部誌10 | ナノ


それはまるで、



 彼の主訴は、ここ最近原因不明の身体の不調に悩まされている、というものだった。たとえば突然動悸が激しくなったり、顔が火照ったり、注意力が散漫になってしまったりといったもの。カルデアの医療担当であるボクのところへ相談に来た少年は疲れた様子で、どこかぼんやりとそう訴えた。さらに聞くと体調不良を自覚してからというもの余計に悪化しているようで、モヤモヤとした感覚がずっと腹の奥にわだかまっているそうだ。
 ボクは職員たちの健康管理に、常々注意を払っている。連日の激務で寝不足や食生活の偏りはあっても、医者の視点からは彼の身体に悪いところは見あたらなかった。となると精神的なものによる不定愁訴が疑えるが――次に彼が付け加えた情報によって、ボクは診断を導き出した。

「アストルフォが近くにいると、最近いつもそうなるんです……」

 ――それは、恋、だね!!
 難しく顔をしかめている少年を前に、ボクはうっかり満面の笑みになってしまった。なまえが俯いていてくれたことが幸い、にやにやした顔は見られていないはずだ。
 指摘は声に出さずとも、胸中では十代の少年に訪れた淡い恋の気配に浮かれている。だって魔術と仕事一辺倒で、幸福であることを後回しにしてきた男の子が恋心を抱いたというのだ。ボク自身恋心がどんなものかよくわからないのだが、多くの文学作品に語られるそれらは、きっと善いものに違いない!
 いや待て、と我に返る。これでボクの早とちりだったら恥ずかしすぎるぞ。ボクは努めて平静を装って、彼に確認の問いを投げた。
「ええと、なまえはその……アストルフォが近くにいると、胸がドキドキしたり、顔が熱くなったりするってことで、いいのかな」
「そうですドクター。だのにアストルフォのやつは何でだかおれに構いたがるから、最近はもう心休まるときがなくて……」
 はあ、と困ったようにため息をつきながら、彼の口元はわずかに笑っていた。なまえは自覚していないのだろうか、自分がどれだけ優しい表情でかのサーヴァントの名を呼んでいるのかを。――自覚してないんだろうな、うん。
 カルデアの研究員となる前のなまえは、次期当主の跡目争いに巻き込まれて、一日生き延びることすら精一杯の毎日を過ごしていたと聞いている。一族の神秘を引き継ぎ、さらに高めるための権威ある立場。魔術刻印を託すには、より才能ある者を、より相応しい者を。邪魔をする者は排除すること。
 魔術師にはよくある話らしい。なまえは自分の兄と後継争いを強いられ、なんとか生き延びたものの立場を失った。十代そこそこの子どもは、藁にも縋る思いでアニムスフィア家に助力を請い、山奥のカルデアへと逃げ込んだのだそうだ。
 わかい人生の多くを殺伐とした権力闘争に身を置き、その後もカルデアのスタッフとして過ごさなければならなかったなまえは、真面目ではあるが自己肯定感が低く、鬱屈としたところのある少年であった。
 アストルフォがカルデアに召喚されてから、あのサーヴァントがなまえを妙に気に入っているらしいことは、ボクやダ・ヴィンチちゃんも把握していた。自由で破天荒な英雄が、なまえの視界を広げてくれたらいいと思って見守ってきたのだが、今回こういうことになったのは少々予想外である。いや、なまえにとっては喜ばしいことなのだが。
「なにをにやにやしているんですかドクター。おれは真剣に相談しているんですよ」
「えっ、ああ、ごめんね!?」
 年下に叱られ、思わず背筋を伸ばす。その拍子にまっすぐ見据えた少年の表情は、混乱しているように見えた。きっとこの子は自分の気持ちを表す言葉を知ってはいても、自分自身の胸に在るものだとは想像だにしていないのだろう。だから初めての感覚が理論的に消化できず、驚き、悩み、困惑している。あ〜、若さが眩しすぎて直視できない〜。
「なまえは、そのドキドキするのや、熱くなるのが嫌なのかい? 不快?」
「嫌ではなくて……むしろ少し嬉しいような感覚なんですけど……その理由が不可解なのが一番モヤモヤします」
 ボクは頬が弛むのを抑えられなかった。あんまりにもなまえが初々しくて、うっかり抱きしめてしまいそうなほどに喜ばしい。

「なまえ、それはね――」
「――それはね、きっと恋さ!!」

 一番いいところは、ドアをババーンと蹴り開けてきたダ・ヴィンチちゃんに持っていかれた。なまえは彼の方を振り向き、またボクの方へ首を回し、呆然と復唱する。
「恋」
「そうそう、恋だよ」
 ダ・ヴィンチちゃんが背後からなまえに抱きついて、ふくよかな胸に抱きつぶした。普段なら嫌がるそれに全く反応を示さず、なまえは瞬きをしてから「恋、ですか」ともう一度つぶやいた。
「うん。ボクもキミはアストルフォに恋愛感情を抱いているんだと思う」
「……なるほど」
 もっと反発があるか思っていたが、なまえの反応は随分と穏やかだった。自分の感情に当てはまる言葉を与えられたことで、納得ができたのかもしれない。
 なまえは一つため息をついて、観念したように頷いた。
「そうですね。おれはきっと彼女に恋をしています」
「だろう〜? 告白は? する? するなら協力するが、どうだい?」
 矢継ぎ早に質問を重ねるダ・ヴィンチちゃんを無視して、恋心を自覚した少年は顎に手を当てて思案している。それからゆっくりと唇を開き、慎重に言葉を選んで、ぽつりと感想を述べた。
「……まるで、ふつうの人みたいだ」
「キミはどこにでもいるふつうの人間さ。だからもっと、気楽に生きるといい」
 なまえの頭を軽く叩いてやると、彼は珍しく大人しく叩かれていた。普段だったらすっごい嫌そうな顔されるのに。
 ダ・ヴィンチちゃんはしつこくなまえの恋情告白プランをまくしたてている。勝手に。それをなまえが止めることもなく好きにさせているというのは、正直写真に残したいほど貴重な光景だろう。ボクは本気で「ここにシェイクスピアがいなくてよかった」と思っていた。いたらよけいにややこしくなっていた。

「――で、このタイミングでアストルフォを口説くって計画はどうだろうか!」
「興味深いけれど、おれは女性との接し方をよく知らないから……不快に思われてしまったらと考えると慎重になってしまうな」
「そんなの関係ないさ! 必要なのはなまえがアストルフォを好きだという気持ちだよ!」
「えっ、ちょっと待って、ちょっと、待って、タンマ」

 彼らの会話に聞き捨てならないワードが紛れていたような気がする。ボクは真顔でなまえに詰め寄って、ゆっくりと確認を行う。
「なまえ。アストルフォは、女の子? 男の子?」
「……女の子、だろ。ドクターは急速にボケが進んだのか?」
「……ちょっと待って。ちょっと待って。ちょっと待って」
 これは性別と服装の多様性の話からするべきか。それともアストルフォの伝説を「狂えるオルランドゥ」を重点的に語り聞かせるべきか、悩むところだ。



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