部誌1 | ナノ


ひとひら



天気予報の通りその日は暮れ時から雪になった。
行き交う人々がそれに気付き、誰ともなしに小さな感嘆の声を漏らしている。
下校の帰路を同じくした桜も彼らに引かれたのか「初雪、ですね」つられるように空を見上げ、僕もまた一面の薄灰を仰いだ。

「なまえ先輩は、雪って好きですか?」

こちらに問いかけた桜が、だが視線はやや中空に向けたまますっと手の平を差し伸べる。そこへ舞い降りた雪のひとひらが一寸の間をおいて水滴に変わる様を見ながら、僕はこれまでの否定と今後の肯定を彼女に告げた。
雪には良い思い出がないから別段好いてはいない。――けれど。

「冬木に来てからは随分と賑やかになったけど、雪を好きだと思った事はなかった。それでも今年は違うんだなって、今はそう思ってる」
「……それは、どうしてですか?」
「桜に会えたから」

間髪入れずに答えた僕を桜がハッとしたように見上げる。揺れる眼差しが困惑を如実に物語っていた。あの、と口籠る彼女の負担にならないようそっと視線を逸らし、留めていた歩みをゆっくりと家路に向ける。背後で僅かに逡巡する気配を感じたものの、桜はもう少し僕と同行する事を選んでくれたらしい。
小走りに寄った彼女が隣に並び、小雪の振り始める前と同じ状況に戻った。
とはいえ、その心中にはいくらかの違いが生まれているのだが。



雪は小雪に違いなかったが、だからと濡れてやる義理もなかった。
念の為にと持ち合わせていた傘を開き、自然と桜を招き入れる。桜は傘を持っていなかったし、この傘は紳士用で幅が広いからスペース的には問題ない。
だが、今の心情で一層密着するような姿勢にしてしまったのは早計だっただろうか。時折袖が掠める度に緊張する桜には少々居た堪れないものがあった。

何か気の利いた言葉でもかけるべきだろう。そう思いはすれど、繊細な彼女の戸惑いを解す台詞や小話など安易に浮かぶはずもない。自らそうなるよう仕向けた節は否めないにせよ、だからといって得意分野でもなかったと思い至る。
こんな事なら桜の兄である慎二が以前語っていた「異性に対する常套句指導」を真面目に聴いておけば良かった。その時は不要だとろくに耳を傾けず振り払ってしまったのだが、思い返せば有益な話だったかもしれない。

「どうして」

散漫な様子が知れたか痺れを切らしたか、思い切ったように桜が声を上げた。

「先輩は……なまえ先輩は、知っているんですか?」

俯いたまま続く「わたしの事」という言葉は消え入る程に小さなもので、
しかし軽々しく「何を」と返すには憚られる重みがあった。
是か否か、問われているのはその点なのだ。
すっと外気を吸いこんで、吐き出すついでに答える。些細な物事のように、それに囚われはしないと言うように。

「全部は知らない。でも、知ってしまったものを忘れる事も出来ない」

その上で桜が好きなのだと言外に込めて。
桜の瞳は今も揺れていたが、そこには見極めようとする意志もあるように思えた。どうやら問いに対し完全な答えではなかったものの、有難い事に及第点を与えるには良しとしたらしい。
あるいはこれこそ彼女が望んでいた返答だったのか、苦笑交じりとはいえ表情を綻ばせた桜に影はなかった。



傘を持たない彼女を間桐邸まで送り届け、まだ止む気配のない雪の中を引き返す道すがら、邸の扉に手をかけ見送ってくれた桜の姿を思う。
去り際に再び垣間見せた浮かない顔。
彼女を曇らせるのは何か。間桐の在り方か、それとも邸の奥に居る者か。
要因の一切合財を壊し尽くしてしまえば桜は僕の手を取ってくれるだろうか。
僕の想いに、応えてくれるだろうか……。

「……それはないな」

それはない。
自問自答するまでもなかった。彼女は既にたった一人を想っている。
考えを振り払うように指先を差し出せば、ひらりと舞い降りる雪の欠片。
そうして直ぐに溶けてしまい、水滴となって零れ落ちていく。傍に留める事は
容易だが、そんなやり方は僕としても彼女としても本意じゃない。

「こんなところで考え込んでも仕方ない、か」

雪のひとひらに桜を重ねても詮無い話だ。
物思いに耽る僕を急かすように、母親譲りの銀髪を寒風が乱雑に撫で回した。
そうしよう。彼女との在り方は、今はまだこのままで。

ひとひらを零した手の平を握りしめ、僕は我が家――衛宮邸の門を潜った。




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