部誌10 | ナノ


寒い日のあたたまりかた



 その週末は、土曜の夜から日曜の朝にかけて、記録的な大雪となった。

 特産品にみかんが挙げられるほど温暖な気候の三門市で、積雪が記録されたことはない。少なくとも、幼少の頃より三門市に住んでいるなまえの記憶する限り。
 ゆえに、家を出るときに点けていたテレビでアナウンサーが大寒波の到来を警告していても、自分には関係ないことだと全く信じていなかった。今までに積雪の予報が出て、雪が積もったことなんて一度もないのである。
 天気予報が雪を示していたからと翌朝の銀世界を期待してわくわくして眠ったら、結局しとしと冷たい雨が面白味もなく降っていただけ、ということが小学生だったころに何度かあった。それから、雪に関しては天気予報を信用しなくなったのだ。
 だというのに。深夜0時を過ぎてボーダー本部を退勤したなまえは、連絡通路の出口で唖然としていた。夜中の三門市は、一面の雪に押し潰されていた。一面の銀世界だとか、雪化粧に覆われたとか、そんななまっちょろい表現では足りない。少なくとも5cmはあるだろう積雪は、まるで漬け物石のように見えた。雪に慣れていない人間の、酷い比喩である。
 この中を歩いて帰るのかと既に嫌気が差したなまえの隣で、一人の少年が「うわ、スゲー大雪」と物珍しそうに喜んでいた。A級1位太刀川隊所属の天才射手、出水公平である。土曜日だというのに深夜まで職場に詰めて疲れきったなまえと違って、夜中でも溌剌と元気のいいその表情は、若さみなぎる高校生の特権だろう。この高校生が、大雪に並んでなまえの頭を悩ませていた。
 繰り返すが、今は午前0時を回っている。健全な高校生ならばこの時間にふらふらしていたら、補導されることは確実だろう。
「ねえなまえさん、おれさぁ今日自転車で来ちゃったんだよね。でもこの雪じゃチャリで帰んのは無理でしょ?」
「……だから?」
 けれどもここは三門市だ。ボーダー本部で働く未成年隊員への措置として、未成年者の深夜外出も不問にされている。
 ゆえになまえは出水に内心思うのだ。歩いて家まで帰れ、そうじゃなきゃ本部に泊まれ。そんな期待を寄せた目を向けるな、と。
「なまえさんち、近いだろ。泊めてよ?」
 にこ、と少年が笑う。高校二年生の男子なんて大人とほとんど体格は変わらないのに、それでも表情に滲むあどけなさは未だ子供の領域にあるものだ。自分が庇護され、甘えることが許されていると自覚している、賢い子供。付け加えれば、出水はなまえが律儀で世話焼きな性格であることも知って、笑顔で要求するのである。
 連絡通路の出口に設置された灯りの下で、こちらを挑発するような上目遣いはまさに小悪魔のごとし。断れるものなら断ってみろと、深夜の雪深い街に未成年を一人歩きさせることをなまえがよしとしないのを承知して、宿泊をねだるのだ。
 自宅で一晩、出水と二人きり。なまえは今の自分たちの関係を考慮して、それは明らかに「まずい」とわかっていた。自分にも「まずい」し、出水にも「まずい」。
 なまえはぐっと腹に力を込めて、決断した。一刻も早く暖房の効いた部屋に帰りたかったこともある。寒さと雪のせいにして、ため息混じりに返答した。
「今夜だけ、特別だぞ」
 ぶっきらぼうに許可を出して、なまえは積雪の中へ足を踏み入れた。背後では出水が歓喜してはしゃぎながら、大股でざくざく雪を踏み分けるなまえを追ってきた。



 出水公平は、なまえに好意を抱いているらしい。本人の主張を信じるならば、そう。好意というのは親愛や信頼ではなく、性的な関係を伴うあれそれ、つまり「付き合いたい」ということだ。
 初めてその気持ちを打ち明けられたのは、もう半年も前になる。新入隊員の入隊手続きに追われて、自分のデスクで死んだように眠っていたなまえを、あろうことか出水がキスで起こしたのだ。しかも、睡眠不足の眠気が覚めるほど、深いやつ。
 突然の事態に驚愕するなまえに、出水はあっけらかんと「おれと付き合いません?」と言いはなった。
 若く才能溢れる出水には、怖いものはないのだろう。射手としての才能を認められ、A級1位部隊に在籍し、欲しいものもやりたいこともなんだって叶えられるように思っているのだろう。
 可愛がっていた後輩に好意を寄せられるのは、ありがたいことだとなまえは思っていた。だから出水の告白も、驚きはしても、意外さと嬉しさの方が勝っていた。――気持ちだけを述べるならば。
 なまえと出水は、一回りも年齢が違う。一回り、同じ干支。防衛隊員をやっていた頃に射手として出水を指導する機会があったことが知り合ったきっかけだったはず。それも昔の話で、なまえはとうに前線を退き、事務方の仕事に専念していた。
 つまり、なまえは大人で、出水は高校生であった。三十路も近い男が、男子高校生に手を出す――それは、社会規範を重んじるなまえにとって、許しがたい行為だ。
 大人として、出水の望む関係になることはできないと、この半年ずっと言い聞かせている。けれども、怖いもの知らずで自信に溢れた高校生は、なまえが辟易するほどに強引で積極的だった。出水のアタックを何かと理由をつけて躱し続けてきたのだが――ついに自宅への宿泊を許してしまった。

 いや、常識的に考えて、大雪の日の真夜中に未成年を一人で帰宅させるほうがおかしい。寒さのせいで風邪をひいたら? 凍った道路で怪我をしたら? 夜中に不審者と出会って……いや、これは心配する必要はないか。とにかく、俺は常識ある大人として、普通のことをしたまでだ。
 風呂に浸かりながら、そうやって現状に言い訳をしていたなまえは、逆上せる寸前で踏ん切りをつけた。濡れた体を拭き、髪を乾かし、出水のいる部屋へと戻る。
 先に寝てていいからと言っておいた通り、出水は既になまえのベッドを占領して横になっていた。近づいて覗きこめば、深い寝息を立てて眠っているようだ。
 掛け布団を口元まで引き上げ、丸まって眠る寝顔はあどけない。髪の毛をよく乾かさなかったのか、さらさらと柔らかい茶髪はほんのり湿っている。偉そうな口を叩き、近界民と果敢に戦っていても、まだ17歳だ。本質は未だ、甘えたがりの子供なのかもしれない。
 こうやって見ているだけなら、かわいいんだけどなあ。強引に迫るようなことがなければ、なまえが頭痛に悩まされることもないのだが。出水の髪に指を通しながら、なまえは苦笑を漏らした。
「高校を卒業したら、な」
 出水が高校を卒業して、それでもなおなまえを好いていてくれたなら、大手を振って受け入れよう。それはこの半年、ずっと胸に秘めていた気持ちであった。
 さて、となまえは部屋を見渡す。ベッドは出水に使わせてしまったから、自分の寝床を作らなくては。客用の布団一式を出すか、それとも掛布団だけを出してソファで眠ろうか――。
 そう考えながら、クロゼットに向かおうとしたときだった。ベッドに背を向けたなまえの腰に、にゅっと二本の腕が絡みつき、あっと言う間にベッドへと引き倒されていた。
 犯人なんて、一人しかいない。なまえは背後から抱きつぶされながら、「いずみ!」と非難の声を上げた。
「おまえ、起きてたな!」
「うとうとしてただけっすよ」
 首筋に、笑いを漏らす息がかかる。寝巻代わりのTシャツ越しに、出水の体温がじんわりと伝わってきた。
「ね、さっき何て言いました? 『高校卒業したら』って聞こえたんですけど」
「言ってない言ってない気のせいだ!」
 離せ、と腕を叩くも、今度は脚まで絡められて、完全に布団の中へと引きずりこまれた。身長はなまえのほうが僅かに高かったが、後ろから覆いかぶさられるこの体勢では数センチの体格の優位など無に等しい。これでは完全に同衾だ。
「長湯してましたね。すげぇ体あったけぇ」
 人間湯たんぽだ、とくすくす笑う出水は、まるで解放する気配が見えない。項に顔を埋められているようで、喋るたびに彼の唇がくすぐったくて仕方なかった。

「今日は数十年に一度の大寒波らしいですから、特別ってことにしときましょ」
「おまえなあ……」
 そんな理屈で、なまえの体は朝まで出水と体温を共有することとなった。



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