部誌1 | ナノ


ひとひら



「まあ、お前のそういうとこ、俺は好きだけどな」

その言葉が、決定的だった。






昔からどうしてか周囲に女性が寄ってきた。
幼い頃はその理由も理解せずにただ向けられる好意が無邪気に嬉しかった。
それが変わってしまったのはいつからだっただろうか。

そうぼんやりと思い返してディルムッドは、湯気ののぼるカップを見つめる。



留学生として日本にやってきたディルムッドは、生来の生真面目さで半年とたたずに流暢に日本語を話せるようになり、学業も文句のつけようがない成績を納めている。
国際交流を主軸とし、名門校として名を馳せるその学園で学術を修めることを目的としてきたディルムッドは、はたから見れば充実した学生生活を送っているように見えただろう。
だが実際はディルムッドを悩ませてならない事柄が一つあった。

魔貌。

現代においてばかげた妄想だといわれかねないが、事実、彼の顔にを見た者は、どんな異性であろうと恋に落とすというまるで呪いのような力が備わっていた。
どこへ行こうと、数多の女性に追いかけられ、囲まれる。

学校では物が盗まれるのは日常茶飯事、下駄箱にはプレゼントやら手紙やらが詰められているのは珍しくなく、昼休みともなれば、手作りの弁当を持った女子が押し掛けてくる。
ディルムッドの態度に勘違いをした女性や思い込みの激しい女性に当たってしまった時は、笑い話にもならないような修羅場に巻き込まれた。

恋情は人を変える。
どんなに優しい女性も、恋愛沙汰となればその身の変貌などいとわずに修羅となるのだ。

そんな自分の体質に辟易していたが、どうしようもなく優しく病的なまでに紳士的であるディルムッドにはそれを邪険にすることはできなかった。

中学のころはまだマシだった。
だが高校生ともなれば、恋愛ごとは学生生活において華である。
女性に絶大な人気を誇るディルムッドが同性の嫉妬を買わないわけはなく、敵意を向けられる事こそあれ、放課後の寄り道の誘いも掛けられたこともない。
女子生徒からは恋愛感情、男子生徒からは嫉妬を受けるディルムッドには、友人と呼べる存在が少なかった。

その、少ない友人の一人が彼、なまえだった。






温かいココアにようやく体が温まってきた。部屋の暖かさと、頭からかぶっていた毛布も冷え切っていた体をじんわり温める。
一息つくと、向かいのソファに座っていた彼がこちらに視線を向けた。

「改めてすまない。こんな時間に」
「律義な奴だな。そう堅苦しい挨拶が必要な仲じゃないだろ」

なまえはそう言って笑う。
彼の取り繕った様子のない、自然な笑顔に知らず肩の力が抜けていくようだった。

こんな時間。
時計を見上げれば時刻は夜中の2時を過ぎていて、明日が休日とはいえ彼の寛容さに甘えている自分を自覚する。
訪ねれば絶対に迎え入れてくれるだろう。
その確信を裏切らずに、真冬の夜中にドアをたたいたディルムッドをなまえは何も聞かずに招き入れてくれた。



留学生は基本的に寮に住んでいる。
とある事情で寮を飛び出したディルムッドの行先は、なまえの家しか思いつかなかった。
ホームステイをしている友人もいるが、こんな時間に尋ねるのは躊躇われ、気がつけば彼の家の前に立っていたのだった。

ココアを飲んで一息ついた二人の空間に沈黙が降りる。
彼は至って平静で、ディルムッドの突然の訪問の理由を問いただそうともしない。
話すなら話す、話さないなら話さないというディルムッドの意思を尊重したその態度は、それでも彼にとっては気を使っているという意識すらないだろう。

それはなまえが人をひきつけてやまない無条件の優しさであり、強さだ。

甘えている。
わが身の情けなさを省みて、ディルムッドはうつむいた。



彼と出会ったのは転入初日だ。
留学生が多い学園では生徒同士の交流を深めるために、留学生支援委員会と言う組織が存在している。
留学生たちに、日本独特の生活スタイルや、住居、金銭にかかわる仕組みなど、生活に必要な様々な知識をサポートし、より効率よく学業に専念させる事を目的とした委員会だ。
なまえはその委員会の一員であり、ディルムッドのパートナーとして学園から指名された生徒だった。

初日に学園を案内してもらった事は覚えているが、それよりも二日目に町を案内された時の事の方が印象に残っている。
町の案内の途中の道にある一軒の家を指さして、彼は言ったのだった。

『ここが俺の家だから、何かあったら遠慮なく来いよ』

印象的だったのは、町並よりもそう言って笑ったなまえの顔だ。
普通なら社交辞令だと受け止め、頷いておくが実際に訪ねるような事はないだろう。だが、彼のそう言った表情は心からそう思っていると伝えてくるような、そんな笑顔だった。


それから程なくして、委員とは関係なしに、ディルムッドは彼の家にたびたび遊びに行くようになったのだった。
その仲は、ディルムッドの特異体質によりクラスメイトや他の生徒たちとの関係が崩れかけ始めようと、途絶えることはなかった。
男子生徒にまで嫌煙されるようになって悲観しかけていたディルムッドにとって、なまえとの関係は本当に救いになったのだ。

救いは、単なる支え、という意味ではない。

例えば、チームワークが関係する授業では、クラスメイトの間に否応なくディルムッドを割込ませ、それが『当然』だと有無を言わせない雰囲気を作り出してしまうのだった。
不思議な事に、それがディルムッドを庇っていると思わせることなく行うものだから、なまえが反感を買う事はなく、勿論ディルムッドもそれ以上の悪印象を抱かせる事はない。
そもそも、ディルムッド自身が好感を持たせるような気持ちのいい性格であることから、それなりに会話を交わせば、相手もディルムッドの体質のせいで歪まされた印象を変える事も多く、最近では最初ほどのあからさまな敵意を投げつけてくるクラスメイトは少なくなった。

一度その事で礼を言った事があるが、彼は本気で分からないというような表情で肩をすくめ、笑った。

『それは、体質に関わらずお前がいい奴だからだろ?』

ディルムッド自身の力だと、そう笑ったなまえの顔が鮮明に思い出された。



ふと顔を上げると、思い返していた笑顔の持ち主の顔が、真向かいにあった。
ディルムッドの視線を受けて、なまえは首をかしげる。

「? ココアの粉が溶けてなかったか?」

言われてから今までカップの中をじっと見つめていた事に気付き、ディルムッドは首を振る。

「い、いや。大丈夫だ。美味しい」
「そうか。それなら良かった」

微笑んで、なまえもカップに口をつける。
なまえはディルムッドが飲み終わるまでゆっくり付き合うつもりでいるらしい。
その彼を見ながら、ディルムッドは訪ねてきた理由を話すべきかまた悩み、ふと、現実逃避をするようにまた1つ思い出す。
そういえば、数少ない友人のほとんどは、なまえを介して知り合った者が多かった。



どうやら、なまえは特に留学生に親しい友人が多いらしい。
同郷の先輩ともよく遊びに行く仲らしく、ひょんなことから町で出会い、お互いに親しい友人であった事に驚いた事があった。
また、彼を通じて知り合った数人の女性は驚いたことにディルムッドの魔貌に惑わされることもなく、友好な関係を築けている。

更に言うと、友好どころか、お互いの実力を認め合い、ライバルとして互いに競い合える、生涯において得難い友となっていた。
そして奇しくも、その友人たちとディルムッドの、なまえに対する見解は一緒だったのだ。

彼が意識もせずに軽々と行う、他人同士をつなぎ、お互いに良好な関係を築かせる力。
そして何より他人を許す寛大さ。

友人たちと話していて、それが自分だけではなく、誰にでも適用されるのだという事を知り、一抹の寂しさを感じたのを良く覚えている。
なまえの性格を考えれば当然の事実であったが、それまでのディルムッドには彼の周囲に気を配る余裕などなく、自分の身の回りの事で精いっぱいだったのだ。

我ながら子供っぽい独占力だと自分で笑い、その時はそれで終わったのだが。



ふと何か釈然としないものを感じて、ディルムッドは回想を止める。
顔をあげて、またなまえと視線があった。

「あ、その……」

煮え切らない言葉を発したディルムッドに、なまえは机にカップを戻し、そして口を開く。

「ディルムッド、お前シャワー浴びるか?スウェットとかなら貸せるし、ちゃんと体あっためてきた方がいいんじゃないか?」
「い、いや。そこまで甘えるわけには、」

頭を振った拍子にばさりと被っていた毛布が落ちる。

「っ」
「あ、」

今まで隠していた己の状態をさらすことになって、ディルムッドは顔を覆った。
毛布は実は、自分の寮から被ってきたもので、なまえに借りたものではない。

その下から、無残にも破け、ボタンの飛んだパジャマがあらわれ、それは隠しようがなく――ディルムッドが襲われた事を示していた。

「…………」

言いだす前にばれてしまった事に動揺するディルムッドに対し、なまえはため息をつくとカップを置く。

「知ったからには知らないふりはしないぞ」

そう、そういう男だ。
覚悟を決めてディルムッドもカップを置く。

「……ああ。分かった」
「相手、女だろ?」
「…………ああ」

女性が寮で寝込みを襲ってくるなど、生真面目なディルムッドには想像すらしていなかったが、こうして実際にあってしまえばもう認めるよりほかはない。
真っ直ぐにディルムッドを見つめて、なまえは言った。

「相手の顔は見たか?」
「いいや。見てない」

即答したディルムッドとなまえはしばし見つめ合う。
そしてなまえは再度ため息をついた。

「お前わかりやすいんだよ。ディルムッド」
「う……」
「それで、いいのか?」

嘘をついた事に気付いた友人の意味のこもった問いかけに、ディルムッドは頷く。

「ああ、これでいい」

もとはと言えば、彼女も自分の体質の被害者であるといえるだろう。
多くの女性を傷つけた自覚のあるディルムッドには、どうしても彼女を告発する気にはならなかったのだ。
男子寮で夜這されるなど、ディルムッド自身の沽券にもかかわるが、それ以前に犯人はディルムッドを傷つける行為をしたのだ。
告発してしまえば、彼女の生活は台無しになるだろうが、それでも裁きは必要である。
それを分かっていて、それでもディルムッドは口をつぐむ事にしたのだ。

そのディルムッドの心情を汲んで、なまえは更に問いかける。

「ちょっと優しすぎないか?」
「いや、いいんだ」

首を振るディルムッドを見つめ、その意思を確認する。
そしてなまえはふいに、呆れたように、優しく笑った。


「まあ、お前のそういうとこ、俺は好きだけどな」


ふわり、と。
今まで少しずつ開いていた花弁の最後のひとひらが、開いたような錯覚に陥った。
自覚したとたん訪れた眩暈にも似た感情についていけずに、ディルムッドはただその笑顔を見つめる。

先ほどまでの回想は、全てこの胸の内の花弁の一片一片だったのだ。



ああ。彼が好きだ。



「ディ、ディルムッド?」

両腕で顔を隠すようにして机に突っ伏したディルムッドに、慌てたような声が降ってくる。

「どうした?大丈夫か?」

なまえにしてみれば、話の流れから実は何かされていたのかとでも考えているのだろう。
まったく違う感情で溺れそうになっているなんて思いもよらないはずだ。


どうしようか。


悩みが一つ増えてしまったと、それでもどこか幸福を感じながら、ディルムッドは心配するなまえの声に抑えきれない嬉しさを隠して今はただひたすら赤くなった顔を隠すのだった。




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