみょうじに直結するようになる。衣擦れだけでなく、みょうじの吐息のひとつひとつまで、その耳が拾ってしまう。盗み見たみょうじは、雑誌で顔が隠れて表情が見えない。だからこそ、そのヒップラインや、足のラインを凝視してしまうのだが。
みょうじに対して敏感になった迅の耳は、はあ、というみょうじの溜息を拾った。テレビの音声で聞こえないことを見越したような小さな溜息だったが、迅の耳は容易くその吐息の音を拾った。

残念そうな響きのその音に、もしかして、と迅はわずかな希望を抱いた。
もしかしてみょうじも、迅と同じ気持ちなのだろうか。
ドキドキと胸が逸る。芽生えた希望は迅の中で急速に成長していき、行動に移す決意を固まらせた。

テレビを消して、立ち上がる。みょうじがそれに気づき、声をかけてくる前に、カウチソファまで足を運び、ソファを背もたれにカーペットの上に座り込んだ。みょうじに背を向けた形にはなるが、今から告げる言葉を思えば、ちょうどいい。
鼓動が跳ねる。ドキドキからバクバクへと変わった心音は、そのまま迅の緊張を表していた。いっそのことこの音がみょうじに伝わればいいのに、と迅は思う。

「あ、あのさぁ」

そう告げた声は情けないことに震えていた。ごくりと唾を飲み込んで、一呼吸してから、また口を開く。みょうじの表情は、見れなかった。

「さ、寒くない?」

よりにもよって出てきた言葉がこれか。
分かりづらい求愛の言葉に、みょうじは反応を見せなかった。行動を決意してからというもの、余裕なんて微塵もなかった迅が振り返るには、多大な勇気を要した。背後のみょうじがどんな顔を、反応をしているのかわからない。わかりたいと、精一杯の勇気でちらりと後ろと振り返る。

視線の先にいたみょうじは、読んでいた雑誌で顔を隠していた。雑誌を持つ指先まで真っ赤で、震えている。ちらりと見えた耳も真っ赤で、そして。

「さ、さむい」

迅同様に震えた声で返ってきた返答に、思わず雑誌を取り上げていた。真っ赤な顔で涙目のみょうじは、とびきり魅力的で――

「じ、ん……っ!」

気づけばみょうじの上に乗りあげて、その唇を奪っていた。触れるだけのものではなく、舌を差し入れて絡める。必死に応えようと、ぎゅうとしがみついてくるみょうじが愛おしい。可愛い。たまらない。

「――好きだよ、なまえ」

「ぁ、」

「好きだ。どうしよう? 止まらない、止められないよ」

「止めなくて、いい……っ、止めないで」

潤んだ瞳のみょうじの腕が、迅の首に回される。胸が痛い。暴れ回る自らの感情をぶつけるように、みょうじと唇を重ねた。

同じ想いでいてくれたことがこんなにも嬉しい。
これほどまで喜んだのは、二度目だ。一度目は勿論、両想いになった時である。


そうして、初めてのセックスがカウチという狭い場所であることを迅は詫び、くったりとしたみょうじを抱き上げ、寝室へと向かった。
その日丸一日中、二人がベッドから出ることはなかったのだった。



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