部誌1 | ナノ


まやかし



「オレは好きだ」

その言葉がどれだけ僕を傷つけたか、君は知らない。

「それはただのキッカケだ。でも」

当たり前だ。僕は君から逃げた。そうして今の僕がある。

「そこから始まった」

始まりを踏み潰してなかったことにして、新しく作り出したはじまりに首を絞められてる。
なんて愚かで滑稽なんだろう。君が恋に落ちるのを、僕は見つめることすら出来ない。



僕が生まれたのは、姉の巻尾が父の妾を寝取ったと発覚する2ヶ月後だったらしい。斑目家に引き取られてすぐ、腐りきった根性しか持たない親戚たちに言い聞かされたから確かだろう。
僕の父でもある斑目家当主に無理矢理妾にされた母は、当然ながら斑目家を嫌悪していた。僕を身ごもったと知るやいなや流産を偽装し、日本を離れたらしい。みょうじ家のネットワークを頼り、世界各国を転々と旅していた。

母と二人で旅をするのは、幼心に楽しかった。父親のことなんか疑問に思いもしなかった。僕にとって、世界とは母のことだったのだ。
無理矢理妾にされ、身ごもったにも関わらず、母は僕を全身全霊で愛してくれた。僕が斑目家に引き取られても根性がそれほど曲がらなかったのは、母から受けた愛情あってこそだろう。

色んな国に行った。
犬神人だからだろう、中間種のみょうじ家だけど、横のネットワークはそれなりに広かった。
長い旅の途中、彼に。
ヒデクニに出逢った。

幼い頃の記憶はあやふやで、だけど彼との時間だけは今でも鮮明に思い出せた。
僕が十歳になる頃で、彼はまだ五つかそこらだった。

(きみはだれ?)

(なまえを、おしえて)

綺麗な子供だった。両親に愛されて、幸せに育った、幸せな子供の象徴。
彼のそばには二週間しかいられなかったけど、幸せな二週間だった。僕のなかで輝く、しあわせの記憶。

(きみがすきだよ、なまえ。いつかケッコンしようね)

――そうだね、ヒデクニ。
おれもきみがすきだ。
好きだった。
今でも好きだ。
だけど口には出せない。出せないんだ。

犬の成り魂は得意だった。幼い頃から僕は犬神人として育った。そうであれたらよかった。


母が、死んで。
斑目家に見つかって。
引き取られて、教育されて。
跡継ぎ候補にされて、甥らしい国政の締め付けは緩くなった、らしい。
僕は重種だった。


「ハジメマシテ、ヒデクニクン」

再会を知るのは僕だけだ。それでいい、それがいい。無邪気に笑って、握手を求める君の手は暖かくて、僕の手は冷たかった。大丈夫かいと心配そうな顔をする彼に作り笑顔で対応して。大丈夫だよ、って笑ってみせる。爬虫類だからね、なんて、ふざけてみせて。

どんな偶然で、どんな運命なんだろうね。全く皮肉に満ち溢れてる。
斑目家に連れてこられて、僕はすべてを捨ててなかったことにした。大切な思い出は心の奥底に沈めて、隠して、誰にも見つからないようにして。しあわせだったあの頃をたまに思い出しては幸福に浸り、また隠して。そうして生きていくつもりだった。それだけでよかったのに。
どうして君は、僕の前に現れてしまったんだろう。

幸いなのは、斑目家にいる僕とヒデクニが鉢合わせる可能性がとても少ないということ。姉である巻尾や兄である志信、そして甥であり跡継ぎ候補仲間の国政を接点にしなければ彼と会うことはない。
だから、彼が、ヒデクニが想いを告げるあの場所に鉢合わせてしまったのは、不運としか言いようがなかった。

きみがすきだよ、ヒデクニ。きみはきっとおれのことを忘れてしまってるだろうけど、おれは、僕は、今でもきみがすきだ。
きみはおれの、しあわせの象徴だった。

斑類なんてくそくらえだ。
本能で相手を決める、なんて言う癖に、血と家柄で縛られてる。
僕には巻尾みたいに家を捨てる根性なんてない。
ヒデクニに覚えられている可能性もない。
だってそうだろう、僕はあの頃のおれじゃない。階級も型も、名前すら違う。全くの別人だ。彼と出逢ったおれはまやかしだった。いや違う、今、僕こそが、まやかしなのだ。
そして、ヒデクニはおれじゃない誰かに求愛した。

それがすべてで、それが終わりだった。
始まりを踏み潰してなかったことにして、新しく作り出したはじまりで僕のしあわせは終わりを告げた。
いいじゃないか、それで。未練なんてあっても苦しいだけじゃないか。


「あ〜〜〜〜〜も〜〜〜〜〜〜どうすんだヨお見合い〜〜〜〜〜〜米国君お見合いしない?」

「オレ相手いるから」

巻尾が何かやらかしたと志信から知らせが入って、尻拭いのためにオリンピアホテルに駆けつけて。
久しぶりに顔を合わせた巻尾がヨネクニに絡んで、カレンさんに叱られている姿を見て結末が読めた。

「あ、英国ちゃんは」

「―――――巻尾」

カツリ、と家族の団欒に足を踏み入れた。眉を寄せて睨む巻尾に苦笑する。カレンさんやヨネクニは、僕に同情的で、優しかった。

「貸しといてあげるよ」

「いらねぇよ」

「困るのはあなただろう?」

「斑目に怒られんのはアタシなんだよ!」

「出さなきゃいいだけの話だろ」

ヘビの癖に猫みたいだ。体中の毛を逆立てて警戒を示す、猫みたいな巻尾。自由で強い、巻尾。
おれにあんたみたいな強さがあったら、少しは違ったんだろうか。

「……なまえさん」

巻尾を背負ったヨネクニが気遣うような視線をくれる。なんだかいたたまれなくて、視線を逸らせば、その先には国政と、ヒデクニのおもいびとがいた。

(そうか、ふられちゃったのか、ヒデクニ)

どうしようもない安堵と、彼の幸福を祝えない自分の愚かさが嫌だった。斑目で鍛えられた体は、それらを表すことを許さない。巻尾だってきっと気づいてない。それだけが救い。

「巻尾、あなたの尻拭いをしてあげる。だからそうだなあ、半分でいいよ」

「……何のつもりだよ、狙いは何」

「斑目にお伺い立てずに使うお金があればいいなあっていうだけだよ。あと最近、ね」

苦笑すれば察してくれるのは、性に奔放な斑類だからだろう。事実、僕は血筋と、その価値故に、斑目から性交渉を禁じられていた。迂闊に種をばらまくな、って訳だ。僕はもとより淡泊なタチで、それを苦には思わなかったけれど。

「大損こいて斑目に頭下げるよりマシだろ、巻尾姉さん」

「くたばれ……ッ」

ギリリと唇を噛み締めた巻尾は、それでも否定しなかった。これで斑目家と関係ないヒデクニに害が及ぶこともないだろう。

(しあわせになれ、ヒデクニ)

きみのしあわせを、おれは、僕は、素直に祝うことはできないけれど。
だけど誰よりも何よりも、きみのしあわせを願っている。きみの幸福をいのっている。




「あの……貴方は、犬神人じゃ、ない……ですよね」

「――――違うよ、どうして?」

「ごめんなさい、貴方が少し……オレの初恋のひとに似てたから」


そんな、あるはずのない邂逅を夢想して。
僕はまやかしの姿を生きる。





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